Ⅱ 外側 -5
「つっ」
跳ね起きると、おでこを嫌ほど打ち付けた。
痛みに耐えながら傍らを見ると、奏が頭を押さえて転がっていた。昂のおでことぶつかったのは、奏のおでこだったらしい。
「おいっ、だいじょうぶか」
慌てて抱き起すと、目に涙を溜めて、何度も頷いた。そうしながら、もう一つの寝床を指さす。
そちらに目をやると、彩が青い顔をして、寝台の上で体を起こしていた。
こちらの騒ぎも聞こえないのか、気にしている素振りもない。宙を見つめて、ぼんやりしている。ハッ、ハッと呼吸も浅い。
「彩」
声を掛けて肩に手を置くと、ビクッと肩が上がり、やっとこちらに耳を向けた。
ぼそりと何か言ったが、昂は聞き取れなくて、聞き返す。彩は誰かに聞かれるのを恐れるように、声を潜めて言った。
「怖い夢だった」
怖い夢。
昂も怖い夢を見ていた。疲れていたからだろうか。
昂は彩を膝に乗せ、頭を撫でてやった。体に腕をまわして、温めてやる。
彩は震えていた。
「大丈夫、ただの夢だよ」
言いながら、自分が先ほど見た夢を思い出す。ぞわりと怖気がたった。
奏も近くに寄ってきて、心配そうに彩を見ている。
「こんなことよくあるのか?」
奏に尋ねると、大きな目でまじまじと昂を見て、首を傾げた。
彩がこんな状態だと、彩を通して言葉を伝えることが出来ないのだ。
昨日のうちに、薬師の居場所を聞いておかなかったことを後悔した。
昂は震えている彩をそっと寝床の下ろすと、奏の目を見てゆっくりと言った。
「薬師を探してくる」
もう一度、口を大きく動かし、一字ずつ、ゆっくり伝える。奏は戸惑ったように昂を見返したが、はっきりと頷いた。
「手を握ってやれ」
奏に彩の手を握らせ、部屋を飛び出した。
すごい勢いで駆け下りてきた昂に、階下で掃除をしていた女将は、箒を握ったまま目を丸くした。
「一体、どうしたんだい」
昂は女将に掴みかからんばかりに、薬師の居所を尋ねた。
「彩が…妹がブルブル震えてるんだ。体も冷たくって」
そう言い募る昂に、女将はポンポンと背中を優しくたたいた。
「分かった、分かった。薬師を呼んでやるから、兄ちゃんは顔を洗ってきな」
そう言うと、すぐに下働きの若い男に、薬師を呼んでくるよう言いつけた。
「ありがとう」
急いで礼を言って、取って返そうとする昂の手首を、女将はむんずと掴んだ。
昂が驚いて振り返る。飛び出した体に、腕が引っ張られて、昂は顔をしかめた。
「顔を洗ってきな、って言っただろ?」
女将がたしなめるように言う。
「妹のそばに、付いていてやらなきゃ。今、弟に任せてきたけど、あいつら、まだ小さいから」
焦る昂に、女将はフッと表情を緩めた。
「あんた、ひどい顔をしてるよ。そんなんじゃ、あんたがあの子らに心配かけちまう。わたしがあの子らについていてやるから、裏の井戸まで行って、冷たい水で顔を洗ってきな」
心配かけちまう、の言葉がきいた。分かりましたと言うと、女将は笑って手を離した。
昂は宿の天井を見上げると、ため息とともに一度首を下げた。そうして、宿の裏口に回った。
調理場から外へ出る裏戸を開けると、眩しさに目が眩んだ。陽光が燦々と裏庭に注いでいる。井戸はすぐに見つかった。周りを緑に覆われている。
カラカラと釣瓶を上げて、水を汲み上げると、桶の中の水はキラキラと陽を反射した。
手をつけると、その清涼さが身を駆けあがる。その水で、昂は顔をバシャバシャと何度も洗った。ワザとでも、服が濡れるほど、水を跳ね上げて顔を洗う。
村を出ているという非日常の中に、顔を洗う日常がするりと入ってきた。
すっきりした。
昂は最後に濡れた顔を腕で拭うと、飛ぶように部屋に戻った。




