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鍛冶工房の窓から差し込む月の光に照らされて、その黒髪の男の顔がよく見えた。
伏目がちなヘーゼルカラーの瞳は月明かりの影響で美しく金色に輝いており、右頬と左目の横付近には、剣闘会で闘った時には気付かなかった細かな傷がいくつもある。
もしもこの男が王族であるとしたら、その顔にこれほど多くの傷があるのは珍しいことではなかろうか。
(この傷だらけの風貌で、本当にアグニヴァスの王族なのかしら······)
黒髪の男の謎が気になるところではあるが、まずは助けてもらった礼を伝えるのが筋だろう。
そう考え直し、私は口を開いた。
「······あの、長剣、貸してくれてありがとう。とても助かったわ」
黒髪の男は、微動だにせずにじっと私を見ている。
な、なんだろう。喋るの苦手なのかな。
「···あと、今のって火の魔法、よね?私、魔法って見るの初めてで、びっくりしちゃった。本物って、とっても格好良いのね!」
ほんの少し、黒髪の男の瞳が揺れた気がした。
少し冷静になってきた今、目の前で魔法を見られたことは本当に貴重なことであり、その本物の威力を肌で感じることができたことを心から嬉しく思う。
前世ではゲームの中でこそ私も魔剣を振り回していたわけだが、こうして現実として魔法を目の当たりにできるだなんて······これは興奮せざるを得ない。
(できれば剣に魔力を付与してもらって、『火の魔剣』を振ってみたい···!!)
私のゲーム上の推しは光の国ルクスティアの騎士ウィルバートであり、ウィルバートは光の魔剣の使い手だった。その為プレイヤーとして光の魔剣を振るうことが圧倒的に多かったが、火の魔剣ももちろん振ったことはある。
格闘ゲーム『グラディアトル』に出てくる火の魔剣を持つキャラクターは、火の国アグニヴァスの戦士オズワルドだ。オズワルドは大剣を持ち、その剣技自体は大味な技が多いのだが、火の魔力が合わさることで炎を纏うその大剣の破壊力は凄まじいものだった。そしてビジュアル的にも、美しく燃える炎を剣に纏わせそれを操るオズワルドの姿は勇ましく、女性人気も高いキャラクターだ。
また、プレイする側としてはオズワルドの大剣は重たいので慣れないと動かしにくいというデメリットはあるが、思い切って振ってみればなかなかに気持ち良く、ゲーム後は大量の汗をかいていたりと良い運動になったものだ。
(オズワルドみたいな大剣じゃなくても、炎を纏う剣······想像しただけでも、十分格好良いわ。ぜひとも振ってみたい!!)
そんな図々しいことまで考え始めていた私は、この黒髪の男とのコミュニケーションに慎重に挑もうと思い至った。
興奮し過ぎて引かれたり、魔法についてしつこく聞き過ぎても嫌がられてしまうかもしれない。
「···その、正直貴方の魔法のことは気になるけど、かなり貴重な力なだけに事情もあるだろうし、助けてもらっておいて無理矢理聞き出そうってつもりはないの。あ、でも一つ聞かせて。どうして私を助けてくれたの?」
私はとりあえず、一番最初にこの黒髪の男に抱いた疑問について尋ねてみることにした。
最初はこれぐらいが無難な質問だろう。
「········宿へ戻る途中、見掛けて、様子がおかしかったので見守らせてもらった。長剣は持っていないようだったので、使えと言った。それだけだ。君を助けたわけじゃない」
「そんなことない!貴方のおかげで盗賊達をこうして捕まえることができた!貴方の魔法のおかげで···」
「いや、君の力だ」
私の言葉を遮ると、黒髪の男は言葉を続けた。
「盗賊を捕まえたのは君だ。俺は何もしていない。······そういうことにしておいてほしい。あの力のことは、他言無用で頼む」
(なるほど、やっぱり魔法のことは秘密にしておきたいのね)
格闘ゲーム『グラディアトル』の世界では、魔法を使えるものは限られている。
それは、各国の王の血筋を持つ者だけに神が与え給うた特殊能力だという設定だった。
しかし王の血を受け継ぐ者であれば誰もが魔力に目覚めるというわけではない。その血を引いた者達の中で、強い魔力を宿す者は唯一人。他に魔力に目覚める者が出てきたとしても、その唯一人の強大な魔力には及ばないようになっている筈だ。
ゲームの世界ではその強力な魔力保持者達によりそれぞれの国が守られ統治されることで、各国の均衡が保たれているという設定だった。
そしておそらく、今私が存在しているこの世界でも同じように、魔力保持者達により国か治められ国民の生活は守られているのだろう。
その肝心の強力な魔力保持者が一体誰なのかは、公には知られていない。王族に遣える側近達の中でも、ほんの一握りの者達しか知り得ない国家最重要機密事項だと言われている。
何せ国の存亡が関わってくる話なので、それは当然だと言える。
実際、格闘ゲーム『グラディアトル』の中でも魔剣に力を注ぐ魔力保持者達については詳細がほとんど明かされておらず、ゲーム画面に出てきても指先や口許だけが映されたりと、その王族達の姿は謎のベールに包まれたままだった。
