密室は歌わない
リサイタルの後。
控室で、テノール歌手の山吹純一がうつ伏せに倒れていた。
燕尾服の彼の背中には、垂直に突き刺さった包丁。流れ出た血は、グレーの絨毯を赤く染めている。
「さて。皆さん」
白須賀が振り返った。警察手帳をジャケットへ仕舞う。
「いくつか、確認させてください」
ごくり、と唾を飲み込む音が控室に響く。その場の全員が、気まずそうに視線をそらす。
「終演後の打合せに、顔を見せなかった山吹さんを呼びに来たのは……赤井亮さん、黒澤リサさん」
「あ、ああ」
真っ青な顔をして、赤井が頷く。
「ドアを叩いても返事がないから、おかしいと思って。ドアに鍵が掛かっていたから、スタッフの青野にマスターキーで鍵を開けてもらったんだ。そしたら……」
赤井の言葉を、黒澤が引き継ぐ。
「床に、山吹さんが、倒れていて」
動揺する彼女の肩を、赤井がそっと抱き締める。
「控室の鍵は?」
白須賀がスタッフの青野を見た。
「ええと、床の絨毯の上に落ちていました」
答えながら、彼は唇を戦慄かせる。
「それを見つけたのは?」
「あ……、私です」
消え入りそうな声で、黒澤が答えた。
「鍵には触れましたか?」
「えっ? いいえ」
「ーーなるほどね」
白須賀の冷めた視線に、黒澤はびくりと肩を震わせた。赤井に支えられながら、彼女は言う。
「こ、これってーー密室殺人ですよね?」
「そうです」
白須賀が首肯する。
「あなたが作り上げた、単純な密室だ」
彼の人差し指が、黒澤を示した。
さぁ、っと彼女の顔色が青ざめる。
「わ、私が山吹さんを殺したと言うの?」
「殺したかどうかは、一先ず置いておきます」
怪訝そうに黒澤は眉を寄せた。
「しかし、黒澤さんが密室を作り上げた」
「ど、どうやって?」
赤井が黒澤から離れ、一歩踏み出す。
「単純なことです。控室の鍵を使って、ドアを施錠する。あとは青野さんがマスターキーでドアを開けた後、隠し持っていた鍵を床に投げればいい。床は絨毯だ。音はしない」
「証拠がありません!」
黒澤が叫ぶ。
「最初に、床の鍵を見つける。控室は密室だったと、皆に印象付けた」
「そんなの証拠にはならないわ!」
白須賀が目を細めた。
「控室の鍵から、あなたの指紋が検出されたら、どうでしょう。鍵には触れていないんですよね」
「……あぁ」
黒澤が手で顔を覆い、座り込んだ。
「動機の歌は、警察署で聞きましょうか」
無表情のまま、白須賀は彼女を見下ろす。