Ⅲ 予感 -17
「やぁ、見違えたよ」
若様とやらは、上機嫌で三人を迎えた。
彼自身は先ほどと服装は変わっていない。
よく見ると、もうすでにきちんと正装だったようだ。声にばかり気を取られていたらしい。気が付かないほど、上等な服が彼に馴染んでいたと言っても良かった。
長いテーブルのいわゆる上座に若様。昂と彩は彼の右側に座らされた。反対側に大男が席に着いた。
昂が目を丸くする。本当にご一緒するとは思わなかったのだ。
昂の様子に気が付いて、若様は、あははと笑い声をあげた。その声が耳障りでまた気持ちが悪い。
「彼は僕の部下ではないよ。いってみれば食客みたいなものかな。僕の手助けをしてくれる」
そうは見えなかった、と思ってちらりと見やると、大男の目は何の感情も映していなかった。ただ真っすぐ前を向いている。
よく分からない。
昂は眉を顰めかけたが、自分でそれに気が付いて、止めた。感情をすぐ顔に出しすぎる。俺もこの大男を見習った方がいいかもしれない。
「彼の名前は崙」
若様はトントンとテーブルの端を、指で叩いた。すぐに食事が運ばれてくる。
「ちょっと訳ありでね。僕の側にいるってわけ。昨日君も見た通り、腕っぷしは強いし、無口だからね。気に入ってる」
お気に入りのおもちゃを自慢するように、若様は崙を見た。
崙の目はやはり動かなかった。
「さて、そろったようだし、食事にしようか」
見たこともないような豪華な食事が、テーブルに並べられていた。早く食べたいのか、彩が少し前のめりになっている。
昨日の夜から何も口にしていない昂の胃袋も、早く食べさせろと主張してきた。
だが昂は動かなかった。
「どこの誰かも分からない奴の飯は食えない」
昂が静かに言うと、手を伸ばしかけていた若様は、そのままの姿勢で顔を上げた。
給仕の女たちが、顔を引きつらせる。
彩の背中はすっと椅子に戻った。
「後にしない?せっかくの食事が冷めてしまう」
若様がそう促したが、昂は応えず、若様の目をじっと見つめた。
流されては駄目だと自分に言い聞かせる。
若様のガラス玉のような目が、すっと色を変えた気がした。
若様は小さくため息をつくと、にこりと笑顔を作った。
「まぁ、約束だったしね」
そう言うと、テーブルクロスに端を掴み、思いっきり引っ張った。料理ごと食器が床に落ちていく。テーブルに残ったものも、ひっくり返って、飛び散った汁が昂たちの服を汚した。
彩がビクッとし、震え出したので、昂は手を握ってやった。しかし何も言わず、若様を見つめていた。
若様は何事もなかったように、傍らで怯えている女中に目をやると、そっけない様子で言った。
「料理を出すのが早かったみたいだよ。作り直してきて」
女中が慌てて厨房に行くのを見送って、若様は昂を見つめた。張り付いた微笑みが怖い。
「僕の名前は獏。正式には崑獏」
崑と言ったとたん、床を片付けていた女中たちに緊張が走った気がした。
しかし昂には意味が分からない。針森では名前は一文字。ガザも同じ字を使うことから、針森と同じだと思っていた。正式も何も、字を二文字使うことはない。字そのものがその人間を表しているとして、一字で名付けられる。字を二つ使うということは、一人の人間が二つに分かれてしまう。
「崑?……獏?」
困惑の表情が顔に出たのか、昂の顔を見て、獏はフッと笑った。
「君はとんだ田舎者なのかな。崑は氏姓だよ。高貴とされる一族は、共通の字を持つことを許される。僕は崑一族の獏だ」
崑一族。それほど権力のある存在なのだろうか。
「俺は初めて聞いた。そんなに権力があるのか」
わざと興味がなさそうに言うと、獏は愉快そうに笑った。
ただそれは表面だけで、獏が不愉快に思っていることは、その笑い方で分かった。不自然に高音域で鳴らされる笑い声。昂が握っている彩の手に、力がこもったのを感じた。
震えるのをこらえている。
「僕は末席だけどね。それでも蒼碇では、何をしても大抵許される。ほら、崙の自由だって好きに出来る。もちろん君たちもね」
昂が睨みつけると、獏は満足そうに頷いた。
「分かったら、食事にしよう」




