Ⅱ 外側 -11
事実だけ言うと、昂は自分で荷造りし、自分の足で、狼公の許へ向かった。
彩と奏は、兄が支度をしている間、狼公より迎えが来た。
そういう建前にする。幼い子どもを攫い、それをネタに兄を脅したのではないという体裁を整える。狼公のいつものやり方だった。
狼公というのは、緑銅の元締めみたいな人物だ。表のものも、裏のものも、狼公の息がかかっていないものはなかった。
彼の機嫌を損なわなければ、この町では、彼の存在すら感じず、生きることが出来る。だが、何かに少しでも引っかかれば、この町にはいられなくなる。
二人が部屋にいないことを確認した昂は、食堂に戻り、男の前に立った。
「二人はお前たちのところか?」
昂の胸の内は冷たい怒りが湧きたっていた。しかし、出てきた声は、落ち着いていた。
ヒュウッと、男が口笛を吹く。
「いいねぇ、そんな顔もできるんだ」
相手を嬲るようにニヤニヤと嗤っている。
昂は近くのテーブルに置いてあったナイフを取ると、右手で無造作に投げた。
ナイフは円を描いて飛び、男の右耳をかすめた。男はアッと言って、耳を抑える。押さえた指の間から、血が流れ出た。
「お、お、お前何を」
男が叫ぶ。反撃してくると思わなかった相手から反撃を食らうと、自分のことは棚に上げて、人は激怒するらしい。
男は顔を真っ赤にして、喚いた。
「妹たちがどうなってもいいのか!」
男と同じテーブルについていた男たちが、のっそりと立ち上がった。不幸顔の手下だろう。鈍重そうだが、身体が大きい。立ち上がった男は、四人いた。
「よくないよ。だから訊いている」
冷静に昂は返した。左手で、もう一本ナイフを取る。
「俺、左利きだった。だから、さっきはずれちゃったんだ」
もう一度、狙いを定めると、男は悲鳴を上げた。
「お前、そんなことして、無事で済むと思うなよ」
昂は馬鹿にしたように、小首を傾げた。
「俺を連れてくるように、狼公とやらに言われたんだろう?連れて行く前に傷つけちゃったら、まずいんじゃないか」
手下の男たちが一瞬、動揺したのを昂は見逃さなかった。不幸顔が苦し紛れに言ったのが聞こえた。
「た、多少痛めつけてもいいと言われている」
多少ね。
昂はナイフを持ったまま、男に歩み寄った。
「俺が狼公のところに行ってやる。妹たちをせいぜい大事に扱いな。それで、お前の仕事は終わったことになるんだろう?」
男はしぶしぶ頷いた。
「荷物をまとめてくるから、待ってろ。それから……」
チラリと女将の方を見る。女将がビクッと背中を震わせ、顔を背けた。
「女将さんに、ちゃんと手間賃を払えよ」
昂がそう言うと、女将はびっくりしたように昂を見て、思いっきり首を横に振った。
「いいよ、わたしは、そんなの……」
罪悪感が思いっきり顔に出ている。女将が最初からそんなつもりで昂を働かせたのではなかったと分かって、昂は少し安心した。
昂と同じく、思慮が足りなかったのだ。
「払っていない分の宿代、貰ってください」
昂はそう言うと、二階に上がっていった。
後から、手下の男が一人、付いてきた。
一人なら簡単に倒せそうだが、彩と奏のことが心配だった。不幸顔にはああ言ったが、実際、盲目の美少女である彩の方が、何倍も商品価値はあるだろう。しかも、どう想像したところで、まともな男が買うと思えない。
とにかく一緒にならなければ。
昂は黙って、荷造りすると、下に降りた。
野次馬の数はさらに増えていた。客ももう客の振りはしていなかった。席を立って、遠巻きに見ている。
女将は青い顔をして立っていた。
「女将さん、もらいました?」
微笑んで訊くと、女将は困ったような顔をした。
昂が不幸顔を睨むと、不幸顔は笑って首を横に振った。
「いやいや、俺は渡そうとしたんだぞ」
そう言って、手の中にある金を見せてくる。
昂はその金をもぎ取ると、女将の手に押し付けた。
「お世話になりました」
「あんたに給金も払ってないのに」
ついに、女将は鼻をすすりながら言った。
昂は笑って、銀貨を二枚抜いた。
「じゃあ、これだけもらっておきます」
その時、店の外の野次馬の中に、菫の姿が見えた。
怒ったような、悲しそうな顔に、昂は心の中で謝った。
あんなに忠告してくれたのにな。
外にはいつの間にか、馬車が待っていた。
乗り込んだが、彩と奏の姿はなかった。
先に連れて行かれたか。
平然を装い、固すぎる座席に座る。
馬車がゆっくりと動き出す。しかし次第にスピードを上げた。昂の心の内と同じように、急くように、馬車は進んで行った。




