最終話 スぺ先輩と帰りたい
終業式が終わった。
もうここまできたら、浮足立っているどころの騒ぎではない。完全に浮いている。もはや空中浮遊だ。
一学期最後のホームルームは何一つ頭に入らない。担任から夏休みの注意事項とか説明があっても、全然聞く気になれない。
明日から夏休みだからといって、特に大きな計画を立てているわけではないけれど、何かが待っているような気がしてたまらない。
それにスぺメソッドのおかげで、夏休みの宿題も計画的にできそうな気がしている。
今日は新は部活のみんなで一学期の打ち上げをすると言っていた。夏休みも合宿とかいろいろあるらしいけれど、一回区切りをつけるのがテニス部の恒例だとか言っていた。
みーちゃんはたぶん男。相手が彼氏なのか彼氏候補なのかなんなのか、一緒に出掛けるらしい。もしかして泊まりかな? きゃー。
でも夏休みに三人で出かける約束もしている。だから今日じゃなくたって全然かまわない。
それに私は私で予定がある。まあ大した予定ではないのだけれど。
ホームルームの終わりを告げるチャイムの音を聞いたら、待ってましたと言わんばかりにクラスメイトは席を立ち、夏休みに向かって教室を出て行く。
「じゃあね、小花ちゃん、みーちゃん」
「ばいばーい。小花と新」
「うん。また夏休みに会おうね。みーちゃん、新」
鞄を背負うみーちゃんと新と、鞄に荷物を詰めている私が一学期最後の挨拶をする。
そして二人も教室を出て行った。
「ねえ、金井さん、今日は一緒に帰れる?」
例に漏れず今日もまた帰りの後れを取っている私に声をかけるのは、空気の読めない男、立家君だった。
クラス中の視線を集めるようなことをするのはやめてほしい。
男子のグループも、女子のグループも、ひそひそとしている。
「ごめんね。今日は約束があるから無理なんだ」
「あ、そうなんだ……。じゃあ夏休みに予定合わせて、遊びにでも行こう」
「うーん……。予定が合ったらね」
作り笑いで応えておく。
「うん。絶対合わせるから!」
だから察しろよ。メンタルが強いのか、センサーがばかになっているのか、あるいはそのどちらも兼ね備えているのか。
私はそれには答えず、帰り支度を済ませると、立家君から逃げるように教室を出た。
たぶんもう砂川先輩はいつもの場所についている。
気持ちが急く。早くいかなくちゃ。
階段を降りる足取りも軽やか。これはたぶん明日から夏休みだからだ。
上履きからローファーに履き替える。いつもだったらロッカーに上履きを入れるのだけれど、今日は持って帰る。忘れたら大変だ。
やはりいつもの場所に先輩が立っていた。
「小花さんも終わったか」
私に気が付くと、手をあげて先輩が言った。
「はい。それじゃあ帰りましょうか」
先輩が「ああ」と答えて歩き出そうとした時だった。
「ス、スぺかよぉおお!」
後ろで声が聞こえた。振り返って何事か確認する。
「約束ってスぺとの下校かよぉおお!」
そこにいたのは目を見開いた立家君だった。
男子の友達数名に身体を羽交い絞めにされていて、「落ち着けよ政都」とか言われている。
「絶対に負けないからな! 覚悟しておけよスぺぇええ!」
その言葉を捨て台詞に、ずるずると友達に引きずられて退場していった。
「なんだ? 小花さんの友達か?」
先輩が不思議そうな顔をして私に聞いてきた。
「うーん。ただのクラスメイトです」
「そうか。面白いクラスだな」
そう言って先輩は歩き出した。
私も隣に並んで歩く。
夏休みは一か月くらいだけれど、毎日歩いていたこのテニスコートの見える門への道もしばらく通らないと思うと、なんだか貴重な気がした。
そんなことを噛み締めながら歩いていると、門に寄りかかって腕を組んでいる、かっこいい女の人がいた。
「ふふっ。遅いじゃない」
ケレン先輩だった。
「別に早いも遅いもないだろう」
砂川先輩の言葉に、たしかにって思った。
「小花さん! 二学期には絶対に生徒会に入ってもらうわよ」
ケレン先輩は左手を腰に当て、右手でバシッと私を指さして言い放った。
「あ、嫌です」
丁重にお断りをする。いや、これは丁重じゃないかもしれない。
「まあ言ってなさい。そして砂川君。夏休みの間、猛勉強して次のテストでは負けないわ」
今度は同じポーズのまま砂川先輩に指を向ける。
「ふんっ。僕だってもちろん勉強はする。負けるつもりはない」
砂川先輩は腕を組んで応戦する。
明日からめでたい夏休みだと言うのに、ばちばちやっている。
「ほんと先輩達って楽しそうですね。砂川先輩なんて、にこにこしちゃってるじゃないですか」
呆れるほど勉強が好きなのだろう。常人の私にはわからない感覚だ。
「あ、そうそう。私、小花さんに言おうと思っていたことがあるのだけれど……」
ケレン先輩が思い出したように私に言う。
「何ですか?」
「小花さん、よく砂川君の表情が読み取れるわね」
「え?」
ケレン先輩は何を言っているのだろうか。
「小花さんと会ってから明るくはなったと思ったけれど、砂川君の表情の変化なんて気が付かないわ」
「え? え? うそ?」
「本当よ。私の方が一年長く過ごしているけれど、いつも無表情だと思っていたもの。おそらく判別できるのって、小花さんだけじゃないかしら?」
私だけだったの!? うそでしょ!? 砂川先輩の表情、誰もわからないの!?
