Ⅱ 外側 -17
「まぁな、お前の気持ちも分かるけどな」
一緒に作業をしていた男が、割れた薪を集めながら、のんびりと言った。
男の名前はロカという。アウローラ公国出身だが、国にいられなくなり、ガザへ逃げ込んだところで、狼公の人狩りにあった。しかし買い手がつかず、ここで働いている。
ひどい目にあったにしては、狼公を恨んでいる様子もない、不思議な男だった。
使用人の部屋にぶち込まれた夜、昂は散々叫んだのだが、部屋はもちろん一人部屋ではなかった。同室にはロカをはじめ、あと三人の男が寝台にいた。
昂が叫ぶ内容で、何となく事情を察したようだった。それに似たようなことは日常的にある。
「ロカはだれかと一緒に捕まったのか」
イライラが落ち着いた昂は、ロカに訊いてみた。ここの連中に溶け込みたくなくて、あまり周りに関心をもたなかったのだが、そんなことは言っていられない。ここに来て、部屋に入れられて数日たったが、初日以来、狼公の影もみていなかった。
「いや、俺は一人だ」
「……そうか」
ため息をつきながら、昂は相槌をうった。それにしても、奏はなぜあんなに早く売れてしまったのだろう。連れ去られて、丸一日もたっていなかったはずだ。
暗い顔の昂を見て、ロカが口を開いた。
「コウの弟さん、いくつだったんだ?」
「七歳だよ。なぁ、なんであんなにすぐに売られてしまったんだと思う?しかも、あいつは耳も聞こえなかったし、口もきけなかった。そんな子を買ってどうするんだ?それとも、耳が聞こえないこと、
バレなかったのかな?」
何度もぐるぐる回る疑問をぶつけてみると、ロカは気の毒そうに昂を見た。
「それだよ、すぐ売れちゃったわけ。耳が聞こえなくて、しゃべれないとなると、秘密を守るのに好都合だ。秘密をたっぷり抱えたおえらいさんに、重宝がられる。どんな密談をしてたって、聞こえないと知りようがないし、しゃべれないと、暴露も出来ない。その子は文字が書けるのかい?」
「多分……書けない」
七歳なら書けないだろう。そもそも村ではあまり文字を必要としない。名としての文字は昔からあったが、それは名を表すだけだ。外との行き来が盛んになった最近では、生業によっては文字を使うようになってきたが、一般的ではなかった。口伝師は村の知識を口から口へ伝承する。文字は元来必要ではない。
おや?と昂は頭の端で引っかかりを覚えた。
口伝師は口から口へ伝える。耳が聞こえない奏は、どうやって口伝師になり得るのか。
「完璧だ」
感嘆したようにロカが呟いたのが聞こえて、昂は現実に引き戻された。
「下衆が」
昂は吐き捨てるように言うと、怒りを薪にぶつけた。
斧がそのまま切り株に食い込んで、抜けなくなる。手が反動をもろに受けて、ジーンと震えた。昂は斧から手を離した。
昂は斧から手を離しても、しばらくその場から離れなかった。
急にぼんやりした昂を測るように見ながら、ロカは昂の横から斧を手に取った。
「代わるよ」
言いながら、昂に避けるように促す。
昂は素直に少し離れた。
ロカは斧を切り株から引き抜くと、新しい木を切り株に置いた。斧を振り下ろす。
中心は微妙にずれ、やはり木は下まで割れなかった。気にする様子もなく、ロカは木をくっつけたまま、斧をもう一度振り上げ、下ろす。難なく木は割れた。
「でも、狼公は緑銅の人間からは、感謝されてるよ」
もちろん、恐れられてもいるけどね。
そう付け足して、ロカは続けて薪を割っていった。リズミカルにとはいかないが、それでも薪は積みあがっていく。
「どういうことだよ」
昂は目を怒らせて、噛みついた。
あの狼公の手下の態度。それに女将の怯えよう。どうしたら、あれに感謝できるっていうんだ。
「狼公が人身売買の元締めをしっかりしているから、よそ者の危ない業者が手を出さない。あいつらは手段も、売り先も選ばないからね」
他の土地に行くときは、そういう輩に気を付けなくてはいけないという。捕まれば、人ではなくなる。
「それに、狼公は土地の人間は狩らない」
ロカは意味ありげに、昂を見た。振り下ろした斧が、小気味よい音をたてて、木を真っ二つに割った。
「俺やコウみたいに、よそ者だけを狩るんだ。だから、土地の人間は安心なのさ」
昂は言葉を失った。
菫の親切も、女将の涙も、急に空々しいものに感じて、昂はぶるっと体を震わせた。




