8話 悪意が紛れる都市
渋い赤色のレンガ造りの建造物が、高層ビル群の前に立ちはだかっている。
その全長は数百メートルを優に超えており、正面から改めて見ると、西欧諸国にある城壁に似ていた。
美しくレトロな佇まいは、現代のオフィス街で異彩を放っている。
雨で濡れたレンガは深い赤みを帯びており、その重厚感のある存在をより一層主張していた。
開業100年を超えた、日本の表玄関と呼ばれた重要文化財。
「帝都」という称号が東京に与えられていた時代の象徴となる建造物。
この世界でレキトが目覚めた場所は、『東京駅赤レンガ駅舎前の広場』だった。
──初心者プレイヤーにとって、都会はプレイ環境に適さない。
レキトは人差し指で眼鏡をかけ直す。
『Fake Earth』は人口が多い場所ほど、プレイヤーが集まりやすくなるゲーム。
賞金10億円を獲得するためにも、戦いの武器となる「ギア」をガチャで入手するためにも、他プレイヤーからコインを奪わなければいけないからだ。
もし都会で敵プレイヤーに見つかれば、「逃げる」選択も「戦う」選択も人混みの中から目立ってしまい、新たな敵プレイヤーに見つかる可能性が高いだろう。
誰のコインでも同じ1枚である以上、初心者プレイヤーは絶好のカモでしかないはずだ。
レキトは赤色のスマートフォンを手に取る。
ホーム画面内にあるアプリを確認して、「カメラ」を起動した。
端末の裏側のカメラレンズを向けると、目の前の光景を縮小コピーしたかのように、雨の中の赤レンガ駅舎がスマホ画面に出てくる。
すかさずインカメラに切り替え、自分の顔をスマホ画面に映した。
「サブカル系って感じか。当たり前だけど、元の自分と全然違うな」
大人びた男子高校生の顔が、スマホ画面に映っていた。
濡れた髪はアッシュグレーに染められている。
痩せた顔にはワインレッドのスクエア型眼鏡をかけていて、レンズの中の瞳の色は青かった。
肌の色は白くも黒くもない。細めの眉毛はアーチの形に整えており、鼻と口も顔の大きさとバランスが取れている。
「……さて、アレは使えるかな」
レキトはスクエア型眼鏡を外す。
視線を斜め上に向けて、細い雨をじっと見つめた。
落下する雨粒は空気抵抗を受けて、自らの形を変えていく。
「球体」だった雨粒は下半分が潰れて、「ドーム型」の雨粒に変形していく。
一粒一粒の雨粒の中に、ビルの窓が映り込んでいるのが見えた。
眼鏡をかけていたときよりも、目はよく見えている。
遠くの雨粒の形まで鮮明に見えるようになったことで、脳内で処理する情報量は多くなり、頭がフル回転しているのを感じた。
ゾーン状態に入ったスポーツ選手みたいに、集中力が最大限に高まっているのがわかる。
けれども、後頭部が10秒後に疼き始めて、痛みは徐々に増していき、最後には血管がちぎれそうな激痛に変わった。
レキトは目を閉じる。
視界が真っ暗になると、後頭部の痛みは引いていった。
鮮明に見えるようになってから頭痛に耐えられなくなるまで、有効持続時間は約60秒。
プレイヤーが操作するアバターの「脳」は現実世界と同じだから、この世界でも眼鏡を外せば「力」は使えるらしい。
最後に「ギア」のシステムを確認しようと思ったとき、急に降っていた雨は激しくなる。
BGMの音量を上げたように、雨粒が地面を叩く音が強くなった。
まだスタート地点から動きたくなかったが、これ以上雨にひどく濡れて風邪を引くわけにはいかない。
外していた眼鏡を装備して、レキトは閉じていた目を開ける。
赤レンガ駅舎前の広場を行き交うアバターたちは各々のペースで歩いていた。
誰もが近くにいるアバターを気にかけることはなく、時には肩が触れ合いそうな距離ですれ違っている。
全員が傘を差しているせいで、どんな表情をしているのかは見えにくい。
彼らの中の1人が傘を手から離して、走ってレキトに襲いかかる──そんな悪い想像が脳裏をよぎる。
──NPCかプレイヤーか、見た目で区別することができない。
──東京駅前の広場を通る人たちが、みんな怪しい人に見える。
レキトは赤色のスマートフォンを握りしめた。
頭からつま先までずぶ濡れになっている。
額から流れる水滴が、雨粒なのか冷や汗なのか、レキトにはわからなかった。
「どうしたの君? 大丈夫? もしかして傘がなくて困ってるのかな。──初心者プレイヤーくん」
雨音のBGMが流れている中、後ろから若い女性の声が聞こえた。
優しくて安心感を与えるような声色。
聞き覚えのない声のはずなのに、どこかで会ったことがあるような親しみを感じる。
気品のあるヒールの足音が近づいてくる。
レキトが振り返ると、傘を差したパンツスーツ姿の女性が手を振っていた。
華やかな顔立ちで、スレンダーで引き締まった体型。
後ろで束ねている髪は艶があり、暗めのブルージュに染めている。
彼女のダークカラーのスーツの襟には、運営のアーカイブ社の企業ロゴと同じ「赤い地球のバッジ 」を着けていた。