なんか恥ずかしいんだけど。それはなんか恥ずかしいんだけど。なんかやだ。
「ふんっ。そんなことどうでもいい」
当の砂川先輩は、私にとっては恥ずかしい話題を一蹴する。
「たしかにそうね。ふふ。それじゃあ言いたいことも言えたし、私は帰るわ。また二学期に会いましょう」
ケレン先輩はウインクを一つした後、ひらりと髪をかき上げながらターンをすると、つかつかときれいなフォームのウォーキングで駅に向かって行った。
いやいや、何を言い残してくれたんだ。まったく。
「それじゃあ僕たちも帰ろう」
「そうしましょう」
再び二人で並んで歩き出した。
□◇■◆
砂川先輩の家を経由して、くりくりまるを連れて、今度は私の家に向かう。
くりくりまるは、もう私のことを覚えてくれているようで、目を合わせると飛んできてくれる。
先輩がジャーキーを持たせてくれたので、じゃれたくなったら食べさせていっぱいもふもふした。
「あの公園に行きませんか?」
散歩の途中で私が言った。
「ああ、そうしようか」
公園の名前は知らない。でも「あの公園」で共通認識としてわかる。
私の家までの道のりから少し外れたくらいだから、大した寄り道にはならない。
それに私もあの公園は気に入っている。
キーンコーンカーンコーン
あの公園に向かって歩いている途中で、スぺメソッドのときによく聞いていた、チャイムの音が流れた。
「ん? 電話だ。桜からのようだ」
スマホをポケットから出して先輩が言った。
いや、選曲ッ! え、それ着信音にも使ってるの!? もう夏休みだってのにやめてくれッ!
「なんでお母さんに余計なこと言うのぉ!」
桜ちゃんの大きな声がスピーカーから漏れ出ている。
「中学三年生の夏休みだろう? ここからは本格的な受験勉強をした方がいい。だからお母さんに塾を勧めておいた」
「むーちゃんに教えてほしかったぁ!」
「僕なんかより、受験のプロの方がよっぽどマシだ。頑張るんだ」
「やだよぉ! って、あ、お母さん? いや、なんでもな――」
「あ、切れたようだ」
先輩はスマホをポケットにしまった。
「桜ちゃん大丈夫なんですか? お母さん相当怖いんですね」
なんだか少し桜ちゃんが心配になった。
「ああ。大丈夫だ。それにお母さんは常識のある優しい人だ。ちゃんと叱れる人だから桜ちゃんも逆らえないだけだ」
「それならいいんですけど」
桜ちゃんの話をしていたら、公園に辿り着いた。
今日も公園は空いていて、いつものベンチは空いていた。
くりくりまるも分かっているようで、ベンチに向かって元気よく走り出した。
私たちが腰を掛けると、くりくりまるもぺたりと座る。
何もない公園だけど、だからこそ落ち着くのだろうか。
「しばらく一緒には帰れなくなるな」
砂川先輩が前を向いたままつぶやくように言った。
「学校が休みになっちゃいますからね」
私がそう言うと先輩は「うんうん」とうなずいた。
「寂しくなりますか?」
私は少し意地悪に聞いてみた。
「ああ、そうだな……」
先輩はしみじみと言った。
少し恥ずかしかったけれど、私が意地悪な質問をしたわけだし、これは見逃してあげよう。
「僕は小花さんに会うまで、下校そのものに意味は見いだせていなかった」
先輩は何かを話しだした。
「意味?」
「そう意味だ。僕にとって下校は、ただ学校から帰るだけの行為でしかなかった」
「そうじゃないんですか?」
「そうじゃなかったんだ。小花さんと帰るようになって、意見を交わしたり、変化に気づいたり、そういう新しい刺激があった。勉強よりも面白いものが見つかるような気がした。そういう意味があったんだ」
私も砂川先輩の言葉でいろいろ学ぶことはあった。だけれど、誰かと一緒に帰るというのは、私は今までしてきた。だから、そういう意味だったら知っていた。
「先輩は勉強ばかりし過ぎてたからじゃないですか?」
「そうなのかもしれない。だから思うんだ。生命維持機能が無くなればいいって」
「どういうことですか?」
