Ⅱ 外側 -27
御前試合当日。使用人たちの控室の雰囲気は最悪だった。当然だ。これから剣や槍やら斧やらで追いかけまわされ、嬲られ、下手したら死んでしまうのだ。
一応、使用人用に使い古された武器が、控室の横に積まれていたが、錆びていたり、刃が欠けていたり……使えそうなものは、ほとんどなかった。
皆、運よく生き残れるようにと神に祈り、誰も活躍の予感に胸を膨らませている者はいなかった。
昂はあらかじめ森の中で黒曜石を見つけており、それを薄く鋭く削っていた。それに柄をつけて短剣にした。信の作業を幼いころから見ていたので、見様見真似でもなんとかなった。ただ、相手の武器を受けるのは無理だろう。攻撃を避けて、懐に飛び込むしかない。
「おい、そんなんで、本当に大丈夫か?」
ロカが昂の石の短剣を見て、眉を顰めた。
例の作戦の決行日は今日だ。それが成功するか失敗に終わるかは、昂の試合での活躍にかかっている。
昂は、短剣を見つめ、ニヤリと笑った。
「大丈夫。いつもこれでやってたから」
それより……と声を潜める。
「ロカは大丈夫なの?」
ロカも声を潜めた。
「大丈夫。相手と話はついているから」
初戦の相手が誰なのか情報を手に入れ、相手に、殺さないように負けさせてくれと、交渉したのだ。もちろん何かしらの見返りをたっぷり渡したはずだ。それはここでの情報も人脈も、見返りを用意できるツテも持っている、ロカしかできない裏技だった。
「ま、せいぜい盛り上げてくれよ」
ロカはそう言って、どこかに行ってしまった。まぁ、頼んだことは断らなかったので、やってくれるだろう。
昂はとりあえず、自分の試合に集中することにした。
風上の方から大きな歓声が聞こえてきた。
彩は傍らの凛に囁いた。
「あれは?」
凛は闘技場の方を見やった。昂はうまくやっているのだろうか。ここからはもちろん見えない。昂の作戦が成功するかも分からないのに、見切り発車で、囚われ人たちの命を懸けていることに、凛は今更ながら慄いた。
でも、やると決めたのは自分だ。
何か為すために、危険も代償もないことなどありえないことは、凛はよく分かっていた。
もしかしたら、助けようとしている人全員、そして話をもちかけた昂の命も全部、失ってしまう可能性だってある。わたしが助けようとしたばっかりにだ。
分かっていて、それでもやろうと決めた。
逃げ出すことは、自分が許さない。
「昂が戦っているのよ。私たちが逃げる機会を作るために」
そう言うと、台車に乗っている大きな箱に彩を入れた。その上に麻袋を入れる。
「ちょっと苦しいかもしれないけど、じっとしていてね」
凛は台車の持ち手に手をかけると、左右の女たちに頷いた。
女たちは頷いて、背負子を背負った。中には子供が入っている。母親の背の方が、台車にのせるより安心するだろうという、凛の考えだった。上の方に木の枝を積んで隠してあるが、できるだけ人には会いたくなかった。
昂が闘技場で派手に兵士たちに勝っていき、警備兵や使用人たちが熱狂して、注意を逸らす。その間に、凛が屋敷の裏門近くに囚われ人を連れて行く。人の少ない道や、裏門の警備情報、鍵のありかはロカが教えてくれた。
「じゃあ、行きましょう」
凛はなるべく普段の声を出した。急いだり、緊張している雰囲気をだしていると、不審に思われてしまう。
闘技場の方が気になりながらも、薪を運ぶ女たちの振りをして、三人は進み始めた。
大男が大剣を振り下ろしてくるところをかいくぐり、昂は男の後ろに回った。がら空きになったふくらはぎを深めに切り裂くと、男は大声を上げて膝をついた。
飛び上がり、その頸の後ろに全体重をかけて、肘打ちする。男は声もたてず、昏倒した。
観客から大歓声が上がる。昂は手を振って答えた。使用人たちは手をたたいて喜び、兵士たちからは仲間を指さし、大笑いしていた。
次が決勝だ。昂は五人勝ち抜いてきたが、さすがに疲れてきていた。急所を狙わずに、仕留めるのは思ったより難しい。体力を何倍も使う。
しかも、決勝では勝ってはいけない。盛り上げるところまで盛り上げて、殺されないように負けるのが、今回の計画だった。
皆が勝者を祝福している間に、自分が脱出するのだ。傷だらけの敗者が、どこで治療しようと誰も気にしないだろうというのが、昂の目論見だった。
ふっと、絡みつくような視線を感じて、目を上げた。上げた先には貴賓席が見えた。逆光で見えないが、あそこに狼公が座っている。
せいぜい俺を値踏みするがいい。
俺はお前のものにはならない。




