Ⅱ 外側 -31
「逃がしてよかったんですか」
側近は忌々しそうに言った。狼公はそれには答えず、自分の顎を撫でていた。狼公が考え事に没頭した時の癖だ。
「あんな紐がついていたとはな」
狼公はぼそりと言った。
数時間前に男が訪ねてきた。
見知らぬ男ではない。近年会ってはいなかったが、十数年前にはよく自分の前に現れた。それはあまり歓迎する形ではなかったが、それでも自分がこの地位にいられるのは、彼が目を逸らせてくれたからだ。
「お久しぶりです。景気がよさそうで何よりです、狼公」
笑顔でも彼の目は笑っていなかった。
「ここに僕の知人が、何人かお世話になっているみたいです。どうやら今日ここを出る段取りをつけているみたいなので、連れて帰りますね。追手をかけても、深追いはしないでください」
彼が自分と通じていると感づかせるなというお達しだ。この男の常套手段だった。
「分かった」
売ってしまった耳の聞こえない子どもが、彼の知人に入っていないことを願いながら、彼は頷いた。しかし、男は続けて言った。後から言うのが、この男の嫌なところだ。
「一人足りないようですが、どうしました?」
分かっていて、言う。しかし狼公としても、子どもを売った先は、違う意味で切ることが出来ない相手だった。
汗をにじませながら黙っていると、男はあきらめたようにため息をついた。
「分かりました。そちらは僕が取り返しましょう。いいですか」
念を押す男に、狼公は目だけで頷いた。
「悪いことは止めて下さい。二度目はないです」
男はそう言うと、部屋を出て行こうとした。
「あいつらは誰だ?」
去ろうとする男に、狼公は思わず尋ねた。
扉を開けかけていた男が振り返った。その顔を見ただけで、狼公は尋ねたことを後悔した。
「訊かない方がいいですよ」
そう言うと、男の姿は扉の向こうに消えていた。




