77話 極上お好み焼き、焦がし明太子もちチーズ玉(後編)
「……あれ? どうしたレキト? 急に静かになって。もしかして酔ってる? おーい、聞こえてるか? おーーーーい!」
甘辛いソースの濃厚な香りと、小麦粉と豚肉が焼けるジューシーな匂いが鼻を刺激する。
綾瀬は何度も呼びかけられて、レキトは我に返った。
どうやらテーブルの鉄板から立ち上る熱気に当てられ、いつのまにかぼんやりとしていたらしい。
綾瀬はテーブルに身を乗り出して、レキトの顔の前で手をひらひらと振っていた。
「お酒飲んでないから、酔うわけがないだろ。ちょっと考え事してただけだ」
「……えぇ、素面で考え事してたのか。レキト、お前やっぱりヤバい奴だな」
「なんで引くんだよ。おかしくないことだろ」
「あはは! 冷静にそれはそう! で、何を考えてたんだ?」
「いや、それは──実は綾瀬に教えてほしいことがあって」
レキトは「嘘」をついて、赤色のスマートフォンをちらっと見る。
《小さな番犬》はホーム画面でお座りのポーズを取り、お好み焼きの上で踊るかつおぶしのように、上機嫌そうにゆらゆらと揺れていた。
とりあえず今のところ「危険」は迫っていない。
店内にもプレイヤーらしきアバターは見当たらない。
もし万が一戦いになるようなことがあれば、綾瀬と二人で返り討ちにすればいいと考えながら、前から気になっていたことを尋ねることにした。
「なんで綾瀬は俺に協力してくれるんだ? ゲーム攻略のことだけ考えたら、遊戯革命党の計画が実現した方がいいだろう?」
レキトは綾瀬が仲間になったときのことを思い出す。
今こうして協力プレイすることになったのは、綾瀬にクリア報酬のブラックカードを渡す約束をしたからだ。
綾瀬にはブラックカードで叶えたい願いがある。
遊戯革命党の計画が実現して、全世界のNPCが機能停止してくれた方が、世界のどこかにいるゲームマスターは探しやすく、綾瀬にとっては好都合のはずだった。
「うわ〜〜〜。たしかに言われてみれば、冷静にそうじゃん。……あのさ、マジで申し訳ないんだけど、オレさ、遊戯革命党に入るわ」
綾瀬は両手を合わせて、誤魔化すようにウィンクする。
そして、2杯目のビールを一気に飲み干すと、「次会うときは敵同士だな」としみじみとした口調で言った。
冗談かと思ったが、狼のような目には数時間前と同じ真剣さが滲み出ている。
みんなによろしく伝えといてくれ、と綾瀬は一万円札をテーブルに置いて、《ULTRA PASMO》を起動して店からワープしていなくなった──。
………………。
一瞬、「綾瀬との協力プレイが終わる未来」が頭の中に浮かんだ。
──何も訊かなければよかったかもしれない。
──しかし、綾瀬が流されるまま付き合っているだけなら、いざというときに遊戯革命党につく可能性は十分にある。
──酔っている今のうちに本音を確かめて、必要があれば説得しておかなければいけない。
レキトは膝に置いた手を握りしめて、綾瀬の返答をじっと待った。
「うわ〜〜〜。たしかに言われてみれば、冷静にそうじゃん。……でも、まあ遊戯革命党のプレイヤー倒したら、コイン手に入るからいっか」
綾瀬はウィンクして、親指と人差し指で輪っかを作る。
そして、2杯目のビールを一気に飲み干すと、「一緒に頑張ろうぜ!」と人懐っこい笑顔を浮かべた。
酔っ払って調子のいいことを言っているのかと思ったが、狼のような目は数時間前と同じ真剣さが滲み出ている。
遊戯革命党の計画が実現すれば、ゲーム攻略は進むはずなのに、どうして綾瀬はあっさりと一緒に戦う道を選んでくれたのか?
