Ⅱ 外側 -15
灰色の道を右へ左へと幾度となく曲がる。
まるで迷路だ。同じ場所にたどり着くのは、困難かもしれない。
大男は迷いなく歩く。
やがて一つの扉の前に立つと、男はゆっくりと二回ノックをした。これまでたくさん見てきた扉と何ら変わらない、普通の扉。他と区別がつかない。
中からくぐもった声が聞こえてきた。
大男は慎重に扉を押した。
この男だ。
部屋にいた男を見た瞬間、昂は納得した。
皆が恐れる狼公。
その部屋は普通だったし、男が座っていたのは普通の肘掛椅子だ。目の前の机も何ら豪華でも荘厳でもない。黒い皮張りの椅子に、執務机。そこに座っている男は規格外だった。
もう老人と言っていい風体だ。それなのに生気が満ち満ちている。
太い眉からせり出している目は、ぎょろりと昂を睨んでいた。
肌の色はくすんでいて、灰色に見えた。
引きつった口から、今にも牙が見えてきそうだ。
その顔がニタリと笑った。
「ほう、報告通りだ」
そうつぶやいて、ぎょろりとした目が動き、昂の頭のてっぺんから足の先までを、舐めとるように見つめていった。
昂の身体が総毛だつ。
「どこがいい?」
昂をじっと見つめたまま、狼公は口だけ動かして言った。
「どこ?」
「東西南北、お前はどこへ行っても、高値で売れるだろう。お前のその美貌への、せめてもの餞別だ。選ばせてやる」
狼公は褒めたつもりだろうが、昂はちっとも嬉しくなかった。
「俺はどこへもいかない。弟妹を引き取りに来ただけだ」
「そうか、と言って、俺がお前の妹たちを引き渡すとでも?」
おもしろそうに、狼公は笑った。自分の絶対的有利を信じて疑わない態度だ。すべてが自分の思い通りになってきた者の、嘲笑。
昂は次第に焦り始めた。自分が他へやられてしまったら、二人を探すのは困難になってしまう。
自分が商品として売られるということを、昂はどこかで信じていなかった。あの不幸顔の男にいくらそう言われても、どこかで、何かの間違いだと思っていたのだ。
しかし、狼公の口ぶりには、もはや希望的観測の入り込む余地はなかった。昂は相手に一泡吹かせて、ここに乗り込んだのではない。まんまと自ら商品になりに来てしまった。
「俺を売ったところで、相手から文句が出るぞ」
何とかそう言うと、狼公は愉悦の表情を浮かべた。
「お前は自分の価値が分かっていない。そこがまたいいんだろうが。わしの手元に置いてもいいと思うくらいだ」
そう言って手招きする。
昂はごくりと唾を飲み込むと、狼公に近づいた。狼公の灰色の手が、昂の頬を撫でた。
体中が拒絶反応を起こし、どっと汗が噴き出た。それでも昂は踏みとどまった。
「そうか、じゃあ妹たちも一緒にいいか?」
会うことさえできれば、どうにかなるはずだ。居場所も分からないこの状況では、広い屋敷の中、どうすることも出来ない。
「いや、ガキは好かん」
狼公はすげなく却下する。
「……じゃあ、無理だな」
内心の落胆をひた隠して、昂は離れようとした。その腕を、狼公が掴んだ。
「お前、ナイフが使えるそうだな」
昂が腕を振りほどこうとするが、老人の手は離れようとしない。
「あれはやつがノロかったからだ。動いているものに当てるのは、無理だ」
これ以上興味をもたれるのは嫌だった。
それには構わず、狼公はグイッと顔を近づけてきた。
「お前、名は?」
それには答えず、昂は力を込めて、腕を振った。狼公の手が離れる。
「……俺の名前が必要か?」
拒絶を込めて、吐き捨てるように昂がそう言うと、狼公は嗤った。
「どうせモノだろう?」
そう凄むと、狼公は椅子に背中を戻した。
昂は中途半端な姿勢で立ち尽くした。
その姿を眺めて、狼公が言った。
「よし、いいだろう。わしに妹付きでもお前を欲しいと思わせることが出来たら、妹ともどもわしが貰おう。妹が売れてしまう前に引き取ってもらえるよう、がんばるんだな」
その言葉は信じるには、あまりにも胡散臭かった。しかし、時間を稼ぐためにも、そうするしかなさそうだ。
「分かった」
昂がそう返事をすると、それが合図なのか、大男が昂を促した。部屋を出て行く昂の背中に、狼公の声が追いかけて来た。
「そうそう、男が商品になるという証があるぞ」
昂は振り返らずに、全身で聞いた。部屋を出たその時に、狼公の声が耳に届いた。
「お前の弟は、早々に売れた」
「なっ」
振り返った鼻先で、扉は音をたてて閉まった。




