83話 決戦前夜と恵まれた地獄(前編)
これはあるプレイヤーの過去の物語である。
この才能に目覚めた今、残りの人生は無双して生きていける。
超難関大学模試の結果が8科目すべて満点に近い点数で返ってきたとき、まだ中学2年生の僕は薔薇色の未来を思い描き、思わずニヤつかずにはいられなかった。
国内トップクラスの大学を目指す人たちが受ける模試で、僕と同じように高得点を叩き出した人は、きっと途方もない時間をかけて勉強したのだろう。
受験に求められる膨大な知識を「覚える」のではなく、プレッシャーのかかる試験で「使える」ようにするには、気が狂いそうになるほど繰り返し学び直して、記憶に定着させなければいけない──。
そう、大多数の凡人にとっては。
けれども、今の僕は各教科の教科書と参考書を一度読み通しただけで、それ以上の勉強は一切する必要がなかった。
「完全記憶能力」。
14歳の誕生日に突然開花した才能は、僕が五感で認識したあらゆる物事を細部に至るまで記憶できる力だった。
目で見たものを忘れないことはもちろん、3ヶ月前の校長先生の話も一言一句漏らさず諳んじれるし、旅行中に食べた料理の味も、今まさに口にしたように鮮明に思い出すことができる。
頭に一度でもインプットされたことなら、思い出したいときに一瞬で引き出せるし、どれだけ知識を詰め込んでも、頭が痛くなるような反動はなかった。
最難関私立大学医学部の現役合格、医師国家試験合格、100ヶ国語以上の言語の習得、円周率暗記のギネス記録の更新──。
それから僕は才能をフルに活かして、思いつく限りの偉業を次々と成し遂げた。
現代は注目を集めることが価値になる時代。
誰にも真似できないことをやってのければ、大勢の人たちにもてはやされるようになる。
YouTubeで記憶力を見せつける動画を投稿すれば、チャンネル登録者数20万人をあっという間に突破した。
凄い特技を持つ人を紹介するテレビ番組に出演すれば、ブレイクして色んな番組に呼ばれるようになった。
知名度が上がるにつれてモテるようになっていき、ファンを名乗る女の子達からDMが送られてきたり、街中で女の子たちから写真を求められたりするようになった。
だが、勝ち組の薔薇色の人生は長く続かなかった。
超人的な記憶力を発揮するパフォーマンスに、大衆が飽きてしまったからだ。
YouTubeの再生回数は右肩下がりが止まらず、テレビ番組の出演オファーは途絶えた。
街中で女の子と目が合っても無視され、かつてDMを送ってきたファンの子にはブロックされた。
──メディアに出なくても、成功者になる道はいくらでもある。
僕は気を取り直して、就職活動を始めた。
「完全記憶能力」のおかげで、自己PRや志望動機を暗唱することはもちろん、面接対策本に載っていた模範的な振る舞い方まで完璧に再現できる。
論理的思考能力が問われるケーススタディ面接も、就活塾で教わったアプローチの仕方をすべて丸暗記すれば、問題なく対応できた。
採用人数の多い大企業ほど、一芸に特化した人を何人か採用する傾向にある。
10社以上の有名企業から内定をもらい、一番給料の良かった総合商社で働くことにした。
けれども、高級取りの商社マンの仕事も長く続かなかった。
顧客との交渉に失敗することが多々あり、なぜかビジネス本で学んだ会話術がまったく通用せず、嫌味ったらしい上司にネチネチと詰められる日々にうんざりしたからだ。
同じくらい稼げる仕事はいくらでもある。
こんな特別な才能を持っているのに、うまくいかないはずがなかった。
しかし、他の業界へ再就職は簡単にできても、どこも1年以上は続かなかった。
医者の仕事は患者や先輩とうまく折り合えず、研修の途中で投げ出した。
通訳の仕事は相手の言葉の機微を伝えられず、外資系企業の雇い主からクビを言い渡された。
転職を重ねるたびに、待遇が徐々に悪くなっていく。
気づいたら、無名のブラック企業の事務職まで落ちぶれて、うっすらと馬鹿にしていた凡人以下の負け組になっていた。
だから、運営のアーカイブ社から『Fake Earth』に招待されたとき、僕は迷わず参加することにした。
愛読している異世界転生物のライトノベルの主人公たちのように、新しい世界でやり直したい。
ゲームオーバーになれば現実世界へ帰れなくなる話は怖かったが、こんな毎日みじめで死にたくなる世界に二度と戻りたいとは思わなかった。
──運良く手に入れたチート能力で無双して、色んなタイプの可愛い女の子にモテまくる!
