89話 Two Order(後編)
緊迫した空気が漂ってきた瞬間、数百名もの隊員たちが壇上へ続く中央の道を開け、左右に整列している光景が視界に飛び込んできた。
遊戯革命党との決戦に参加する戦闘員に加え、裏方の技術職員や医療職員たちも一堂に会しているようだった。
アントの隊員たちは微動だにせず、まっすぐ前方だけを見据えている。
まるで古今東西のゲームに登場するNPCのように、所定の位置から一歩も動かないようにプログラムされているかのようだった。
『え? 七海ちゃん、マジ!? アントの隊員ってオレらプレイヤーと組んでるの知らなかったのかよ!』
『マジだよ、綾瀬っち。アントはNPCがプレイヤーを取り締まる組織だからね。さすがに遊戯革命党との決戦で隠し通すわけにはいかないから、代表のカリナちゃんが昨日みんなに伝えたってわけ』
『本当に何も知らないんですか? 新しく入った俺たちはともかく、七海さんたちは一緒に戦ったことがありますよね?』
『もちろんあるよ、遊津っち。ヤバい時に駆り出される遊軍だったし。でも、私はプレイヤー専用のスマホをなくしてたし、杏珠は隊員の前でギアを使わなかったし、成郎っちはビビって救助活動ばっかりしてたからさ。普通にNPCだと思われてたんだよね〜』
七海は後頭部を触って、にゃははと呑気そうに笑った。
『まあ、冷静に仲間とか疑わないもんな。とりあえず親睦を深めるためにも、ぱあっと飲み会でもやろうぜ〜!』
『そう思って誘ったんだけど、向こうに断られたんだよね。「我々は訓練に励まなければいけないから、そのような時間はない」ってさ』
『うわ〜超お固いこと言うじゃん』
『市民のために命を懸ける仕事をしてる人たちだからね。みんな超がつくほど真面目だよ。ただ、今回のは断るための口実だと思うけど』
『ん? どういうこと?』
『アントの隊員になる人たちってさ、プレイヤーの戦いに巻き込まれて、家族や友達を亡くした人が結構いるんだよね。いくら仕事とはいえさ、親の仇みたいな存在と仲良くするのはムズいでしょ?
そういうのを抜きにしても、私たちプレイヤーはNPCの身体に憑依して活動してる。NPCからしたら、私たちは「人間」じゃなくて「退治すべき化け物」なんだよ』
レキトは七海たちと壇上に向かって歩きながら、1週間前にアジトで交わした会話を思い返す。
これから壇上に用意された椅子に座る前に、NPCの隊員たちに自分自身のことを話そうと心に決めていた。
家族思いのプレイヤーの兄がいたこと、自分の命と引き換えに助けてくれた両親のこと、恋人や妹と過ごした何気なくて幸せな日々のこと。
たとえ信頼関係を築くことは難しくても、当たり前に続いている大切な日常を守りたい気持ちは同じだと知ってほしかった。
だが、今回その必要はないらしい。
レキトは七海たちと壇上に上がり、講堂で整列しているアントの隊員たちを見渡す。
数百名の隊員たちは敬礼の姿勢を取っていた。
まるで全員の思いが一つであることを象徴するかのように、額に添えられた指先には一分の乱れもなかった。
彼らの瞳には憎悪や敵意などの感情が一切浮かんでいない。
誰かが代表して何か言わなくても、共に命を預けて戦おうという覚悟が伝わってくる。
── 俺たちプレイヤーとの親睦会の誘いを断ったとき、『我々は訓練に励まなければならないから、そのような時間はない』と言ったのは、本当に言葉通りの意味だったのだろう。
──「本音」なのに「建前」と捉えてしまう。対戦で相手の思考を読み、裏をかくことが当たり前になっているため、いつの間にか言葉をそのまま受け取れなくなっていたのかもしれない。
レキトは左手を胸に当て、アントの隊員たちの敬礼に応えた。
「全員、気をつけ! これよりカリナ代表より訓示を行う!!」
司令官らしき男が鋭く号令を飛ばす。
数百名の隊員たちは敬礼の腕を一斉に下ろし、「ピシッ!」という乾いた音が空気を裂いた。
その勢いにつられて、レキトも思わず姿勢を正す。
静寂の中、杖をつく音が近づいてきて、カリナが舞台袖から姿を現す。
決戦に臨む者たちへ檄を飛ばす代表にふさわしい、燃え盛る炎のような深紅色の儀礼服だった。
演台へ上がる直前、レキトと目が合うと、カリナは灰色の大きな目を優しく細める。
