Ⅲ 予感 -13
凛は真っ暗な部屋で寝台に腰掛けていた。時々立っては窓から外を見てみる。ただそこには闇が広がっているだけだった。
待つしかないというのはつらいことだ。
何もできないし、何も分からない。
それでも、じっとそこにいなければならない。
バァーン
急に大きな音が聞こえて、外が一瞬明るくなった気がした。
凛は窓に駆け寄った。
港の方が明るくなっている。建物に炎が立っているのを凛は見つけた。
「なにあれ」
昂たちに関係があるだろうか。二人はまだ帰って来ていない。
昂は、ここで待っていてと言った。
彩を連れて帰って来るから、ここにいてと。
しかし帰ってこられない状況になっていたら?
わたしも見に行くか。せめてあの火事が昂たちに関係があるかどうか。
でも、その間にもし昂が戻ってきたら?
あの火事は全く二人には関係がなく、昂は外に出ていた彩を探し当て、何事もない顔で戻ってくるかもしれない。
「いくら暗闇が平気でも、夜に外に出ては駄目だよ」などと彩に言い聞かせながら。
だいたい
あそこにお前が行ったところで
何かできるのか?
凛はビクッとして上を見上げた。
そこには化け物がいた。
黒くドロドロした躰。毛の生えた何本もの足。
わたしだ。
わたしがわたしを食べに来た。
凛はただ見上げていた。
食べられる!
燦が食べられる!
コンコン
窓を叩かれる音が聞こえて、凛は窓を見た。
スッと視界から化け物が消えた。
窓に張りついている人物を見て、凛は驚いて声を上げた。
「隼!」
そこに張りついていたのは、自分が撒いた自分の護衛だった。
「来てたの?」
言いながら、窓を開けて、部屋の中に入れてやる。
ひどい言葉を言われて、隼は顔を引きつらせながら言った。
「そりゃ、あなたの護衛ですから」
「それより」
凛は隼の嫌味をさらりと流して言った。
「あの火事何か知ってる?」
なるべく平静に見えるように、はやる気持ちを抑えて訊いたのだが、隼の言った次の言葉に、平常心はふっとばされた。
「姫さまの連れ、やばいことになってますよ。あの火事の現場にいる。というか、火をつけた本人みたいです。あそこは麻薬の精製所で、二人は連中に捕まってしまいました」
淡々と説明する隼に、凛は喰ってかかった。
「そこまで知っていて、なんで助けないのよ!」
現場から来たらしい隼に、凛は怒り心頭だ
。
隼は首を横に振った。
「俺はあなたの護衛です。あなたの安全を、まず確認しなければ」
「役立たず!」
凛に怒鳴りつけられた隼は、はっきりと顔に「心外」とかいてあった。その顔のまま、頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
で……と続ける。
「あの二人を助けますか?」
「当たり前でしょ!」
怒りのまま当たり散らす凛に、隼はため息混じりに言った。
「それが二人を連れてった連中、厄介な相手なんですよ……」
面倒くさいなぁ、という心の声が、簡単に聞こえてきた。こいつはすぐに顔に出る。それだけで、隠密失格だ。
「厄介って、何がよ」
「ただのゴロツキじゃないってことです。あれは蒼碇の役人です。しかも、かなり上位の」
「え?」
凛の思考は停止した。
「麻薬の精製してたんでしょ」
「はい」
「それに蒼碇のお偉いさんが関わってるってこと?」
「珍しい話ではありません」
「そんなの、突入して暴いてやれば、イチコロじゃないの?」
「そんなことしたら暴いた奴ごと、証拠をもみ消されます。身元の分からない小娘と若造の言うことなんて、だれも本気にしません」
勉強になりますね、と嫌味たらしい笑顔を向けてくる。
「だいたいこういう場合は、中央に庇護人がいますよ」
さて問題です、と隼は人差し指を立てて見せた。ふざけた言い方に、これから出される問題とやらが、凛には容易に想像できた。
「こういう場合、どうするのが一番手っ取り早いでしょう」
凛は唇を噛んだ。
そういう立場を抜きにした自分を試したくて、この旅に出たはずだ。権威という重たい衣を脱いだら、自分はどうなるか。
どうもならなかった。
ただの小娘がいただけだ。
重たい権威を着る価値もない。
「ご自分で乗り越えた方がいい。こんなこと今からごまんとありますよ」
聞いたことがある言葉を隼が口にして、凛は目を見張った。
「聞いてたの?」
それはあの夜、空に言われた言葉だ。あの男はわたしにも構わず痛いことを言ってくる。それがわたしを傷つけるとか、悲しませるなどとは、一切頓着しない。空が気にかけるのは、いつもただ一人だ。
人の気も知らないで。
主人の気持ちを知ってか知らずか、隼は肩をすくめて言った。
「あなたの護衛ですから」
凛は吹き出した。
「隠密なら、聞かなかったふりしなさいよ」
自分と同じく未熟な隠密を見て、心が決まった。
「父上に手紙を書きます」




