84話 決戦前夜と恵まれた地獄(中編)
遊戯革命党は驚くほどアットホームなギルドだった。
全員がアジトで共同生活をしていて、楽しそうに言い合いができるくらい仲が良く、花見や誕生日会などのイベントを定期的に開催していた。
それでいて、メンバー8人は揃いも揃って強く、単独でコインを7枚集められる実力を持っている。
彼らと一緒に行動していれば、伊勢海も自然と強くなれそうな気がした。
「変則白兵戦訓練」。
遊戯革命党が毎日アジトで行っている訓練は、プレイヤー専用のスマートフォンを一切使わず、ラバー製のダミーナイフのみで戦う──まるで軍隊のような練習法だった。
ギルドマスターの暁星が言うには、白兵戦の腕を磨くことで直感や反射神経が研ぎ澄まされ、初めて見るギアの攻撃にも素早く反応できるようになるらしい。
訓練は実戦の様々なパターンを想定しており、一対一で戦っている最中に、別のメンバーが乱入してくることもあれば、足に重りをつけて「怪我をした状態」を再現して始めることもある。
一試合ごとに異なる条件での対戦は飽きが来ず、実力差がある者へのハンデにもなる。
伊勢海もゲーム感覚で楽しみながら、少しずつ強くなっていく手応えを感じた。
だが、遊戯革命党の訓練で鍛えても、伊勢海は敵プレイヤーを倒せなかった。
いざ敵ギルドとの抗争に臨んだとき、今まで受けてきたダメージの記憶が一気にフラッシュバックしたからだ。
『Fake Earth』のプレイヤーに選ばれるきっかけとなった才能、「完全記憶能力」は過去に経験したことをその当時のまま色褪せることなく覚えている。
《太陽を克服した吸血鬼》の不死身の力がなければ、ゲームオーバーになっていただろう数々の痛みが、今も脳に刻み込まれている。
怖い。傷つきたくない。戦いたくない。
一度自覚してしまった恐怖は、頭から二度と消えてくれない。
暁星たちが敵ギルドと戦っている最中、伊勢海は背を向けて逃げた。
仲間たちが命を張っているのに、唯一ゲームオーバーにならない力を持っているのに、その場に居合わせたNPCのように戦場から逃げた。
自分自身から消し去りたい記憶が、また一つ脳に刻まれていく。
それ以来、伊勢海は戦おうとするたびに、これまで受けてきた痛みが全身を走るように蘇り、ついにはダミーナイフを使った訓練すらできなくなった。
「どうすんだ、リーダー? このままだと伊勢海ちゃん、使い物になんねえぜ」
伊勢海が対戦恐怖症になってから2週間後の深夜。
喉の渇きで目が覚めて、調理場へ水を飲みに行ったとき、明かりの点いた談話室からひそひそと話し声が聞こえた。
ドアの陰からそっと覗くと、昼神と暁星がソファで向かい合っている。
──盗み聞きするのは良くない。
──でも、自分の話題はスルーできない。
伊勢海は息をひそめて、2人の会話に耳を澄ませた。
「うーん、『どうもしない』かな。成郎が戦えなくなったのは、彼自身のメンタル的な問題だろうからね。無理に立ち直らせようとするのは逆効果だろうし、時間が解決するのを待つしかないと思ってるよ」
「なるほどね。全員が賛同しそうな考え方だ。でも、本当にそれでいいのか? ギルドを束ねるリーダーとして、時には非情な決断をすべきじゃねえの?」
「……どういうことだい、修?」
「『切り捨てる』って選択もアリってことだよ。戦えなくなった臆病者を戦場に戻すのは、現実的に無理だろ?