ゲーム世界で幸運に恵まれる保証はなかったけど、ここ5年ずっと不幸だった自分の人生を思うと、今から運気が爆上がりしそうな気がした。
No.632《太陽を克服した吸血鬼》。
僕が新人プレイヤー応援特典として手に入れたのは、「使用中にどんなダメージを負っても、即座に再生して回復する」肉体強化系のギアだった。
たとえ心臓を貫かれても、頭を斬り落とされても、ゲームオーバーにならず全回復する。
残機が1機しかないゲームで、誰と戦っても死ぬことがない。
心から望んでいたチート級の力を授かった。
「あはは! 勝った、勝ったぞ! この世界で僕は最強だ!」
富士山の樹海に転送された僕は、拳を空に向かって突き上げる。
この不死身の力でピンチになっている女の子を颯爽と助けて、吊り橋効果でその子に惚れられる「王道の展開」が頭に浮かんだ。
《太陽を克服した吸血鬼》は使用している間、僕のスマートフォンは手元から消える。
そのため敵プレイヤーにスマートフォンを破壊されて、ギアを強制終了させられる心配もない。
他のギアを使えないデメリットはあるが、代わりに別の武器で戦えば済む話だった。
だが、この世界の現実も甘くなかった。
運営に選ばしプレイヤーたちは、《太陽を克服した吸血鬼》に素早く対応してきたからだ。
あるプレイヤーは不死身の力に気づくや否や、煙幕のギアを起動して、白煙の中へと姿を消した。
別のプレイヤーは僕が武器にしていたスタンガンを壊して、撤退せざるを得ない状況を作った。
いつどこで戦いが起こるのかがわからず、RPGのような回復ポイントのないゲームで、生き残っているプレイヤーに攻撃を当てるのは難しい。
試しに格闘技の動きを動画サイトで一通り見て覚えてみたが、僕には頭でイメージしたとおりに体を動かすセンスはなく、敵プレイヤーを追い詰めることすらできなかった。
そして、プレイ開始から3ヶ月後──。
深夜の静まり返った都会の街を趣味で散歩していたとき、突然バトルアラートが鳴り響き、僕は「このゲームの主人公になれない」と思い知らされるプレイヤーに出会った。
淡い月明かりに照らされたそいつは、一目で敵わないことが本能でわかった。
あらゆる分野で突出した人に共通する、「見た目の良さ」だけでは言い表せない「華」がある。
《太陽を克服した吸血鬼》を最初に与えられたのは、こういう化け物じみた存在と渡り合うためのバランス調整ではないか、という突拍子もない仮説が浮かぶほどの風格だった。
地獄。あまりにも凄惨な地獄。
不死身になれるギアを起動したことを悔やむほど、そいつとの対戦はオーバーキルの連続だった。
まるで再生回数に限度があるかを確かめるかのように、ダメージ許容量に上限があるかを検証するかのように、次々と繰り出されるギアの攻撃は苛烈さを増していく。
《太陽を克服した吸血鬼》がどんなダメージをも瞬時に回復してくれても、それに伴う痛みが消えるわけではない。
死ねば感じなくなるような苦しみも、回復するかぎりは何度でも味わわなければならなかった。
両目が潰される痛みが襲いかかった。
上半身が斬り落とされる痛みが襲いかかった。
痛みで意識が飛び、痛みで意識を引き戻される──地獄のような繰り返しが続いていく。
──もう《太陽を克服した吸血鬼》を解除して、ゲームオーバーになって楽になりたい。
完全に心が折れてしまったとき、永遠に終わる気配がなかった攻撃がピタリと止まった。
