5、奴隷を苦しめるなんて最低です!
不安しかない。
「た……助けて…助けて、ください……っ」
ある静かな夜のこと。森の梟の声もなく、ひっそりと過ごしやすく涼しい真夜中。
私とルドヴィカがキャンプをしている火の側に駆け込んできたのは、見知らぬ親子。
ルドヴィカは夜中の内に罠を仕掛けておくと出かけて、もうそろそろ帰ってくるだろう。つまり留守だった。
女の一人旅と思われているのか、父と息子さんは私を見て警戒する素振りがない。
麻袋の方がまだマシというぼろぼろの服を着ていて、体中垢だらけ、髪の毛はぐちゃぐちゃで、父親らしい男の人は髭で顔がもじゃもじゃとしていた。
息子さんはルドヴィカくらいの年齢だろうか、父親によく似た雰囲気の青年。痩せ細り明らかに栄養の足りていない顔。
二人はどさり、と火の側に倒れ込むように膝をつき、私がルドヴィカの御夜食にと焼いていたベーコンを見てごくりと喉を鳴らした。
私の方をちらり、と見て、浮ぶのは恐怖の色。
これは、妙な反応だった。
自分で言うのもなんだけれど、私は他人に侮られやすい外見をしているし、実際に気も弱いダメダメな魔女だ。
いくら痩せ細っていても、男性2人が私を恫喝すれば容易く、このキャンプのものの何もかもが奪えるだろうに、二人には私に暴力を振るって物を得るという発想がない。
「あ、あの……よかったら、召し上がります? ワインもありますよ」
「よ、よろしいのですか……?」
「我々などに……」
「え、だって……助けてって、言って……来たじゃありませんか? 食料を分けて欲しくて、ってことですよね? 大丈夫ですよ、幸い保存食はまだありますし、連れの、あ、私の子供なんですけど、その子が獣の罠を仕掛けてくれているので、明日の朝には新鮮なお肉も手に入る予定です。いえ、うちの子は有能なので、もうこれは約束された未来ですね」
「……あ、あなたは…我々が、何者か、ご存知ないの、でしょうか?」
「旅の者でして、この辺りの方々のことはよく知りません」
でも人には親切にするべきですよね、と、私が安心させるように笑いながら言うと、びくびくとしながら、痩せ細った男性二人は私の差し出すカップを受け取り、パンやベーコンを食べ始めた。
「うぅ……ぅ……」
「え!? な、なんで急に、ご、号泣するんです!? 不味かったですか!?」
「いえ…ッ! いいえ!! うぅっ……生まれて、こんなに……こんなに、人に優しくされたことが……なくて……」
「ロイ……すまない、俺が……俺が、奴隷なばっかりに、お前まで……」
そこで二人ははっとした顔をして、私の方を見た。
「?」
「あ、え……」
「その、我々は……」
何か二人がまずい事を言った雰囲気だが、何のことだか私にはわからない。
「奴隷が主人の元を逃げ出して、何の事情も知らねぇ人間に助けを求めるなんて、とんでもねぇことするなぁ、テメェら」
「!!?」
「あら、ルドヴィカ!おかえりなさい」
「ただいま、俺の先生」
いつの間にか、ルドヴィカが帰って来ていた。背には大きな鹿を背負っている。偶然遭遇して狩ったのだと言う。
「わぁ、立派な鹿ですね! 鹿は良いんですよ~、あちこち薬になりますからね~」
「そう言うと思って綺麗に仕留めたぜ。褒めてくれていいよ、先生」
「ルドヴィカは良い子ですね~」
ひょいっと、私の可愛い養い子は腰を折って私に頭を向けてくるので、私はなでなでとその頭を撫でる。
「で、先生。こいつら、助けると先生が面倒なことになるぜ?」
「え、そうなの?」
「この辺りは辺境伯が治めてるンだけどよぉ、奴隷を多く持ってるんだよ。ンで、こいつらはその人間牧場から逃げ出した、辺境伯の所有物だ。助けたり匿ったりしたら、辺境伯の物を盗んだってことで罪になる」
「み、見逃してくれッ!」