レキトは綾瀬の思考回路が理解できなかった。
「……本当にいいのか、綾瀬? 俺としてはかなり助かるけど」
「おいおい、そんな水臭いこと言うなよ〜。まあ正直な話、なんでレキトが家族とか恋人とかのために戦うのか、1ミリもわかんないんだけどさ。大学に仲良い友達いても、やっぱそれとこれは別だって普通に思うし」
「じゃあ、なんで? 俺と一緒に戦ってくれるんだ?」
「なんでって『仲間』だからに決まってんじゃん。レキトが大切にしたいことなら、オレも大切にする。人生を賭けて戦うなら、オレも人生を賭けて付き合う。
──目先の損得だけで動くとか、死ぬほどダサいことやりたくねえじゃん」
綾瀬は右手を丸めて、握り拳をレキトに向ける。
山手線バトルロイヤルで戦い終えた時と変わらない、穏やかでまっすぐな視線だった。
レキトは左手を丸めて、綾瀬に握り拳を向ける。
拳と拳をコツンと突き合わせたとき、綾瀬に一番大事なことをまだ訊いていなかったことに気づいた。
「綾瀬、あのさ──」
「ごめん、長引いちゃった! もう乾杯しちゃったかな?」
思い切って質問しようとしたとき、店の外で電話していた明智が席に戻ってくる。
12月の夜の気温で冷えたのか、寒そうに手をこすり合わせていた。
明智はレキトと綾瀬が向かい合って座っているのを見て、赤面してテーブルの前で固まった。
どちらの席に座るべきか、隣に座った相手に好意があると思われないか──。
また自意識過剰なことで悩んでいるらしい。
「お疲れ~! 超飲んでたところ! てか、レキト、今なんか言わなかった?」
「……ああ、大事なことだよ。『明智に隣に座ってもらうことを賭けて、ジャンケンで決めよう』ってね」
「ちょ、ちょっと! 嘘でしょ、レキトくん!? 私のために争うってこと!?!?」
「いいね、乗った! 彩花の隣はマジ譲らねえからな。よーし、いくぞ! ──最初はグー。ジャン、ケン……ポン!」
綾瀬の掛け声に合わせて、レキトは頭に浮かんだ手を出す。
今回のジャンケンも最初に出した手で勝敗が決まった。
レキトは開いた手を下ろして、綾瀬は勝ち誇ったようにピースサインを天高く掲げる。
そして、嬉しそうに明智へ目配せすると、隣の席をバシバシと叩いて急かした。
「お待たせしました~! 『焦がし明太子もちチーズ玉』3つです~!」
アルバイトの店員が注文したお好み焼きを持ってきて、フライ返しでテーブルの鉄板の上へ滑らせていく。
『つる次郎』名物の焦がし明太子もちチーズ玉。
ふっくらと焼き上がった生地の上に、ほんのりピンク色のクリーミーな明太子ソースがたっぷり広がり、仕上げの刻み海苔が彩りを添えている。
見た目にも美しく、淡い色合いが優しい印象を与える一品だった。
熱々の鉄板から立ち上る香ばしいソースの香りが、和の風味とともに食欲をそそる。
「わー! 美味しそう!」
「マジでうまいよ! んじゃ、彩花も戻ってきたし、もう一回乾杯しようぜ!」
「いいのか、綾瀬? そのジョッキが空だけど」
「いいんだよ。おかわり待ってたら、お好み焼き冷めちゃうし。ちゃちゃっとやろうぜ!」
綾瀬は空になったジョッキをつかみ、早く食べたそうにしている明智もラムネの瓶を手に取った。
レキトはため息をつき、アップルジュースのグラスを持つ。
──さっき綾瀬に訊けなかったことは、また今度でいいだろう。
──大事なことは焦って訊くものじゃないし、少なくとも酔ってるときに無理に訊くものでもない。
「つーわけで、またまたお疲れ〜!!!」
綾瀬が元気よく声をかけて、3人で乾杯した。
レキトと明智は相手へ同時にヘラを渡そうとして、顔を見合わせ、くすっと笑う。
Q、どうして綾瀬は『Fake Earth』に挑戦しようと思ったのか?
そう遠くない未来、この日に綾瀬に訊かなかったことが後悔につながることを、レキトはこの時まだ知らなかった。