黒髪の男が魔力レベル的にどのくらいの位置にいる存在なのかは全くもって不明だが、そもそも隣国の王族がこんな小さな村に滞在していること自体が有り得ない。ましてや魔力や本当の素性についても、聞いたところで教えてはくれないだろう。
だとしたら秘密を共有するだけでも、ゆくゆくの交渉材料として高く付く筈だ。
そう、いずれ火の魔剣を振るわせてもらう為にも、ここは相手の言う通りに秘密を守り、まずはしっかりと信用を得なくてはならない。
「······分かったわ。じゃあ、魔法とは別だと思うんだけど、最後に短剣で此奴等を切りつけていたのは何だったの?」
「短剣には痺れ薬を塗ってある。意識が戻っても、半日は動けないだろう」
そう言うと、黒髪の男は盗賊達に近付き、その場に屈んで男達が持っていた麻袋の中身を確認し始めた。
(それにしても、この人全然表情が変わらないわね···)
そんなことを考えながら、私も盗賊達へと近付いて、しゃがみ込みながら一緒に確認する。
「長剣と短剣、あとは防具も。やっぱりうちの店だけじゃなく、他の店からも盗んできたみたいね。目的は転売かしら?この量だと此奴等が使うとは考えにくいわよね」
「他に仲間がいる、という可能性もある」
黒髪の男が、今度は盗賊達の身に付けている腰袋や懐部分を探り出す。
ランプを持っていた盗賊の腰袋から、小銭や煙草、そして数枚の紙が出てきた。
黒髪の男はその紙を暫くの間じっと見つめていた。
「その紙、何が書いてあるの?」
読み終えたのか、その内の一枚を私に寄越してきた。
私もその紙に目を通す。
「え···これって······!!」
私は、そこに書いてある内容に驚愕した。
「こ、国王暗殺計画······?!!」
『ルクスティア国王暗殺計画』
『一ヶ月後の生誕祭にて実行する』
『多くの同志を集めよ』
『多くの武器を集めよ』
『全ての善良な民達の豊かな生活の為に』
「···ただの盗賊ではなかったな。反乱分子の集まりというところか」
「反乱分子······」
黒髪の男は、至って冷静な様子だ。
一方で私は分かりやすく混乱している。
(国王を暗殺······どうして?)
「······『守られた田舎』で長閑に暮らしている者には遠い国の話に聞こえるかもしれないが、水面下ではいつの時代でも内乱は起きているものだ。どんな国でも、民が皆同じ方向を向いているとは限らないからな。···まぁ、今のままでは生活に苦しむ者や納得できないという者達もいるということだ」
私の考えていることを察したのか、黒髪の男が諭すように応えてくれる。
「この紙に書かれた計画が実行されるとしたら、一ヶ月後に王都でクーデターが起こることになる」
「そ、それは!止めないと!!」
淡々とした言葉を聞いていて、ハッとした。
「たとえ王様に不満があったとしても、殺すなんてだめよ!!クーデターだなんて、きっと多くの罪のない人達まで巻き込まれてしまうわ!!一刻も早くこの計画を国に伝えないと。いや、まずは村長に伝えて、村長から国の役人に伝えてもらった方がいいのかしら······」
「ここに貴重な情報源がいる。まずは此奴等を王都に連れて行き、この手紙と共に色々と白状させるのがいいだろう。そもそも強盗としての罪があるのだからどちらにしろ王都に連れて行かないといけない。他に仲間がいることを考えると、連行するにも護衛がいるだろう。······『剣闘会優勝者』が護衛として付けば、安心なのではないか?」
「そうね、此奴等を王都へ連れていけば、話も早いわよね。護衛、もちろんやるわ!一応村長にも話してみて、許してもらえるなら私が連れて行く!あ、貴方はどうするの?本当は盗賊を捉えたのは貴方でこのクーデター計画も貴方のおかげで知ることができたっていうのに、私だけ国に報告に行くわけには行かないわ。···そうだわ、できれば貴方も付いてきてくれない?安心して、魔法のことは絶対秘密にするから!」
盗賊を捕まえたことはもちろんだが、国家反逆を企む者たちの計画を掴んだとなれば、きっと何かしらの報奨を賜ることになるだろう。その時その場にいるのが私だけ、というのは許されない。率直にそう思った私は、黒髪の男を誘った。
(···旅の間に、火の魔剣のこともお願いできるかもしれないし!)
そんな下心もありつつではあったが、褒美を独り占めするわけにはいかないという思いは本当だ。
ただ、この男が付いてきてくれるだろうか。
「······ああ、俺は元々これから王都へ向かう予定だった。盗賊共を運ぶのも人手がいるだろう、同行させてもらう」
(やった!)
私は心の中で火の魔剣を思い浮かべ、右手をギュッと強く結んだ。
「ありがとう。それじゃ、まずは村の皆に報告ね!」
私は盗賊達の懐を探る為にしゃがみ込んでいた姿勢から、その場に立ち上がって黒髪の男に体を向き直し、右手を差し出した。
「改めて、私はレビダ村のリオナ・メナスよ。剣闘会での試合、最初から勢い良くぶつかってきてくれて嬉しかったわ。私、よく見た目で舐められるの。それと貴方の剣技、とても参考になったわ。これから暫くの間、どうぞよろしく!」
黒髪の男が、私と同じようにその場に立ち上がる。
少しの沈黙の後、やはり全く表情を変えずに、体と視線をこちらに向き直して返事をくれた。
「······ゲルニア村、ヴィド・クラウスナーだ。よろしく」
私は後から差し出されたヴィドの右手を、ギュッと握った。