第一話 スぺ先輩をいじりたい
やけにむしゃくしゃしていた。
高校に入学して、生活にも慣れてきた今日この頃。
今日もいつもと変わりなく、部活に勤しむ同級生たちを見送った後、ゆっくりと下校を始める。
「今日はバイトもなくなっちゃったし、暇だなぁ」
ほんの数分前だ。バイト先のコンビニから「シフトが間違っていた」と連絡があって夕方の予定がすっぽり抜けてしまった。
仲の良いみーちゃんはバイトだし、新は部活。
急にバイトに入るよりはマシかもしれないけれど、やりきれない。
「はあ。なんか面白いことないかな」
靴に履き替え校舎を出ると、前を歩く一人の男子の姿が目に入った。
ちょっと下校の時間をずらしたので帰る生徒の数は少なく、その彼がやけに気になってしまった。
「あ、スペじゃん」
スペというのはその彼、砂川先輩のことを指す隠語。
最初はスペシャルだったけれど、スペと短くなった。
誰が言い出したかは覚えていない。でもこれは私たちみーちゃんと新とその他一部の一年の女子がそう呼んでいる。
理由はなんか他とは違うから。
かっこがいいわけではない。頭は良さそうだけれど、スマートな感じもしない。
話したことはないけれど、独特なオーラがあって、まあ変な感じがするからそう呼んでいる。
ちょっとちょっかいを出してみよう。
「すいませーん! スぺ、あ……砂川先輩ですよねぇ?」
後ろからわざと甘い感じの声を出してみる。
「ん? 誰? スぺって?」
砂川先輩は立ち止まるとこちらを振り向いて、眼鏡を人差し指であげた。
「あ、いや、スぺは何でもないです。それより、下校ですか? 一緒に帰りませんかぁ?」
「一緒にって……。君も電車通学だったらそんな確認をしなくても、駅までは一緒の道のりだろう」
うわあ、めんどくさい。そういう理屈はめんどくさいと思う。
「いやぁそういう意味じゃなくて、お話しながら帰りましょう?」
「なるほど。いいだろう」
案外受け入れるようだ。私の誘いにどぎまぎするかと思ったのに。
砂川先輩は頷くと再び歩き出したので、私も隣に並ぶ。
学校の門を出るまで無言だった。
「で、話って何だ?」
砂川先輩が眉間にしわを寄せている。女子と歩いているから緊張して何を話せばいいのか焦るのかと思ったら、あまり動じないタイプのようだ。
「そ、そうですね。あの、その、今日は暑いですね」
「六月初旬とはいえ今日は暑いと思う。梅雨の時期よりはマシかもしれないが」
普通に会話をしている。こちらの調子が狂う。
「そうですね……。砂川先輩は部活に入っていないんですか?」
「話が飛ぶな。一応、写真部に入っている」
「へー。今日は部活はないんですか?」
「写真部は各々好きなようにしていいから、そうさせてもらってる」
「いいですね、それ。うらやましい」
「写真がか? 好きなようにできるのがか?」
「好きなようにできるのが。写真は特に興味ないです」
話の流れで大体わからないのだろうか。
「でも君は部活に入っていない様子だけど?」
「そうですよ。私はバイトしたいので部活には入りませんでした」
「それなら、好きなようにしてるじゃないか」
「いえいえ、バイトって大変なんですよ」
「そういうことじゃなくて。自分で決めてバイトに入ったんだろう? 好きなようにしているじゃないか」
「はあ、まあそうですけど」
これまためんどくさい言い分だ。
「バイトだって辞められる。好きにしたらいい。僕だって好きにして君と帰っている」
表情一つ変えることなく、気になることを言う。
「え、あ、ありがとうございます」
「別に礼を言われる筋合いはない。足止めは少ししかなかったし、一人で帰ろうが一緒に帰ろうが、大きな違いはない」
「そ、そうですか……」
とはいうものの、たぶん砂川先輩は私の歩幅に合わせている。
砂川先輩がスペシャルと呼ばれるその訳の一つに、無駄のない動きがある。
急いでいるのかと思うほど廊下を素早く歩いているところをよく目撃している。
キチキチッとたぶん最短ルートを選んでいると思われる。
だけど一緒に歩いていて、砂川先輩が早いと感じていない。
そんなことを考えながら歩いていると駅前に着いた。
「着いたな。それじゃ」
そう言って手を上げるとすぐに、足早に駅舎の階段を駆け上がった。
でた! 無駄のない動き。
「あ、いや、ちょっと砂川先輩! 待ってください!」
階段の中ごろで止まってくれたので、急いで砂川先輩のところまで駆け上がる。
「どうした? 言い忘れたことでもあったか?」
「砂川先輩は何駅ですか?」
「僕は清瀬駅だけど、それ、そんなに必死になって聞くことか?」
「いいんです! それより私は隣の秋津駅なので、そこまで一緒ですね」
「そうなるな。ん? それはまた話しながら帰ろうということか?」
「いちいち許可が必要なのですか?」
