Ⅱ 外側 -30
凛が後ろをついてくるのを感じながらも、昂は彩を背負って悲鳴を上げている腕と足を、なんとかごまかして走っていた。
裏木戸から女たちが出たことを、気づかれたくなかった。木戸から無事に出られても、外にまわられれば、あっという間に捕まってしまう。
先ほど倒した二人を除けば、何人逃げたかなど、誰も把握していないだろう。今、御前試合後の宴で、兵士も使用人も無礼講で飲んだくれている。
心配なのは、狼公直属の暗殺部隊だ。奴らが出てくるか。
女の叫び声と、倒れた兵士を残していく以上、後々の為にも、陽動しておく必要があると昂は思っていた。
案の定、パラパラと近づいてくる足音が聞こえてきた。まとまりがない音が酒の入った足音で、整然とした音が暗殺部隊だろう。
相手がどれほどの力量か分からないが、二人の女を庇いながらでは、到底勝ち目はない。
かといって、彩を背負って走り続けて、逃げ切れるとも思えなかった。
後ろで凛が足を取られたのが分かった。地面がぬかるんでいるのだ。ズルッと滑る音が聞こえて、振り返ると、凛が地面に手をついていた。その向こうには、追手の先頭が見えた。
仕方ない。
彩を下ろすと、凛を引っ張り上げ、立たせる。二人を背後に隠しながら、言った。
「凛、彩と出来るだけ遠くへ逃げろ。俺もすぐ行くから」
そう言っている間にも、追手はすぐ後ろに迫っていた。
凛は彩の手を引っ張って走り出した。
昂は追手に集中する。
一、二、三……六人。なんとかなるか?
敵が仕掛けてくると同時に、腰を深く沈めた。敵は拳が空振りし、上体が泳ぐ。そこに昂は飛び上がる勢いもろとも拳を打ち込んだ。
「ぐえっ」
つぶれたような声が漏れて、一人目が沈んだ。だがその後ろから、すぐに二番手がしかけてくる。
昂は複数と戦った経験はない。村での喧嘩は常に一対一だ。
相手が繰り出してきた暗器をギリギリで躱した。態勢を立て直す前に、三番手が攻撃してきた。
躱しきれない。
そう思った時、声がした。
「まぁ、そうだよね」
この状況で妙に呑気な声と共に登場した男は、今まさに昂の腹に蹴りを入れようとした三番手の腕を取ると、ひょいっとあらぬ方向に曲げた。
「ぎぃやぁぁあ」
三番手は絶叫し、腕を抑え、悶絶した。
更にバタバタと敵が倒れていった。
昂の目では追えなかった。
それどころか、どこから現れたのかも分からなかった。
すべての敵が倒れた後、一人の男が笑いを含んだ顔で、こちらを見ていた。
「やぁ、久しぶり、昂」
そして、昂の頭を指さした。
「似合うね、それ」
「……空」
昂はやっと声が出た。
目の前に空がいることが信じられなかった。五人もの敵を一瞬で倒した人が、空であることも信じられなかった。
「あんた、何者?」
思わず出た言葉に、空は首を傾げた。
「針森の村の薬師だよ。知っているでしょ?」
薬師としての空は知っているが、こんな空は知らない。確かに体は敏捷で、ナイフの扱いは抜群にうまい。しかし、それは森の中での話だ。
見知らぬものを見るような警戒心は、確かに昂を足止めした。しかし、やはり安堵の方が大きかったようだ。緊張が解けて、へたり込みそうになるのを、必死で押さえた。
そんな昂を、空は目を細めて見ていた。
と、その視線が昂の後ろに注がれた。
その動きで、昂は二人のことを思い出した。
振り返るとやはり、彩の手を握りしめた凛がこちらを窺っていた。見知らぬ男を警戒しているのか、近づいて来ない。
昂は大丈夫だという風に、片手を上げた。
それでも凛は動かない。
大丈夫だと、大きな声で叫ぼうとした昂の肩を、空が触った。
「大声を出すな。早く出るよ」
そう言って、スタスタと凛たちの方へ歩き出した。
凛は警戒は解かないが、逃げもしない。じっと空を見つめていた。
「あの娘は?」
歩きながら、空は昂に訊いてきた。
「凛っていう名前だ。彩を助けてくれた」
昂がそう言うと、空は立ち止まって、まじまじと昂を見た。昂も驚いて、空を見返す。
「凛だけど……あの凛じゃないよな?」
蘭の妹だという凛。しかし歳が合わない。
空は我に返ったように、何度か瞬きした。
「ああ、そうだな」
空は凛たちの横を通り過ぎながら、走り出した。
「ここを出よう」
昂は彩を抱き上げ、凛を促す。
「あの人は大丈夫。俺の同郷なんだ。ついておいで」
手短に言うと、凛は驚いて目を見張ったが、黙って頷いた。