だったら、伊勢海を殺してコインに変えちまった方が、新しいギアも手に入るし、ギルドの為になる。
なーに、プレイヤーはゲームオーバーになれば、傷も血痕も消えてNPCとして復活するんだ。殺した証拠は残らないんだから、『伊勢海は思い悩んで自殺した』ってことにすればいい。
……リーダーが命令してくれるなら、俺はすぐにでも汚れ役を引き受けるぜ」
昼神は意地悪そうな笑みを浮かべ、対プレイヤー用ナイフを起動した。
切れ長の一重の目は生き生きと輝いている。
伊勢海は両手で口を塞いで、悲鳴が出そうになるのを堪えた。
心臓の音が、2人に聞こえそうなほどバクバクと鳴っている。
暁星は涼しい顔でホットミルクを飲み、削ぎ模様のマグカップをテーブルに置いた。
「たしかに合理的な考えだね。問題を手っ取り早く解決できるし、悪くないと思うよ。
──でも、その方法はなしだ」
「なんでだよ? リーダーが伊勢海ちゃんを仲間にしたのは、不死身のギアに可能性を感じたからだろう? 戦えないなら、ギルドにいる意味ねえじゃねえか」
「うまくいかないときに支えるのが仲間だからだよ。お互いの人生を預け合うギルドなら、なおさらね。
それに、僕たちプレイヤーは、運営に能力を認められた『特別な人間』なんだ。普通の人が諦める困難も乗り越えられる。成郎は必ず復活するって信じてるよ」
暁星は微笑み、穏やかな口調で言った。
だが、その言葉の奥には、揺るぎない信念が込められている。
昼神は肩をすくめて、やれやれと言わんばかりにため息をついた。
「はぁ〜承知いたしましたよ。リーダー様は大変お優しいことで」
「悪ぶるのはよしてくれ、修。もし成郎をゲームオーバーにする提案に乗ってたら、君は僕の方を切り捨てた。違うかい?」
「……なーんだ、バレてたのか。ご察しのとおり正解だよ。
──どんな理由があろうと、誰であろうと、仲間を裏切る奴は地獄に落ちるべきだろう?」
昼神は笑顔で首を掻っ切る仕草をする。
片耳のドロップピアスに付いている、4本の針のチャームが妖しく揺れた。
仲間思いの2人が深夜の時間帯に配慮して、控えめにクスクスと笑う声が重なり合う。
伊勢海は足音を殺して、消灯している自室に引き返した。
仲間のひそかな思いやりを知り、彼らのためにも一層頑張ることを決意する。
高校受験当日に読んだライトノベルの一場面が、一字一句漏らさずに脳裏に浮かんだ。
視界がにじみ、目尻から溢れた涙が頬を伝っていく。
止まれと念じても、傷口から流れた血のように止まってくれなかった。
「……ちくしょう。いっそのこと追放してくれよ」
みじめだった。
みじめで消えたかった。
強くて優しい仲間と比べて、ギルドでお荷物の自分がみじめで情けなかった。
「完全記憶能力」を天から授かったのに、うまくいかない人生。
この新しい世界で《太陽を克服した吸血鬼》を手に入れたときは、成功は約束されたも同然だと思った。
暁星に仲間に誘われたときは、今度こそ人生がいい方向に変わると思った。
だが、どれだけお膳立てされても、伊勢海はつまずくことを繰り返していた。
もし本当に頭のいい人が「完全記憶能力」を授かったら、負け組に落ちぶれることはなかっただろう。
他のプレイヤーが《太陽を克服した吸血鬼》を手に入れたら、もっと上手に使いこなして、最強クラスのプレイヤーになっただろう。
あるいは遊戯革命党に入ったことで、優秀な仲間たちに感化されて、十分な戦力になったはずだ。
「才能」や「環境」に十分に恵まれているのに、精一杯生きてもうまくいかないなら、どうすればいいのか?
いったい何が足りないのか?
『Fake Earth』に参加した動機の強さか?
遊戯革命党のプレイヤーたちは、何が何でも叶えたい願望を抱えて、この世界に飛び込んできている。
現実世界に嫌気が差して逃げてきただけの伊勢海とは、大違いだった。
そんな彼らが眩しくて、一緒にいると劣等感をえぐられて、優しくて仲間思いだから逆恨みを抱くことすら許されなくて辛かった。
だから、昼神が《同類を浮き彫りにする病》を手に入れ、燈が全世界NPC機能停止計画を考案した日、伊勢海は胸がすっきりした。
遊戯革命党を脱退することに正当な理由ができたからだ。
ゲームマスターを見つけやすくするために、この世界で生きるNPCを何十億体も始末するなんてとんでもない。
NPCはプログラムとしか思ったことがないのに、「世界を守るためだ」と頭で言い聞かせて、自分のためにギルドを黙って抜けた。
それから半年後──。
伊勢海はNPCの武装組織『アント』に加入して、彼らに協力するプレイヤーと準備を重ねて、遊戯革命党のアジトに攻め込んだ。
奇襲作戦は失敗に終わったものの、敵プレイヤー1名の撃破に成功する。
かつて仲間だったプレイヤーたちに再会して、全員のショックを受けた顔を見たとき、完璧に記憶できる才能は「呪い」だったことに気づかされた。