Ⅳ 運命 -2
「さて」
アウローラ公国大公アウローラ、通称アラン大公は、執務室の窓から目を離した。
この窓からは公国城下が一望できる。
行き詰った時、考えをまとめる時、アランはよくこの窓から城下を見下ろした。一人一人の表情は見えないが、それでも町の雰囲気は何となく見て取れる。その人生が自分の肩に乗っていることも、実感できる。
はるか昔、友とこの町を見下ろした時、アランは友のために何もしてやれなかった。あの時の無力感を、最近よく思い出す。
「どうしたものかな」
自身に娘しかいないのは、やはり痛かった。
ガザに侵攻された時は、国を守るだけで精いっぱいだった。後継に関しての取り決めなど、後々のことだ、と高を括っていた。実際、血というものに翻弄されてきたアランは、自分の血筋を残すということに無頓着だった。自分が、公国の道筋を立てれば、後は誰が継いでくれてもいいと思っていた。最初の妃との間には子は出来ず、今の妃との間に二人の娘が生まれた時も、男だったらとは思わなかった。
かえって、金髪の皇子でも生まれてきたら、厄介だなと思っていたくらいだ。また太陽神の息子として祭り上げられたら困る。
だが大公の子ども以外が、大公を継ぐとなると、いろいろ周りに付属物がついてくる。実際、アランの二人の兄の周りには、得体のしれない者たちが言い寄ってきているらしい。しかも、兄たちはまんまと甘言に乗せられるタイプだ。彼らが大公になった途端、国は壊れていくだろう。
それでターシャはあんなことを言い出したのだろう。
もしかしたら自分より聡い娘の顔を思い出して、アランはため息をついた。
しゃべり始めた頃から、口癖のように父上の跡を継いで「たいこう」になると言っていた。そんな娘を、アランも周りも微笑ましい気持ちで見守っていた。早いうちに止めておこうと、ターシャが七歳の時、やんわりと女は大公になれないと告げた。
「嘘つき!」
ターシャは唇をわななかせ、涙を溜めた目を大きく見開いて、叫んだ。その目にはありありと絶望の色が浮かんでいた。
ターシャは本気だったのだ。
だが、アランは王ではなく、大公だ。王ほど絶対的な権力はなく、自分の都合の為に、女にも継承権を与えるなどと言えるわけもなかった。明らかに自分の娘を大公の座につけるためだ。反発されるのは必至だった。
ターシャは絶望を胸に秘めたまま、規格外の姫として、それでも大人しく成長してきた。
「ユースティス・サボン」
なぜ彼なのだろう?
確かに有能な青年だ。精神も潔癖。
そう、潔癖すぎる。
彼は敬虔な太陽神の信者だ。この国の成り立ちを考えれば、それは健全で自然なことだ。
だが、アランは一体化しすぎた政治と太陽神とを引き離した。太陽神の息子とされたかつての太陽王自ら行った政教分離に、公国の人間は驚き、畏れた。しかし太陽王だった大公が行ったことにより、なんとか国の人間も納得し、動揺は収まった。
しかし、もちろん反発する人間もいる。
ユースティスもそうである。幼いころから太陽神を信じていた少年は、神殿を弱体化させたアラン大公に不満を抱いた。大公が、政教分離させてどうしているかというと、神の為でなく、自身の為に政治を行っている。太陽王はガザに下り、穢れてしまったと思った。
青年になったユースティスは、もともと太陽王の元で重鎮だった父のおかげで、半ば公然と神殿の権威回復を唱えていた。
反大公の急先鋒であった。
自分の館に戻ると、ユースティスは執務室の椅子にどさりと座った。居室の柔らかな長椅子より、こちらの方がユースティスには心が安らぐ。
体から一気に力が抜ける。
ユースティスは長く息を吐いた。
どう思い返しても、混乱するばかりだ。
たかが十歳の少女の考えていることが分からない。
ターシャは、ユースティスが父親に敵対していると知っていた。
その意味も呑み込んでいたと思う。
その上で、自分と結婚し、大公になってほしいと、言う。
やはり大公の差し金だろうか。反対勢力の旗頭になるであろう自分を、取り込むための?
そこまで考えて、ユースティスは頭を振った。それは相手にとって危険すぎる。それに……
ターシャの強い目が忘れられなかった。
彼女自身が、何かを渇望していた。
彼女自身が、私を欲していた。
コトリ
音がしたので目を向けると、机の上に茶器が置かれていた。湯気がゆらゆらと立っている。
側にはナルが立っていて、じっとユースティスを見つめていた。
「ああ、気が付かなかった。ありがとう」
そう言っても、ナルは立ち去らない。
ユースティスが首を傾げてみせると、ナルは茶器を指さし、ユースティスの口元を指さした。
「飲め、ってことか」
ユースティスはそう独り言ちて、茶器を手に取った。豆茶の香りが鼻腔をくすぐる。一口飲むと、体の中心がじんわり温かくなった。
ほうっと思わず息をつく。
ナルはそれを見届けると、さっさと部屋を出ていった。