血塗れで倒れた僕は信じられない思いで、不死身の力で再生した眼球でそいつを見つめる。
琥珀色の瞳を持つそいつは屈んで、爽やかな笑顔を僕に向けていた。
「君、いいギアを持ってるね。時間帯を変えて出歩いてみた甲斐があったよ。もしよかったら僕たちのギルドに入らないか? もちろん無理にとは言わないし、前向きに検討してくれるだけでありがたいんだけど」
そいつは両手を合わせて、懇願するようなポーズを取る。
さっきまで激しく攻め続けていたのが嘘だったかのように、仲間になってほしそうな目で僕を見つめていた。
強引に力で従わせることができるはずなのに、どうして下手に出て勧誘するのかがわからない。
ただ、敵だったプレイヤーにも優しさを持ち合わせている人だからこそ、仲間として協力するプレイヤーがいるような気がした。
「……いいのか? 僕のことはギア以外知らないだろ? 仲間になるふりをして、土壇場で裏切るかもしれないぞ」
「リスクは承知さ。でも、誰かと信頼関係を築くためには、まず自分から相手を信頼しないといけないからね。それに、『裏切るより仲良くしてた方が得だ』って相手に思ってもらうことが、僕は昔から結構得意なんだ」
そいつは自信満々な顔でウィンクする。
淡い月明かりの下で様になった姿は、まるで舞台でスポットライトを浴びた主役のようだった。
もしかしたら彼の仲間には「他人からギアを奪えるギア」の持ち主がいて、《太陽を克服した吸血鬼》を強奪するつもりなのかもしれない。
あるいは「他人のギアを無効化するギア」の持ち主がいて、僕からコインを奪う可能性も十分にあった。
「わかった。じゃあ、お前のギルドに入らせてもらうよ」
しかし、僕はそいつの誘いを受けることにした。
このままソロプレイを続けても、プレイヤーとして燻ったまま終わってしまうからだ。
きっと今までの人生で失敗続きだったのは、僕に「才能」しかなかったからだろう。
天から与えられた力で大いに活躍するためには、それ相応の「環境」──つまり「仲間」にも同じくらい恵まれる必要がある。
愛読している追放物のライトノベルの主人公たちが、新しい仲間との出会いによって、その才能を開花させていくように。
それに、琥珀色の瞳を見ていれば、そいつが嘘をつかない人であることは自然とわかった。
「えっ⁉︎ 本当? 僕たちの仲間になってくれるの? 後からやっぱりなしとか言うのはダメだよ」
「さあ、どうだろうな? 『誰かと信頼関係を築くためには、まず自分から相手を信頼しないといけないからね』とか言ってたのに、いきなり僕を疑う奴を信じるのは難しいからな」
「……おっと! まいったな〜。これは一本取られたよ。君は頭が良さそうだし、頭脳面でも頼りになりそうだ」
──暁星明。《遊戯革命党》のギルドマスターだ。これからよろしく!
暁星は名乗って、僕に手を差し伸べた。
僕は口を開きかけて、喉まで出かかった言葉を呑み込む。
危うく現実世界の本名を名乗るところだった。
この偽りの世界で与えられた名前を人に告げるのは、これが初めてだと気づく。
「プレイヤー名『伊勢海成郎』だ。せっかく手を組むからには、裏切らないで済むことを願ってるよ」
僕──伊勢海は格好つけて、暁星の差し伸べられた手を握った。
夜空に浮かぶ月に雲がかかり、深夜の東京の街は暗転したように闇へと沈んでいく。
ここからが「本当の地獄」の始まりだった。