「まあ必要なんじゃないか?」
「何でですか?」
「だって僕は君の名前を知らない。君は僕の名前を知っているようだけど」
たしかに。砂川先輩にとってみたら、知らない人に声をかけられている状態だ。
「ああ、すいません。私は金井小花です。一年です」
西武新宿線の花小金井駅みたいな名前であまり好きではない。
「いい名前だな。一応僕も言っておくか。二年の砂川武蔵だ」
先輩の下の名前が武蔵だと今初めて知った。西武拝島線の武蔵砂川駅みたいな名前だなと思った。
お互い自己紹介をしたところで再び歩みを進める。
改札を抜けてホームに立つと、すぐに電車が来た。
数駅しかないけれど、二人並んで座った。
「先輩って、友達いないんですか?」
私は思い出した。むしゃくしゃしていたのだ。
それで、先輩にちょっかいを出して、うっぷんを晴らそうとしていた。
それなのにペースを先輩に持っていかれていた。ここで逆転を狙おう。
「僕が友達と思っている奴はいる。でも相手が僕を友達と認識しているか確認していないから、実際のところは不明だ」
「いやいや、なんすかそれ。そういう理屈を超えて通じ合うから友達なんじゃないんすか?」
「それは言えている。案外いいこと言うな、金井君は」
え、君? その呼ばれ方は初めてだ。
「呼び方、君呼び?」
「一応失礼のないように言ったつもりだったけれど」
「まあ失礼ではないですけど、普通はそう呼ばないでしょ」
「そうか?」
「それだから友達と通じ合えているかわからないんですよ」
「うーん? それはちょっと意味が分からないな」
「何でですか!? 呼び方で相手との距離感が変わるでしょ? 例えば、私は男子からは金井さんって呼ばれるけど、仲の良い友達には小花ちゃんって呼ばれるように、あだ名とか呼び方で距離感があるでしょ?」
「なるほど。心の距離と呼び方の崩し方が比例するのか。勉強になったよ。ありがとう、小花ちゃん」
「え?」
「だから、ありがとう、小花ちゃん」
砂川先輩の表情はさっきから何一つ変わっていない。
表情筋が死滅しているのだろうか。
いや、そういう問題じゃない。どんな表情をしているかは関係ない。
「な、何で先輩が小花ちゃん呼びするんですか!」
「だめだったかな? というより、電車内だから、もうちょっと小さい声にしたほうがいい」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
砂川先輩が変なことをいうので、ツッコミを入れていたら声が大きくなっていた。
周りの乗客に変な目で見られている。
それにしても、まだ男子に小花ちゃんって呼ばれたことがなかったのに、砂川先輩に不意にそう呼ばれてしまった。
彼氏ができたらそう呼んでもらいたいなって思っていたのに。
ちくしょ。一番が何で砂川先輩なんだよぉ。
「僕のせいなのか。申し訳ない」
「だから、距離感を掴んで呼び方を選ぶって言ったでしょ?」
「ああ、だから仲の良い友達になれないかなと思ってそう呼んだ」
「え?」
「悪かった。許してくれ。金井さん」
金井さん呼びに変えている。
「ま、まあいいですけど。距離は段々と縮めていくものだから、急に近くなるとびっくりします」
「わかった。じゃあ金井さんスタートで」
何そのスタート。初めて言われたわ。
「じゃ、じゃあ砂川先輩は特別、小花さんスタートでいいですよ」
「何そのスタート?」
「そっちが言い出したことでしょ!?」
「いや、そうじゃなくて、距離的にはどこに位置するスタートなんだ?」
位置? たしかに、自分で言っておいてどこになるのかあまりわかっていない。
「そうですねぇ。金井さん、金井、金井ちゃん、小花さん、小花ちゃん、小花、ですかね。あ、でも小花ちゃんと、小花は同率一位ですね」
「なるほど。じゃあ僕の場合は、砂川さん、砂川、砂川ちゃん、武蔵さん、武蔵ちゃん、武蔵、になるのかな?」
「いや、ちゃん呼びは男子だとあだ名っぽいかなぁ」
男子と女子では少し違うように思える。
「たしかにな。砂川ちゃんとか武蔵ちゃんは結構馴れ馴れしさを感じるかもな」
「それに、武蔵さん呼びはなかなか親密度高そうですよ」
「うん。男性の下の名前にさん付けは夫婦感があるな。まあでも僕の名前はいいや。君に対する呼び名は結構上位のスタートになるんだな」
「そ、そうですね。特別ですからね」
「特別か。一応お礼を言っておく。ありがとう、小花さん」
「べ、別にお礼はいりません。あ、秋津なのでここで降ります」
鞄を肩にかけ、立ち上がる。
「気を付けて」
「はーい。じゃあさようなら」
私が先輩に手を振ると、先輩は表情を変えずに片手をあげた。
改札を抜ける私の顔はむしゃくしゃしているようには見えないだろう。
今までの誰とも違うトーク内容に少し面白さを感じていた。
□◇■◆
翌日の放課後。
