Ⅲ 予感 -15
「やぁ」
扉を開け、気安い調子で声をかけてきたのは、例の優男だった。後ろに、昨日の大男を従えている。
これといって特徴のない顔立ちだった。美男子でも醜男でもない。体は鍛えているようには見えないが、太っているわけでもない。どちらかというと細身だ。
すれちがっただけでは、一人も彼のことを覚えていないだろう。
「よく眠れた?」
その声に、彩がビクリと体を強張らせた。昂にしがみついたその手が、さらに強く握りしめられる。恐怖で体が細かく震え出す。
その声は少し甲高く、聞く者を不安にさせた。何かが狂っているかのような声。
男の外見と違って、声だけはいつまでも耳の奥にこびりついて残った。
「あんたは?」
昂は彩を男から隠すように体で遮ると、男をまっすぐ見て言った。
おやおやというように、男も昂を見やる。
「君は自分の立場が分かっていないようだね。君は僕の工場を燃やした。全焼は免れたけど、もう使い物にならない。人もね。何か言うことは?」
「確かに俺が火をつけた。でもそれはあんたたちが妹を連れ去ったからだ。それがカランの工場だったら、誰だって無茶をする」
「カラン?」
男は片眉を上げて見せた。ひっくり返った声が、更に不快に耳に残る。
「ああ。あそこは僕所有の薬品工場だよ。痛み止めの精製のために、カランも扱っていたかも」
嘘だ。
痛み止めを作るためには、カランは発酵させない。
昂自身は薬師ではないが、身近に薬師がいるので、そのくらいの知識はあった。
昂はよく考えずに、口を開いた。
この嘘つき野郎。
「発酵臭がした。カランを発酵させるのは、幻覚作用を引き出すためだけだ」
すっと男の目が細くなった。だがすぐに元の顔に戻り、自分の胸に手を置いて見せた。
「僕の工場ではそんなことはしない。僕が言っているのだから、それが真実だ」
僕が言うのだから……
強者の言い方だ。
男が少しも動揺しない様子を、昂は不気味に思った。バレたらやばいという焦りが全く感じられない。
不用意すぎたかもしれない。昂は内心冷や汗をかいた。この男は単純な裏社会の住人ではないかもしれない。
「まぁ、いいや」
不意に男が言った。
「一緒に食事をしよう。そこで僕の名前も教えてあげよう。そうすれば、君ももう少しまともに答える気になると思うよ」
そう言うと、部屋を出ていった。
昂と彩は部屋の中で動けずにいた。
食事をしようと言われたからといって、のこのこ出て行くのも癪に障ったし、認めたくはないが、幾分臆していた。
渋っていると、大男が部屋に入って寝台の前に立った。威圧する目で昂を見下ろす。
ひゅうっと昨夜の殺気を、首元で思い出した。昂は立ち上がり、彩を促した。
とりあえず敵を知らないと始まらない。
大男の視線を感じながら、昂は彩の手を引いて、階上に続く階段を上った。