急に話が飛躍した。私の脳では追いつけなかった。
「人は、いや、生き物は、食事をして、行動をして、睡眠をとって、そうやってエネルギーを使って生きている」
「そ、そうですね」
何が言いたいのだろうか。まだ話が読めない。
「だからこそ、生活リズムというものが大事になってきて、社会というシステムが構築された」
「ええ、そうなんでしょうね」
やっぱりよくわからない。急に難しい話になっている。
「僕はそれに対して何も疑問にも不満にも思っていなかった」
「ええ、私もです」
「だけど、今の僕は違う。不満がある。生命維持機能が邪魔で仕方がない」
「なんでですか?」
生命維持機能は大切だろう。邪魔なわけがない。
「もし生命維持機能がなければ、こうやって小花さんとずっとここにいられるだろう?」
「え?」
「ご飯を食べる必要もなければ、眠る必要もない。そうなれば永遠にここで一緒にいられる」
「え、あ、な、何ですか急にッ!」
何ていうオチだよッ! くっ……油断したッ!
「ああ、ごめん。よくなかったか?」
先輩が頭を下げて言った。
「べ、べ、別によくなくなくなくはないですけど……」
ちょっと恥ずかしくなったので私は視線をそらす。
「ん? それってどっちだ?」
「どっちって……えっと……その……」
言葉に詰まる。
「なんだ? どうした?」
「あの……その……それじゃあ……先輩。えっと、素直に……なってください……」
「素直に?」
「ええ、そうです」
自分で言って恥ずかしくなる。でも今の先輩の気持ちが知りたくなった。
「素直か……そうだな。つまり僕が言いたいのは……」
「はい、なんですか?」
ごくりと唾を飲む。先輩の次の言葉を待つ。
自分の心臓の音が聞こえてきそうだ。
「僕が言いたいのは、僕は小花さんのことが――」
電車が公園の隣を勢いよく通り始めた。
風圧で私の髪がなびいた。
それでも先輩は話すのを止めず口を動かしている。
声は電車の走行音にかき消されて聞こえない。
そして話し終えたのかニコッと笑って口を閉じた。
まだ電車は走っている。
その間くりくりまるは電車に向かって吠えている。
先輩は私の目をずっと見ている。つまり私も先輩の目をずっと見ている。
電車が通り過ぎた。
おそらく一分もなかった。だけどすごく長くそうしていたような気がした。
あいにく私は読唇術を身につけていないので、先輩が何を言ったのかわからなかった。
先輩が正面を向いた。その時、私が選んだ眼鏡をくいっと中指で上げた。
何て言ったのか聞きたかったけれど、そんな野暮なことはできないと思い直した。
「残念ながら生命維持機能は今日も働いている。そろそろ帰宅しなくちゃいけないな」
先輩がいつもの口調で言った。
「そうですね」
「さあ帰ろうか」
「帰りましょう」
くりくりまるも散歩の再開を察知したのか、私たちに合わせて立ち上がった。
日が落ちかけていた。夕日がきれいだった。
二人で公園の出入口に向かう。
今日、一学期が終わった。しばらく一緒に下校はできない。
でも二学期がある。ううん、夏休みだって会える。
横にいる、くりくりまるを連れた先輩に目をやる。私の視線には気が付いていない。
二人並んで歩く帰り道。
先輩には言わなかったけれど、もう私も私なりに下校に意味は見いだしている。
だからこうして、これからも、独特で変わり者の砂川先輩と……ううん、面白くて楽しくて、そして誰よりもスペシャルな、スぺ先輩と帰りたい。
最後までお読みいただきありがとうございました。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
私のエッセイ『脳内整理のさらけ出し』にて、この話の解説に近いようなライナーノーツ的なものを投稿しています。
ご興味のある方は、そちらもどうぞ。
また、続編の『スぺ先輩たちの夏休み』があります。
お時間のある時にぜひ。
それでは改めまして、皆さま最後まで本当にありがとうございました。




