Ⅲ 予感 -6
?
夜中に昂が目を覚ますと、空が寝ているはずの隣の寝台は空だった。
体を起こし、反対側を見ると、彩は寝息をたてて眠っていた。しかしその向こうで寝ているはずの凛がいない。
空と凛?
まさか空、あんな小娘に手を出したりしないよな?大体、菫のことで、空はこっちの女はこりごりだという風に言っていた。大人になっているかも分からない凛に、何かするとは思えない。
そう思いながらも、昂は寝台を抜け出した。彩を起こさないように、そろそろと部屋の入り口へ向かう。彩を一人で残していくのは少し心配だが、空と凛のことも気になって仕方がなかった。凛は空を避けている風だったし、空は初対面の相手であるにもかかわらず、凛にあまり構わなかった。
そっと扉を開けると、階下の方で気配がした。音を立てないように階段を降りる。
くぐもった声が、宿の中庭から聞こえてきた。
男の影と小柄な女の影が、中庭の建物の壁際で話している。
「このまま向かえば、いずれ話さなくてはいけない時が来ますよ」
潜めているが、声の主は空のようだ。
「分かってる」
返事をした声が凛の声だったので、昂は驚いた。明らかに二人は知り合いで、しかも空は敬語を使っている。
一言言ったきり、凛は黙り込んでしまった。空の深いため息が聞こえた。
「先延ばしにしたって、いいことありませんよ。あそこまで連れて行くんならね。大体つじつまが合わなくなる……俺が言いましょうか?ここを出る前に」
凛の影が首を横に振るのが見えた。
「待って。わたしが自分で言うから」
「……狼公の館でのことがあったからですか?二人死なせてしまった」
「……」
もう一度、空は深く息を吐いた。明らかに、凛に聞かせるためだ。
「あいつに言われるであろうことが分かっているなら、結構です。確かに自分で乗り越えた方がいい。これから、そんなことなど、ごまんとあるでしょうから」
凛はうつむいたまま、動かなかった。
「二人が起きてしまってはいけない。戻りましょう」
空がそう凛を促すのを聞いて、昂は慌ててその場を離れた。
「じゃあ、俺は奏を探しに行ってくる。昂たちはとりあえず蒼碇という港町を目指せ。まぁ、そこまでは、馬車を使えばいい」
空はすでに馬車を手配してくれていた。御者は気の良いおじさんで、どうやら空の知り合いのようだ。
「よぉ、久しぶりだな。その子らはあんたの子かい?」
「いや、姉さんの子だよ。俺のとこは、まだ恵まれなくてね」
「そうかい。こればっかりは、神さまの思し召しだからね。気にすんな。緑銅にいる奥さんは元気かい?」
「ああ、元気だよ」
二人のやり取りを聞きながら、昂は何も口を挟まなかったが、空を見る目がだんだん険しくなってしまった。
俺がいつ甥っ子になったんだろう。菫とはいつ夫婦になったんだろう。
空の言うことを今後一切、鵜呑みにするのは止めようと、昂は自分に誓った。
隠密なら、自分の身元を詐称することくらい日常茶飯事なのだろうが、空を気に掛ける人の好い御者の顔を見ると、こちらが気まずく感じてしまう。
凛の顔にも「信じられない」と書いてあった。
「じゃあ、頼んだよ」
朗らかに言って、空は三人に馬車に乗るように促した。
「あ、ちょっと待って」
昂が慌てて、空に駆け寄る。
「これさ、どうすんの?空が持っていけばいいんじゃない?」
懐から出したのは、青から預かった筒だ。本当は空が凛という人に渡すつもりだったという筒。
「ああ」
空は目を眇めた。その目を見て、昂は一瞬ドキッとしてしまった。愛おしいものを見るような目。空がそんな目をするのを、昂は初めて見た。
それは一瞬のことで、すぐに空の目はその彩を失った。元の、何を考えているのか分からない目に戻ってしまった。
「それ、昂が持っていてくれたんだね」
昂が差し出した筒を、空はやんわりと昂の胸元へ押し戻した。
「昂が持って行って。行先は同じだから」
「でも、俺、その人を見たこともない。いくら全輪にいるからって、探し出せるとは思えないよ」
まぁまぁ、と空は昂の肩をたたいた。
「大丈夫だよ。絶対分かるから」
そう言うと、彩を抱き上げ、馬車に乗せた。続いて、凛に手を差し出す。
凛は何も言わずに、空の手を取り、馬車に乗りこもうとする。凛が入り口をくぐる時に、空が口を開いた。
「俺も終わったらソコに行くから」
凛が微かに頷いたように、昂には見えた。
凛が乗り込んでしまうと、空は取り残されている昂を振り返った。
「昂も手助けがいるかい?」
昂は慌てて首を横に振ると、そそくさと馬車に乗り込んだ。




