Ⅲ 予感 -8
「ユースティス様!ユースティス様!」
慌てて飛び込んできた執事に、ユースティスは不機嫌な視線を投げてよこした。
「なんだ、騒々しい。一度呼べば聞こえる」
「お父上がお越しです」
執事がおびえたように言うと、ユースティスは持っていたペンを乱暴に置いた。
イライラして頭を掻きむしりたくなったが、そうはせずに冷たく問いただす。
「今日は何か約束していたかな」
「……いいえ、いつもの気まぐれかと」
もはや呼びに来たのを後悔したような執事の顔に、ユースティスは苦笑いした。
「すまない。八つ当たりをした。すぐに行く」
執事は深く頭を下げると、「ではお先に」と部屋を出ていった。
ユースティスは机の上を片付けると、身なりを整え、部屋を出た。
さて、父上は何の遊びをしに来られたのか。
それなりの役職にある父は、そんなに暇なはずはないのだが、こうして用もないのに息子の館にやってくる。そうして息子の神経を逆なでしては、満足して帰っていくのだ。一体何のためにここに来るのか、ユースティスには少しも理解できなかった。
まだ、女のところに行ってくれた方がありがたい。
結婚を神聖なものとしてとらえている太陽神の教えの真逆を行くように、父はユースティスの母である妻には興味を失い、あちこちに女を囲っている。
それがまた、ユースティスが父を嫌う一因となっていた。
「おう、来たか、我が息子よ。相変わらず、真面目だな」
昼間だというのに、父は酒を所望したらしく、テーブルには果実酒の入った器が置かれていた。すでに上機嫌の父に、ユースティスは内心うんざりする。しかしそれは顔には出さず、微笑んで見せた。
「相変わらずですね、父上」
まぁ座れ、と自分の家のように、ユースティスの父ラウルは、息子に椅子を勧めた。
「迷惑そうな顔だな」
ラウルは面白そうにユースティスを見た。
「いえ、まさか」
ユースティスは微笑んで返した。
その時、果実酒が運ばれてきて、ユースティスの前に置かれた。父と同じものだ。
その小さな手に、ユースティスはぎょっとした。
「ナル」
父が来たときはナルを表に出さないように、使用人たちに伝えてある。父がちょっかいを出すかもしれないし、ナルが檻に入れられていた時のことを思い出すと不憫だからだ。
誰が、勝手に……
「わしが呼んだ。あの時の子どもがどうなっているか気になってな」
そう言うと、ニヤニヤしながらナルを見た。
「だいぶ綺麗にしてもらったな」
ナルはその視線にまるで気が付かないように、無表情で立っている。
ラウルは手を伸ばすと、ナルのうなじを撫でた。ナルもビクッとしたが、それ以上にユースティスが反応した。思わず大きな声を上げる。
「父上!それはうちの使用人です!」
ラウルは面白そうに言った。
「お前、この子をだいぶ気に入っているな。名前まで付けてやったそうじゃないか」
「呼び名がないと不便ですので」
固い声でユースティスが返すと、ラウルは鼻で嗤った。
「本人には聞こえんだろ」
侮蔑の言葉にカチンときたが、ユースティスは何とか自分を抑えた。こうして相手が頭に血を上らせているのを見て楽しむのが、父の趣味だ。
ところで、とラウルは続ける。
「別にそれだけの為にここに来たわけではない」
そうだと思っていたユースティスは、面食らった。
「というと?」
「お前にいい話を持ってきた。とびきりだ」
ユースティスは悪い予感しかしなかった。だいたい父の言ういい話で、いい話だったことはない。
「婚約者が決まったぞ」
「婚約者?」
ユースティスは二十二歳だ。確かにそう言う話が持ち上がってくる年頃だ。しかし、今のところ興味がなかった。
父ラウルはニヤリと笑った。息子の反応が楽しみで仕方がないようだ。
「大公殿下の第二公女だ」
ユースティスは、あんぐりと口を開けた。
「第二公女様って、確か……」
ユースティスの反応は父を大いに満足させたようだ。ラウルは上機嫌に言った。
「御年十歳であらせられる」
ユースティスの頭は真っ白、いや真っ黒になった。何を企んでいる?何か企まないと、こんな婚姻の発想は出て来ないだろう。
そして、そんな企みに乗ってくる、大公家の浅ましさを思った。かつて、太陽神の息子として称されたという太陽王。今ではその威厳の片鱗も感じられない。汚い権力争いの渦中にあっさり巻き込まれる。しかも、たった十歳の幼い娘を贄にして。
「……それは無体な話でしょう」
ユースティスがかろうじてそう言うと、ラウルはそう言われるのを、予想していたようだ。あっさりと切り返す。
「お前も次期当主だろう、よく考えることだ」
ユースティスは眉間にしわを寄せ、目を閉じた。その上から父の声が降ってきた。
「これだけは言っておく。これは、公女様自ら望まれたものだ」