一緒にバスケの試合を観戦した以来ですね、と話しかけられたような気がした。
「……特殊防衛組織『アント』の設立から7年。私たちは市民の平和を守るために、多くのヒューテックを取り締まってきました。今の時代、ヒューテックの被害が大々的に報道されますが、その裏で救うことのできた命はたくさんあります。
この場にいない者を含めた一人ひとりの頑張りのおかげで、世の中は最悪の手前で踏み止まることができているのです」
カリナは一呼吸置いて、視線を一瞬だけ上げた。
まるでこの場にいない者へ黙祷を捧げるかのように。
「きっと今この瞬間、皆様の中には、こうした決意を胸に秘めている方が多いはずです。
『遊戯革命党が、世界中に死のウイルスをばらまくことは何としてでも防がなければいけない。たとえ命を賭してでも止めてみせる』と。
大勢の人々を守るために、戦うことを選んだ皆様です。死ぬ覚悟など、とうの昔に固まっているでしょう」
──ですが、忘れないでください。
──あなた達には誰かにとって大切な人であり、もし死んだら悲しむ人がいることを。
カリナは真摯な声で言った。
「だから、私は皆様に命令を2つ下します。1つは遊戯革命党の計画を阻止すること。そして、もう1つは全員で無事に生きて帰ってくることです。
世界の命運をかけた戦いだろうと、犠牲になっていい命はありません。遊戯革命党を倒した後にも、皆様が守るべき日常は続きます。……どうか完璧な勝利をつかんできてください」
カリナは深く一礼して、演台から降りた。
司令官が「全員、敬礼!」と号令をかけると、数百名の隊員たちは一糸乱れぬ動きで右手を額に添えた。
レキトは左手を握りしめた。
心臓を指でガリガリと引っ掻かれるような感覚を覚える。
遊戯革命党の暁星が《執剣秩序》を起動して、真っ黒な剣が真紀を全方位から襲ったその直後──。
八重樫隊長が身を挺して攻撃を受け、両手を広げて立ったまま殉職したことを思い出した。
「レキトくん、今、何を考えてるか当てよっか? もう誰も死なせたくないって思ってるでしょ?」
明智が声をひそめて話しかけてきた。
どうして考えていることがわかったのか?
レキトが内心驚いていると、「意外とレキトくんは顔に出てるよ」と明智は笑った。
凛子とゲームセンターで遊んでいたとき、似たようなことを言われた記憶が蘇る。
切ない懐かしさを覚えつつ、レキトは対戦中に考えが読まれないように注意しようと肝に銘じた。
「では、問題です。今、私は何を考えてるでしょう?」
司令官が各部隊に作戦の指示を飛ばす中、明智が問いかけた。
レキトは少し考えてみたものの、答えはまったく浮かばなかった。
これまで綾瀬の突拍子もない閃きに振り回されてきたが、実は明智の方がそれ以上に掴みどころがない。
返答に迷っていると、明智はがっかりしたような顔でため息をついた。
「もう、私もレキトくんと一緒だよ。誰一人犠牲になることなく、遊戯革命党の計画を阻止する。だって、そっちの方がいいからね」
「……意外だな。明智はもっと現実的に考えるかと思ってたよ」
「まあ遊戯革命党の計画を止めること自体、結構難しいって思ってるけどね。でも、私たちプレイヤーは『Fake Earth』で生き残ってきた。不可能と思える困難を何度も乗り越えてきた。
そう考えたら、案外簡単にできそうだって思わない?」
明智は自信ありげにウィンクした。
呑気にさえ思えるほど軽やかな口ぶり。
けれども、決戦前でも普段と変わらない彼女が言うと、少しだけ現実味が増したような気がしてくる。
「ああ、そうだな。俺たちプレイヤーも、誰一人欠けずに勝つぞ、明智」
レキトは左手を握り、拳を明智に向けた。
明智も右手を丸めて、レキトの拳に合わせようとする。
だが、拳と拳がコツンとぶつかる直前、明智は顔を赤らめ、慌てて手を引っ込めた。
なぜかケダモノを見るような目でレキトを睨みつけている。
……どうやら「こいつ、さりげなく私にボディタッチをしようとしてるのでは?」と面倒な誤解をされているらしい。
それから遊戯革命党のアジトへの突入から5分後、レキトたちは思い知らされることになる。
──全員で無事に生きて帰るなど、とんだ「夢物語」だったということを。