Ⅲ 予感 -26
「?」
ぼんやりと視界に光が入ってきた。頭はまだ真っ白だ。
自分が何者か分からない。
「昂?」
傍らから、押し殺したような声が聞こえて、昂はやっと自分を取り戻した。
なんで寝台に寝ているんだっけ?
声の主を確かめようと、横を向こうとすると、体が強烈に痛んで、声を上げそうになった。
「動いたら駄目だよ」
足元から男の声が昂を止めた。その声を昂は記憶から引っ張り出そうとする。それで、全部思い出した。
昂の身体は、本人が思っている以上に、ボロボロだった。地下室で、なおもしゃべろうとする昂を止めたのは、若い男だった。
「取り合えず、手当を」
空と同じ空気を持つ男が、厳しい声で言ったのを聞いて、昂は途端に体が重くなった。
「悪くすれば、後遺症が残る」
男の言葉を、昂は訊いていなかった。彼の腕の中であっさりと意識を手放してしまっていた。
目がやっと光に慣れてきて、そばにいる人が見えてきた。
寝台の横に座り、昂の腕に顔を埋めている彩。若い男は昂の視界からは見えない。
そして……
「凛?」
迷った挙句、昂は彼女が名乗った名を呼んだ。金髪の少女は寝台から少し離れたところで、青い顔をして椅子に座っていた。
顔を見れば、確かに凛だ。
凛は顔を上げた。だが、視線はまっすぐ昂に届かない。
その顔を見て、昂はやはり納得する。
あの夢の少女はやはり凛…燦だ。
「……燦と二人で話をさせてくれないか?」
昂がそう言うと、燦は一瞬、怯えたようにびくりと体を震わせた。
「でも、その体じゃ……」
男が戸惑ったように言うと、昂は見えない相手に笑った。
「この身体じゃ、何もできないから安心だろ」
それから真剣な目で燦を見た。
「今、話した方がいいと思うんだ」
燦は昂を見ると、頷いた。その顔はもう怯んでいなかった。
「隼、彩を連れて外に出ていて」
燦がそう言うと、彩は素直に立ち上がった。
「大丈夫だ、わたしもいる。わたしも燦の夢を一緒に見てた」
彩はそう言うと、燦は驚いて、目を見開いた。彩は構わず、隼を探すように首をまわした。
隼は少し考えるように天井を仰いだ。しかし結局彩の手を取り、部屋を出ていった。
隼は彩の手を引きながら、海に面した前庭へ向かった。
本当は、命じられても姫から離れるべきではないだろう。だから護衛が務まらぬと言われてしまう。
でも、姫の青い顔を見て、昂の真剣な顔を見ていると、二人にしてやった方がいいと思った。
青いなぁ、と自分でも思う。
一方で、人の想いを踏みにじってまで、機械的に任務をこなす人間にはなりたくなかった。
それに……
あれが、針森の昂か。
空と同じ村の人間、ガザ王妃の甥、そして……
「おっと」
昂が倒れた時、自分より大きい男の全体重がかかって、隼はよろめいた。
「昂!」
しかも二人の女が飛びついてきた。
「ちょっと、無理無理」
隼は叫び、二人を追い散らすと、なんとか昂を寝台に引きずり上げた。
「隼!大事に扱ってよ!」
怒鳴る燦にげんなりしながら、隼は昂の胸元を広げてみる。
「……」
覗き込んだ燦が息を呑んだ音が聞こえた。
よく立っていたものだ。
新旧様々な傷が残っている。肋骨や鳩尾あたりの青あざ。新しい傷はまだ熱を持っていた。
傷自体には治療が為されたらしい。消炎効果のある軟膏を塗ったのだろう。古い傷は綺麗に治っている。問題は骨や内臓だ。体の内までは治療できない。傷の様子から見て、暴行は毎日だったようだし、こんな陽の当らない狭い部屋に閉じ込められていたのなら、体が萎えてしまう。体力は奪われるばかりだっただろう。
「呼吸が落ち着いてきた」
盲目の少女がぽつりと言った。
「眠っている時でも、呼吸は荒かったから」
少女の悲し気な声に、隼は「うん」とだけ応えた。
歳は十六だと聞いていた。
まだ未発達の痩せた体。森育ちだから引き締まっているが、どうしたって少年の体だ。針森は十六歳で大人になるそうだが、体は大人のそれとは違う。
それがこんなに打ちのめされても、少女を守ると気を奮い立たせていたのだろう。
すごいな。
「隼」
ぼんやりと思いをはせていると、急に名前を呼ばれた。驚いて目をやると、手を繋いている少女が、見えない目を向けていた。
「凛が燦なら、凛は燦の何?」
なぞなぞのような問いに、思わず顔をしかめる。
「わたしは凛のところに行かないといけないの。だからあなたが、凛のところにわたしを連れて行って」
それはできない。
そうすぐに断るのが当然だし、そうするべきだった。
だが隼は馬鹿みたいに口を開けて、彩を見ていた。
だからお前は駄目なんだ。
そこにいるはずのない空の声が、頭の中で怒鳴った。




