雪解け水
ねぇ、とってもとっても楽しい、ゲームをしない、ひろ?
――ゲーム?
うん。ゲーム。でもただのゲームじゃなくてね。
敗者は勝者の言うことを、ひとつだけ聞くっていう特典付きのゲーム。
――言う事を聞く?どんなことでも?
うん。どーんなことでも。
――例えばどんなことならいい?
例えば?
そうね……。だったら私が勝ったら、ひろにお気に入りのブランドのバッグでも買ってもらおうかなっ
――ブッ……ブランドの?それって値段どのくらい?
へぇ。女の子へのプレゼントに値段なんか気にするんだ、ひろは。
バッグはねぇ……だいたい一万ぐらい?
―― 一万って……さや?
悪い冗談は止めろよ、君は悪ふざけの限度を……、さや?
まさか本気じゃ……ないよね?やめてよ、一万なんてただの罰ゲームにしては……
ひーろっ、冗談だってば、冗談。そんなに焦んないの。
本気な訳がないでしょっ。それに私、ブランドってほとんど何も知らないし。
――本気な訳がない……ねぇ。そんな話、語りがさやじゃなかったら、僕は全く信じないよ。
君に関しては、冗談のようなことを本気でやるから怖いんだよね……。
全くもうそんなことじゃ、いつか神様から見捨てられたって僕は助けてやらないよ。
「神様なんて、信じてないもん」
一人、部屋の中でうずくまって、さやはつぶやいた。
神様なんて、神様なんて……と、弱々しい声で何度もつぶやく。
そのさやの腕が抱きかかえる膝には、ひとつ、またひとつと、涙が伝っていく。
赤城 宏之、さやの幼馴染であったその男の子が死んだのは一ヶ月ほど前。
つい先日、ようやくその友人との死別に心の整理がつこうかという頃合。
しばらくすると彼女は袖で涙を拭うと、立ち上がって部屋の窓からベランダに出た。
窓をあけるとひんやりとした冷たい空気がいっきに部屋に流れ込む。
外はもう夜、一月の空はとても暗く、寒い。
ほっそりとした、三日月に似た形のお月様が暗い闇を照らし、
そのお月様の周りでは、いくつものお星様が小さく輝いていた。
時折、部活帰りなのか自転車が道を通り過ぎていく。
そんな中、さやはベランダに出ると、その場にしゃがみこんでは夜空を見上げていた。
「卑怯だよ、ひろは」
ぽそっと、さやがつぶやく。
「卑怯だよ、ひろは。
私がゲームに勝ったら言うこと聞くって、ちゃんと約束したのに」
ひとつ、またひとつとさやの口から、言葉がこぼれる。
それは単なる独り言。
その言葉は、ぽろぽろと途切れることなくゆっくりと、言葉は堰を切ったかのようにさやの口から溢れ出す。
「言うこと聞くって言う条件付きの賭けゲームなんだったら、せっかくだし一回きりじゃなくてさ、
先に五回勝ったほうとかさ…。そんなのはダメか?
……って行ったのはひろのほうじゃん。
楽しみは多い方が、長い方がいいって言ったのはひろ。
あと一戦、ゲームで私が勝ったら私の勝ちだったんだよ。
勝手な一方的な棄権なんて許可してないから。
ひろは弱かったけど、一緒にやっててとても楽しかった。
たとえ定番のトランプゲームをやっても、言葉巧みな頭脳ゲームをやっても、
体力勝負の外でのゲームも。
何をやってもひろとやると楽しかった。
何でかな。
…………あ、そっか。ひろはいつも、勝利ではなく楽しむことを最大の目的にしてやってたもんね。
負けても勝っても、終わりは必ず、楽しかったね、またやろうね、のふたこと」
そこでさやは一旦言葉を区切り、涙を拭った。
そして、座ったまま空を見上げて言う。
「本当はね、もしひろに私が勝ったらお願いしたかったこと。
一日だけ、私と一緒に遊んで欲しかったんだ。
映画見に行ったり、公園で話したり。
ひろは鈍感だからな……きっと、いつも一緒に遊んでるじゃないかって、そう思ってるんでしょうね。
ただ私は、一日限定でいいから、ただの女の子として、幼馴染なんかじゃなくてひろと、遊んでみたかったってこと。
デートの真似事……かな、ちょっとだけ女の子らしいことを、ひろとしてみたかった。
もう、叶わぬ夢だけどね。」
そう言いきったさやの顔は、一ヶ月前の親友の他界後初めて見せる、心から笑った顔だった。
二月。
あれほどたくさん降った雪は、雪解け水となって流れた。
そして一人の少女の、凍りついた心もまた溶けた。
もうすぐ桜咲く、暖かい春がやってくる。