今日は元々バイトのシフトに私は入っていなかったので、のんびりと帰り支度をしていたのだが、店長からの突然の電話で、急遽シフトに入ることになってしまった。
店長も自分のミスだから遅れても仕方ないと言ってくれてはいるけれど、だからといって悠長なことはしていられない。
急いでみーちゃんと新に挨拶をすると、階段を駆け下り、靴を履き替え、校舎を出る。
走っても仕方ないとは思っても、どうも気が急いてしまう。
いつもの数倍もの歩きで、まるで砂川先輩のようだ。
と、思っていたら、その砂川先輩が前を歩いていた。
「お、小花さんも帰りかな?」
砂川先輩も気が付いたようで、声をかけてくれた。
でも今日はゆっくり話しながら帰ることはできない。
「砂川先輩ごめんなさい。今日は急なバイトになっちゃって、急いでいるので、また今度一緒に帰りましょう。そうだ、明日ならいいですよ。バイトないので。それじゃあ」
それだけ言うと、先輩の返事も聞かずに私は駅まで再び走りだした。
走った甲斐もあって、バイトにぎりぎり間に合う電車に乗れた。
「好きなようにしていいかぁ」
昨日砂川先輩が言っていたことを思い出す。
私はお金を稼ぐために、バイトを始めた。好きな服を買ったりしたいから。
でもそれで好きなことができなくなっちゃったら、学生でいる意味ってあるのだろうか。
サラリーマンと同じじゃないか。
別にサラリーマンが悪いと言っているわけじゃない。
せっかく学生で、時間があるのに、そんな社会人のような生活でいいのかということだ。
幸い両親がいて、生活に困ってはいない。無理にバイトをしなくても問題はないだろう。
「はあ。まあいいや。明日砂川先輩に話してみよ」
一人で考えてもわからないものはわからない。
砂川先輩が答えを出してくれるかもわからないけれど、違う視点でものを見てくれると思う。
とりあえず私は、今日のこの後のシフトをこなすだけだ。
一度考えるのをやめて、仕事モードに切り替えた。
□◇■◆
「あ、いた。砂川先輩。昨日はすいません」
放課後、校舎の玄関で立っていた砂川先輩の姿を確認すると、まずは謝った。
昨日、早口で、しかも言い捨てるように言ったことだったけれど、覚えていたようで、待ってくれていた。
「いや、別に謝ることはない」
「そうですか? でも待っていてくれたんですね。ありがとうございます。それじゃあ帰りましょうか」
「え、あ、はあ。まあいいか」
何か言いたげにしながらも歩き始める砂川先輩。
「何かあったんですか? 歯切れが悪いですよ?」
隣に並んで歩きながら先輩に聞く。
一昨日の先輩とは違い、少しどぎまぎしているようだ。
急に私を意識し始めたのだろうか。
え、それはそれで、こっちまで恥ずかしくなってしまう。
「いや、昨日小花さんに伝えられなかった僕が悪いんだけど、今日は年に四回の写真部の集まりがあるんだ」
「え?」
「夏休み明けに学祭があるだろう? その展示について話し合いがあるんだ」
「いやいや、早く言ってくださいよ」
もう学校の門だ。私と一緒に帰っている場合ではない。
年に四回しかない貴重な集まりになぜ出ない?
「でも、昨日、小花さんに伝えそびれてしまったから、行き違っても悪いなって思って」
「そんなこといいですから。早く戻って集まりに行ってください」
「そう? 大丈夫?」
「大丈夫ですよ。嫌いになったりしませんから。あ、距離感気にしてます?」
「え、ああ、まあ。金井さんに降格しないかという不安はある」
「それは大丈夫です。小花さんのままでいいので、早く行ってください」
そんなことを気にしていたのか。どれだけ人との距離の詰め方を知らないのだろうか。
「わかった。ありがとう」
「いいえ。また今度」
私は手を振ると一人で門を抜けた。
「あーあ、なんだ。一人かぁ。なんか寂しいなぁ」
別に今までも一人で帰ることなんていくらでもあった。でもなんだか寂しさがある。
一緒に帰るつもりだったのに、急遽一人で帰ることになったからだろう。
「小花さん」
呼び止められた。
振り返ると、砂川先輩がいた。
「え? な、なんですか?」
独り言聞かれていたかな?
「こういうことがあると面倒だから、ライン交換しておこう」
砂川先輩はスマホを持ってそう言った。
「そ、そうですね。いいですよ」
私も鞄からスマホを取り出すと、お互いのIDを交換した。
「ありがとう、小花さん。それじゃあ写真部に行ってくる」
「は、はい」
「小花さんも気を付けて」
「は、はい」
砂川先輩が校舎に戻っていった。
突然のことだったので、少し動揺してしまった。いや、少しではないかもしれない。
案外スマートにラインの交換ができるタイプだったな、砂川先輩。
これはわかってやったことなのか? いや、たまたまだろう。絶対そうだ。
でもまあ、悪い気はしなかった。