Ⅲ 予感 -3
くぼ地に落ち着くと、空は慣れた様子で水を探しに行った。
この山に来たことがあるのだろうか。
針森とは全く違う様子の空に、昂は戸惑っていた。なんだか、空の雰囲気にのまれてしまって、見つけたら訊いてやろうと思っていたあれこれを、昂はまだ訊けずにいた。
凛の様子も気になる。こちらも人が変わったように大人しくなってしまっている。空を避けているくせに、気になって仕方がないようだ。初対面でも、俺の時とは全然違う。
彩だけが変わらなかった。奏のことを話すと、コクンと一度だけ頷いた。
「近くにいないことは分かっていた」
そう静かに言った彩を、昂はギュッと抱きしめた。片割れがいなくなったのだ。寂しくないはずがない。
「ごめんな」
昂が謝ると、彩は大丈夫と呟いた。
「奏の目が見えた。そんなに嫌な感じじゃなかった。一瞬だけど、男の人が視えた。優しそうな笑顔だったよ」
最悪の状況ではないらしい。昂はほっと息をついた。
傍らで、凛が驚いている。彩が視えたのを見るのは、初めてらしい。
「へぇ、そうやって視えるんだね」
空が水を汲んで戻ってきた。先ほどのやり取りを見ていたらしい。
「彩ちゃんだっけ?はじめまして、空と言います。君たちのことは、玲様に聞いているよ」
「玲様に?」
昂は驚いて訊き返した。彩からも驚きが伝わってくる。
「あれから、針森に戻ったの?」
重ねて昂が聞くと、空はそうだよ、と頷いた。なんとなく踊らされているような嫌な感じがして、昂は空を睨んだ。
「もう一回訊くけど……あんた何者?緑銅の町で、菫という人に会ったよ。あんたのこと、すごく怒ってた」
菫の名前を聞いて、空はバツの悪い顔をした。なぜか凛をチラリと見る。
「針森に帰る前は、緑銅にいたんだよ。そこで、その……一緒に暮らしてた」
「急にいなくなったって」
菫の憤怒といってよい恐ろしい顔を思い出して、昂は空に問いただした。
「ああ、ちょっと仕事がね……」
「仕事ね……」
昂は呆れたように繰り返した。薬師の仕事ではないことは、訊かなくても分かる。この恐ろしく薄情な男は、仕事のために、菫のところに潜り込んでいたのだ。
「彩、ちょっと周りを散歩してみよう」
急に凛は立ち上がり、彩の手を握った。
子どもに聞かせる話ではないと思ったのかもしれない。
「あまり、遠くに行っては駄目だよ」
空がそう言ったが、凛はそれには答えずに、彩の手を引いて歩き出した。気のせいか、空に対してわざと無視したように見えた。
二人が行ってしまうと、昂はもう一度空に向き直った。
「で、あんたの仕事っていうのは?」
空は二人が歩いていった方に、目を向けていたが、昂に目を戻すと、あっさりと言った。
「炎国王の隠密」
現ガザ国王の名前に、昂は目を丸くした。
「国王の?」
「そう、昔からの知り合いなんだ」
昔からって……蘭より若い薬師の顔をまじまじと見る。
空が行方不明だったという十年間。その前半は、ガザの動乱期だったはずだ。
その結果、今の国王が即位したと聞いている。もちろんそれに至るまでに、彼の周りの人間が暗躍しただろう。
「じゃあ、なんで針森に帰って来たんだ?」
もっともな疑問を空にぶつける。もしかして、何か針森に対してたくらんでいるのか?
しかし空は何でもないことのように言った。
「もう、やめたんだよ。たまに呼ばれちゃうけど。俺は今は針森の薬師だ」
全然信用できない。もっとも、空も信用されていないことは分かっているようだった。
「とりあえず、都に向かうんだろ?俺も途中まで、一緒に行くよ」
「途中まで?」
また急に消えるのか?
昂が不信の目を向けると、空は昂を追い返すように手を振った。
「奏の情報が入ったら、そっちに向かう」
あ。
昂は口を開けたまま、空を見た。まだ間に合うのか?取り返せるのか?
「優しそうな若い男が映ったんだろ?やってみる価値はあると思うぜ」
確かに空が隠密をしていたのなら、得意分野だろう。素直に感謝したいところだが、空の澄ました顔に腹が立った。
だいたいこいつは、いろんな人の人生を、かき乱していった自覚があるのだろうか。青のあきらめた顔、菫の激怒、そして自分。