「頼む……ッ、息子だけは……どうか!!」
なるほどなるほど、ルドヴィカは賢いし色々知っていて凄いですねぇ。
私は感心して頷く。
その間にも奴隷さん親子はルドヴィカのズボンに縋りついて何か必死にお願いしているが、ルドヴィカは面倒くさそうな顔をして耳をほじっている。
「ルドヴィカ、耳がかゆいなら後で耳かきしましょうか?」
「そりゃ良いね。でもこいつらが俺の先生の作った手料理を食っちまったから、まずは何か食べたいかな」
「そ、それなら! 僕が料理します! 奴隷小屋では皆の食事作りをしていました!」
「は? 何、テメェは死にてぇのか? なんでテメェみてぇなクソ塗れの野郎の作ったもんなんて食わないといけねぇんだよ。それが能力アピールに思えんのか? クソが仲間のクソの餌にクソ垂れて食わせてただけだろ。病気持ってそうな奴が人さまの口に入る物に触るんじゃねぇよ」
「ルドヴィカ! 汚い言葉はいけませんよ!」
めっ、と私が叱るとルドヴィカは良い子なので直ぐに反省して「ごめんなさい」と言ってくれる。
「……あの、お優しいお嬢さま、どうか、息子だけは……このまま見逃してくださいませんか。私を領主様の元へ連れて行けば、おそらく謝礼金が出ます。どうか、それでご勘弁頂けませんか」
「そんな、親父……!」
「ロイ、あの場所から逃げられるなんて、奇跡なんだ。お前はこのまま……どうか、人間になってくれ」
「親父だけあんな地獄に戻すなんてできるわけないだろ……!脱走した奴隷がどんな目に遭うか……それなら俺も親父と!!」
「馬鹿を言うな!お前だけでも逃げ切れるなら、私はそれで満足なんだ……」
「親父……」
なんて感動的な場面でしょう……!
お互いに思い合う、美しい親子愛……!
私は感動してハンカチで涙を拭った。
「素晴らしい愛情ですね……! ルドヴィカもそう思いませんか?」
「いや、俺はマジでこいつらなんで勝手に決めてんだ? って腹立つわ。二人まとめて貴族に突き返すに決まってんだろ。なんでこっちが犯罪の片棒担ぐ前提で話し進めてんだよ」
お腹が空いているのでルドヴィカはイライラとしている。
私は慌てて、チーズとベーコンを焼いて、ふわっふわのパンに乗せて食べて頂くことにした。
「でも、息子さんはどこか行くあてがあるんですか?」
「……それは」
「……ですが、あの牧場で一生を終えるより……」
「そんなに酷い場所なんですか?」
奴隷文化については知っているし、長い人生なので私も奴隷を買ったことはあるけれど、この二人がここまで怯える理由がちょっとわからない。
「……酷い、なんて、ものじゃありません」
「……そんなに、ですか?」
「基本的に、僕たちは使い潰しの道具なんです。ある程度歳を取ったら無駄に物を食うからと、衰えが見え始めた者から、文字通り潰されます」
「そんな……」
私はショックを受けた。
そんな……勿体ない事をする人がいるのか……。
青ざめた私に、詳しい話は刺激が強いと判断してくれたのか、奴隷さんの親子は「とにかく、あんな場所に戻るなら……死んだ方がましだ」とまとめた。
「なるほどなるほど……でも、行く当てもなく、彷徨ったところで、行き倒れになりますし……私たちのような旅人を襲って、というのは……なさらないでしょうけど……折角逃げられても、野垂れ死に、というのは、折角、変化をと踏み出したのが無駄になってしまいますよ」
私はひょいっと指を振った。
簡単な浮遊魔法なら、これでも称号持ちの魔女なので出来るのです。
カップが浮かび、暖かなスープが注がれる。
「あ、あなたは……?」
「私は魔女。黒の棺。こうしてお会いしたのも何かの縁です。どうかお二人のことは……いいえ、お二人が、それほど苦しいという、その奴隷牧場、私に助けさせていただけませんか?」