Ⅰ 孵化 -11
昂はその日、空に会えなかった。
昂が薬室を訪ねると、荒らされた室内と、散乱した書類を片付けている青がいた。青の顔は強張って、青くなっていた。
「どうしたの、これ。空は?」
入り口に立ち尽くして、昂は呟くように尋ねた。
「俺が森から帰って来た時は、空はもういなかった。薬室と住居の方も荒らされとる」
青は手を止めず、書類に目を落としたまま、答えた。
「空はどこにいるの?」
「分からん」
「探さないの?」
「……昂」
初めて青は顔を上げ、昂を見た。
立ち上がり、昂の許に来る。
倒れた丸椅子を起こし、昂を座らせた。もう一脚引き起こし、自分も腰掛ける。
青は昂の正面に座り、目線を合わせた。
「空はもうこの村にはいないと思う。探すわけにはいかない。急にいなくなったことも知られてはいけない。ここが荒らされたことも知られてはいけない」
「何故」
青は微笑んだ。宥めるように言う。
「事情があるんだ」
よくないことが起こっていることは分かった。空に昂が知らない秘密があることも、青がそれを知っていて、そして秘密を明かす気がないことも。
そして昂との約束が反故にされたことも。
「俺、空とガザに行く決心を伝えに来たんだ」
青は少し目を見開いて、ああ、そうか、と呟いた。
ああ、そうか?
昂は腹が立ってきた。
空の事情か何だか知らないが、俺の人生はどうしてくれる?
「何もなかったふりをしたら、そのうち空が無事にかえってくるのか?」
約束したのに急にいなくなった空。荒らされた家。
どう考えたって、尋常じゃない。
「これは空の問題だ。村を巻き込むわけにはいかない」
冷静に返す青に、昂は喰ってかかった。
「それが十年前、空と約束したことだからか?」
十年も修行中の身で出奔していた弟子が、十年前にひょっこり帰って来て、何事もなかったかのように薬師になっている。
薬師は難しい仕事だ。十年も行方不明になっていて、帰って来たからと元のさやにもどれるものではない。
空には特別な事情があった。もしくはそれが許される理由と条件が。
青が何も言わず、否定しないことで、昂の心は決まった。
「分かった。でも、俺はそんな約束知らない。青は教えてくれる気もなさそうだし、空を探すよ」
馬鹿なことをしている気もする。
何をむきになっている、と諫める自分もいる。
空の事情とやらは、恐らく昂が手を出していい種類のものではない。危険だからこそ、誰にも言うなと青は念を押したのだ。
それでも昂は、はい分かりました、と受け入れることは出来なかった。今更、空がいなくなったから織師になる、などとは口が裂けても言えない。
ガキから抜け出すために、こっちだって必死なのだ。
「俺が約束したのは空とじゃない。凛だ」
あきらめたように、青が言った。
凛。
その名前に、昂は息を呑んだ。
幻の人。蘭の妹。つまり……
「青の娘?」
青は頷いた。
「ガザにいる」
そう言うと、ちょっと待ってろと言って、薬室を出ていった。言われた通り待っていると、筒のようなものを持って戻ってきた。
「空は凛にこれを届けるために、ガザに行く予定だった」
青は昂に筒を握らせた。
「お前が凛にこれを届けてくれ」
昂はぼんやりと筒を見た。幻の人が現実になったかと思うと、会ってこれを渡せと言われた。頭がついていかなかった。
「空が襲われたことは、本当に村に知られてはいけないんだ。村の存続に関わる」
再び、昂は顔を上げて、青を見る。青の顔は鬼気迫っていた。
「空がまた姿をくらませたら、俺はもう空を見捨てるつもりだった。それが凛との約束だったし、村を守ることにもなる。でも、お前が空を探したいなら、凛に会え」
昂の頭にまた熱気が戻ってきた。
「詳しいことは悪いが言えない。俺はこの村を守りたいからな。それでも行くか?」
冷たいとも言える青の言葉に、昂はかえって覚悟が決まった。
「行くよ。空の口から、事情とやらを聞いてくる」




