Ⅲ 予感 -25
「へぇ」
空は今朝、朝日と共に飛び込んできた知らせを読みながら、単純に感心した。
空は今、ガザ国と国境を接する、アウローラ公国ドムの町にいた。かつてアウローラ公国が太陽国だった頃、この町は麻薬カエルムに汚染され、その上ガザからの侵攻を受け、荒廃の一途をたどると思われた。
しかし両国が和睦に至ると、アウローラ公国とガザ帝国の支援を得て、復興を成し遂げた。
かつて上流、中流、下流と三つの町に分けられていた壁は壊され、赤い通りだけが、当時の面影を残していた。カエルムは排除され、大商人たちが瓦解すると、少しずつ国境の交易の町として機能していった。ガザとアウローラ公国の国境には神々の山脈が横たわっている為、両国への通り道が少ないのも幸いした。ガザから公国へ、公国からガザへ、物資を運ぶには、陸路ではここを通るほかないからだ。
そういう理由もあって、ガザはドムの復興に手を貸したのだが、これにはガザ国内で批判する者も多かった。
当時は内乱の末、新王が誕生したばかりだった。よその国より、自国の復興の方が先だろうという声が多かったのだ。
もっともだ。
空は当時も今も、同じ感想を抱いている。
ただ自分は判断する立場ではない。当時も今も。
「何にやにやしてんだ」
男が部屋に上がってきた。気持ち悪いものを見るように、空を見てあきれている。
「我らが姫さんの成長の記録だよ」
空はピラピラと、暗号で書かれた極秘文書を振ってみせた。
空がそんな極秘文書を、室内とはいえ、アウローラ公国で堂々と読めるのは、目の前のオッサンのおかげだ。
歳の頃は五十に手が届きそうな頃、全体的にむさくるしい雰囲気だ。
空がガザの隠密をしていた頃からの知り合いだが、空はこの男に大きな貸しがあった。もっとも貸しなどなくても、この男は一度情をかけた相手を、邪険には扱えない。
よって、空はドムに来た際は、快適な隠れ家をこの男に提供してもらえた。毎度、顔を出すたびに、舌打ちをしながらも、部屋を用意してくれる。
「ああ、姫さんか。大きくなっただろうなぁ。おいくつになられた?」
「十六だ」
聞いて、男は目を丸くした。
「もう十六か。そりゃ…」
男の言葉を引きとって、空が口をはさむ。
「ナナが歳をとるはずだよな」
途端に、ナナと呼ばれた男は嫌そうに顔を歪めた。
「お前だっていい歳だろうが。ったく…ほんと、あいつに似てる」
あいつ……ナナは空に会うたびに、いつもそう言う。あいつに似てる。
思い当たる名前を、空は白けて言った。
「信?」
「ああ、そう。シン、あいつは元気にしてるか?それに、ほら……」
「二人とも元気だよ」
ナナの言葉の先を取って、空は答えた。信と蘭も、ナナとは昔の知り合いだ。結局それが訊きたくて、似てるの何のと言い出すのは、いつものことだ。
「それより、ナナライ」
空はあっさり信と蘭の話題を終了させた。
ナナライと呼ばれて、ナナは顔を引きつらせた。空がナナのことを、愛称ではなくナナライと呼ぶときは、何かの仕事を言い渡されるか、情報を聞き出すときだ。ろくなことがない。
「中央の方はどう?面白いことない?」
ざっくりした言い方に、ナナはほっとしながらも、先日耳にしたネタを話すかどうか悩んだ。別に秘すべき話題ではない。驚くことではあったが、当人同士が良いのなら、むしろ歓迎すべきことかもしれない、と単純にナナは思っていた。
ただ、空にとっては、爆弾になり得るかもしれない。
「何?」
ナナの目が揺れたのを見逃さず、空は詰問するように訊いてきた。
「何を隠したかなんて、後でどうせ分かるよ」
平坦な声音でそう言う空に、ナナも心の内で頷く。
遅かれ早かれ分かることだ。その時、どうして俺が言わなかったのかも、空には分かってしまうだろう。
「アラン大公の第二公女と、サボン家の長男ユースティス殿が婚約するらしい」
ナナが空の顔を恐る恐る見ると、空の口の端が持ち上がった。
「へぇ」
その顔を見て、ナナはすぐさま後悔した。やはり黙っておくべきだった。わずかでも時間が稼げたかもしれない。
「お前、変なことするなよ。公国の問題だぞ。内政干渉になるぞ」
焦って矢継ぎ早に言うナナを、空は馬鹿にしたように見た。
「俺は今、ガザの隠密じゃないよ。針森の人間だ。それに……」
舌なめずりしそうな顔は、とてもただの村人には見えなかった。
「村の人間が、サボン家にお世話になっているみたいだからね。迎えに行くよ」
そう言うと、立ち上がった。空は思い立ったら、すぐに出立する。
「ナナライ、旅の支度をして。保存食と水。それから馬」
「お前なぁ」
ただの針森の人間と言った口で、当然のように旅の支度をナナに命令する。ナナは呆れていいのか腹を立てていいのか、自分でも分からないまま、立ち上がった。そして結局は言われるがままに用意をしてしまう。
結局、俺はこいつを切り捨てられない。
どいつも、こいつも、だが。
ナナは支度をしに母屋に向かいながら、中央のあいつに一報入れておいた方がいいな、と考えていた。




