1、そうだ、逃げてしまおう
煌めく星にどこまでも黒い夜空!
そして眼下に広がるのは燃え盛る農村!!
火だるまになり転がり回る村人ABCDEFG……以下略!!
容赦なく家屋や人を焼いて肥える炎は周囲を昼間のように明るくした。
逃げ惑うか弱い村人たちは皆、顔いっぱいに恐怖の色を浮かべ半狂乱になりながら助けを乞うて叫んでいる。しかし村の周りをぐるりと囲む炎の壁は、彼らをどうやっても逃がさない悪意となって聳え立っていた。
収穫の時期を終え、一息ついての明日は楽しい収穫祭。
村の中央には藁で作られた巨大な人形が置かれていたが、まさか燃えながら歩き回り周囲に火の粉を振りまくなど誰が予想しただろう……。
「あ、わ、あわわわ、わわわわわ……っ!!」
「はははっ!最高!良い眺めだぜ!なぁ、先生!」
もはや私の使える魔法程度ではどうすることもできない惨状。
情けなく狼狽え、立ち去る事もできないでいる私を防火布ですっぽりくるんで抱き上げているのは、この阿鼻叫喚極まりない状況を心底楽し気に眺めている青年。
金色の瞳に、炎の灯りを受けて艶めく黒髪。がっしりとした体格は一見肉体労働者のようだけれど、彼が手にするのは農具や工具ではなく、世界樹の祝福を受けた繊細な魔法杖。
18歳の誕生日に私が送った世界最高の杖を得て、彼は育った村に火をつけた。
なんでそうなったんですかね!?
「アハッ、ハッハー!いい気味だ!清々する!!これでもうあんな連中と付き合う必要はないんだぜ!なぁ、先生!これからどこにだって行ける!どこがいい?先生言ってただろ、北のオンセンとかいうのがある街で100年くらいのんびりしたいって。俺は100年は付き合ぇねぇけど、気合で長生きするからさァ!」
いやいやいやいや。
清々するって何です???
燃える村の……今まさに、炎に包まれて転がっている村娘さんは、確かあなたとかなり親しい……性的な交流をされていなかっただろうか?
その娘さんだけじゃなくて、まぁ、大半の、村の若い女性は皆そうだったと思うけれど……。
それに、あそこで炎の壁に突っ込んで動かなくなった黒いのは、あなたと何度も村の酒場で飲み交わしたり、狩りに行ったりしていなかったっけ。
井戸の水を求めて枯れた井戸に落ちていく中年の男性は、あなたを「息子のように思ってるよ!」といつも気にかけてくれていなかったか。
老若男女、どんな性格の人でも、あなたが話しかけると長年の親友のように打ち解けて、笑顔で話して交流していたではないか。
そんな彼らをこんな目に遭わせているのは、この子。
私が12年前に拾って大切に育てた養い子は、どうしてこんなに嬉しそうに笑っているのか。
私が髪を売って工面したお金で揃えた燕尾服は、今やシャツがだらしなく前がはだけられ、ジャケットは腰に巻かれ腕の部分がしわくちゃだ。
革靴だったはずのそれは、養い子の魔法でゴツゴツとしたブーツに変わってしまっている。
うーん、物質変化させる魔法を使えて、それを長時間維持できるなんて、天才ですね。いやいや、今はそれどころではなく。
12年前、私の思い描いていた姿とはかけ離れた姿に成長した養い子。
眼下に広がる惨状。
ごうごうと、人の命を飲み込んで膨れ上がる業火は空高く燃え上がり、人の悲鳴と怒号がひっきりなしに響き渡る。
もう無理。
生来臆病で根性のない私の精神は限界を越え、ぶくぶくと泡を吹いて気絶した。
*
私はジル・ペテロ。
魔女です。
“黒の棺”(ヘルーツィカ)というのが頂いている称号ですが、どちらかといえば、「最弱」「引きこもり」「無能」「役立たず」「根性なし」「なんちゃって魔女」「できそこない」という前置きで呼ばれることの多い、実際その通りのゴミ虫です。
使える魔法と言えば、他人を呪ったり病ませたり、そういう後ろ向きな魔法ばかり。それだって相手の触媒が必要。
風は相性が良いみたいで、少しくらいなら風魔法も使えるけれど、子供を少し浮かせるくらい。
魔女集会に出れば落ちこぼれとか、役立たずと言われるので、絶対に出ないといけない十年に一度の魔女集会しか恥ずかしくて出られない。
そんな私ですが、12年前、村の口減らしで森に捨てられた子供を拾いました。
小さくて、顔の可愛らしい、天使のような少年でした。
とても素敵な男の子。
きらきらと星のような瞳に、どこまでも愛くるしいほっぺ。
世の、歴代の高名な魔女の方々がそうしたように、魔女の集まりで、皆さまがお連れになられているように、私も人間種の子供を拾って大切に育ててみようと、そう、らしくもないやる気と希望を見出してしまいました。
誰にでも紳士的で優しく、気遣いがあって穏やか。
黒い髪はパリッとした燕尾服が良く似合うでしょう。
大きくなったら知り合いの魔女のツテを借りて、どこかの立派な貴族のお屋敷で働かせて貰えるよう、きちんと教育して。
どこに出しても恥ずかしくない子に育てようとしたはずなのですが。
「ははははは!!はーっはははは!!」
育ったのは、想像と真逆。
愛嬌のあるタレ目は、ウィンク一つで女性の瞳に恋をさせ、喉から出る声を聞けば若い女の子は甘い声を漏らす……スケコマシ。軟派野郎……!!
笑い続ける養い子に「なんでこんなことしたの!」とは、怖くて聞けない。
いや、養い子が怖いのではない。
素手で熊やモンスターを殴り殺せる子だが。筋肉隆々の大男だが。私はこの子がおねしょをしたのも、カマキリが怖くて泣きべそをかいていたのも知っている。
それなら何が怖いって?
『あー、あの村の、40歳以下の女は全員抱いたな』
などと、ある日言っていた養い子。
もしかして、この大参事は痴情のもつれの末ですか、とか、そういう気がしてならない。
「先生?さっきから黙ってるけど。どうしたよ?寒い?」
顔を強張らせる私を気遣う養い子。
寒い、というのはジョークなんだろうか。
私は一度目を伏せ、ゆっくりと息を吐いた。
「ルドヴィカ」
低い声で名前を呼ぶ。一瞬、養い子の表情が歪んだような気がしたが、きっと炎の熱でそう見えたのだろう。
「何?」
「逃げましょう」
「は?」
「私は空は飛べないし、高速の移動魔法も使えないから徒歩だけど……この騒ぎが国にバレるまえに、国境を越えて、遠く、遠く、どこまで行けるかわからないけど……逃げましょう」
そう真剣な目で訴えると、養い子は笑った。
炎に焼け踊り狂う村を眺めるよりもっと、嬉しそうな目で笑って、頷いた。
「あぁ、そりゃ、最高だね。もう、先生はずっと、俺を手放せないね」
養い子は私の手を取り、自分の頬をすりよせた。掴む手の力は少し強く、熱っぽい。
(燃やしちゃったものはしょうがない)
人の世の倫理観やら法律やら小難しいことに照らし合わせると、私の可愛い養い子は、このままだと殺されてしまう。それくらいは頭の悪い私にもわかる。
しかし、魔女は自分の養い子を守るものだ。
逃げよう。
私は弱いから、色んなものから守る事は出来ないけど、一生懸命、一緒に逃げよう。