Ⅱ 外側 -28
裏門の側にある番小屋が見えてくると。凛は二人の女に物陰に隠れるよう指示を出した。ここから先で見られると、さすがにまずい。
別のルートからやってくるはずの男とその息子の二人の姿が見えなくて、その妻である女が動揺した顔でキョロキョロし始める。凛は女を宥めた。
「子どもに不安が伝わるわ。わたしが見てくるから、子どもたちをお願い」
そう言うと、彩の入っている箱から、籠を取り出した。番小屋への差し入れが入っている。
凛はそれを持つと、意を決して、番小屋へ向かった。
戸をたたくと、中から不機嫌そうな返事が返ってきた。
「だれだ?」
「お役目お疲れ様です。差し入れを持ってきました」
少し緊張した声だったかもしれない。そう思っているうちに、戸はすんなり開けられた。
「おう」
入り口で出迎えてくれたのは、ひげもじゃの気がよさそうな兵士であった。差し入れと聞いて、すぐに機嫌が直ったのか、嬉しそうに籠を受け取った。ペロリと上にかけてあった布をめくり、中を覗いている。
その時、闘技場の方から、大きな歓声が地鳴りのように、こちらに向かって鳴り響いてきた。
思わず凛の体がビクッとする。兵士は闘技場の方へ向けて、身体を伸ばした。
「くそっ、いいなぁ」
よりによって御前試合の時に、番小屋の見張り当番なんて、ついていない。
後で仲間に試合の詳細を聞くことを思うと、また腹が立つ。それでも聞かずにはおられないのだ。
楽しみの少ないこの館の中で、御前試合は兵士にとっては貴重な娯楽だった。
凛は笑顔で同意した。
「すごい盛り上がりですね。なんでも今年は、使用人が決勝までいったとか」
昂の顔を思い浮かべながら、凛は兵士に言った。
見る間に、兵士の目が驚きで見開かれていく。
「本当か?」
「ええ、始まったんじゃないですか、決勝」
兵士はそわそわし出した。凛の思惑通りだ。これで任務をほっぽりだして、試合を見に行ってくれれば、御の字だ。
しかし、奥からくぐもった声が聞こえてきた。
「馬鹿言うんじゃねぇ。今日は逃亡者が二人出ただろ?まだ、いるかもしれねぇ。油断すんじゃねぇよ」
凛の喉がヒュッと鳴ってしまった。幸い、男たちは気が付かなかったようだ。
入り口の兵士が面白くなさそうに、舌を鳴らした。
「あいつらの死体を転がしときゃ、誰ももう逃げねぇんじゃねぇか」
気がよさそうなままの顔で言う。凛の背筋を戦慄が走った。
男とその息子は、捕まって殺されたのか。凛は、男の妻の不安そうな顔を思い出した。
「馬鹿が。祭りの日にそんなことをしたら、狼公がお怒りになるだろうが。今日はとにかく穏便にだよ。あきらめな」
人の死より、狼公の気分に重きが置かれる。穏便に。それが兵士たちにとって、日常的な仕事上の処理なのだ。
怒りで震えそうになるのを、凛はかろうじて抑えた。
まだ、だめだ。あの人たちだけでも、助けなくては。
入り口に立ち尽くしている凛に、ひげもじゃの兵士は怪訝な顔をした。
「もう行っていいぞ、姉ちゃん。これ、ありがとよ」
凛ははっと我に返り、あわててお辞儀をすると、踵を返した。背中に兵士の視線を感じながら、皆が隠れている方とは別の方向にスタスタと歩いていった。
闘技場に行かせることは出来なかったが、差し入れの酒には眠り薬を入れている。
きっとうまくいく。
凛は自分を奮い立たせるように、自分に言い聞かせた。
こいつは……
決勝戦、大歓声に煽られて、闘技場に姿を現したのは、覆面をした細身の男だった。
目しか見えていないので、表情まで分からないが、その目は極めて平静に見えた。
今までの相手とは違う。
凛が言っていた。恐ろしいのは試合に出るような兵士ではなく、狼公直属の黒い部隊だと。そいつらは普段は表に出て来ない。あくまで裏に徹する。
使用人ごときが優勝しそうなので、出してきたのか?
他の試合をしっかり見たわけではないが、覆面の男を見た覚えはなかった。
しかし、出してきたからには、こいつと戦わなければならないということだろう。これは狼公のための試合なのだ。
覆面の男は剣を提げていたが、構えるでも、切りかかってくるわけでもなかった。ただ、様子を見ようというのか、昂をじっと見ている。
やりにくい。
相手が討ちかかってきたところを、避けて懐に潜り込む。それが昂の戦い方だった。相手が攻撃してこないと、それが出来ない。
しかしこのままでは、負けることも出来ない。
昂は短剣を左手で握りしめると、相手に向かって行った。
剣で受けられると、昂の黒曜石の短剣は負けてしまう。昂は打ち込むふりをして、後ろに飛びのいた。相手が剣を振ってしまってから、懐に入ろうと思ったのだ。
しかし覆面は剣を振らなかった。更に一歩踏み込んでくると、あっさり昂の短剣を剣の先で弾き飛ばした。
その後昂は、何が起こったのか分からなかった。覆面の姿は眼前から突如消え、ふわりと何かが香ったかと思うと、首筋に冷たいものが当たった気がした。
その感触を最後に、昂は暗闇に落ちた。




