75話 ポケモンでよくある話
(前半の視点)チュートリアル・緑亀のジョン
(後半の視点)プレイヤー・レキト
……何が……起きた?
……なぜ……今……こうなってる?
意識が朦朧とする中、うつ伏せに倒れた緑亀のジョンは自分に問いかける。
直前に強い衝撃を受けたのだろうか?
何があったのか、まったく思い出せない。
状況を確かめるために、閉じていたまぶたを開けたが、何も見えなかった。
左右の眼窩から血が脈打つように溢れ、焼き焦がされるような激痛が走る。
緑亀のジョンの両目は、何者かによって潰されているようだった。
──カチッ。
誰かがスイッチを入れたような音がした。
ゲームで遊ぶとき、ハード機のスイッチを入れる音によく似ていた。
時を戻したかのように、眼窩から溢れ出た血が逆流して、体内へ吸収されていく。
痛みがすうっと引いていき、潰れた眼球の細胞がゆっくりと再生されていくのを感じる。
まるでゲームで操作キャラが死んだ後に復活するような──『Fake Earth』でゲームオーバーになったプレイヤーがNPCに生まれ変わるような──蘇生級の回復。
もしかして何があったかを思い出せないのは、今まさにアーカイブ社に記憶を消されているからではないだろうか?
『プレイヤー』ではない『運営』であるはずの自分が、これから別人格を植え付けられて、寿命が尽きるまで支配され続けるのではないかという恐怖に、声にならない絶叫がこみ上げてくる。
けれども、潰された両目が元通りになっても、緑亀のジョンは自分が誰であるかを忘れなかった。
元プレイヤーとしてゲームクリアしたことも、今は運営としてチュートリアルを担当していることも忘れなかった。
閉じたまぶたの裏で、眼球が思い通りに動くことを確かめてから、目を恐る恐る開ける。
目の前には、「密林に包まれた神殿の廃墟」が広がっていた。
眩しい太陽の光が木々の間から差し込む中、古びた階段は苔に覆われて、崩れかけた壁には蔦が絡まっている。
誰かが地面を爆破したのか、神殿の廃墟の入口前には、月面のように不自然なクレーターがいくつもできていた。
神殿の背後にそびえ立つ大樹は、裁きの雷に打たれたかのように、縦へと真っ二つに裂かれている。
だが、何より注目すべきところは、自分自身の手だった。
長い爪は短くなり、指の間の水かきは消えて、濃緑色の皮膚は赤みのある白色に変わっていた。
『緑亀』ではなく、『人間』のアバターになっている。
思い出した。
どうして今ここで倒れていたのかを。
死から蘇るのは、初めてではないことを。
圧倒的な化け物のような存在に、一撃も与えられずに蹂躙されていたことを。
忘れていた記憶が次々と押し寄せて、あまりの情報量に頭がズキズキと痛み始める。
ジョンが目覚めた場所は、《夢現電脳海淵城》ROOM-J。
アーカイブ社の社員専用のギアを起動して、『Fake Earth』内で別のレイヤーとして構築した仮想空間に入っていた。
昔のプレイヤーの姿になっているのも、死んでから復活したときに記憶を失わないのも、すべてジョン自身がそう設定したからだ。
同じチュートリアル担当の先輩社員に誘われて、ジョンは模擬戦をしている最中だった。
「グッドモーニングやで、ジョン。今で何回目かわかるか?」
陽気な関西弁が後ろから聞こえてくる。
うつ伏せだったジョンが起き上がって振り返ると、ハムスターのモグ吉が人間の姿で立っていた。
背の高いモデルのような男性アバター。
無造作なパーマのショートヘアで、襟付きのホワイトタイガー柄のシャツをさらりと纏っている。
逆光で素顔はよく見えず、どんな顔立ちをしていたのかも思い出せなかった。
「……えっと、たしか6回──いや、7回目ですか?」
「おぉ! 見事に大外れやな~! これで82回目やで、ジョン。死にまくったショックで、さすがに脳がパンクしとるみたいやな。頭を休めるために、ほな一旦休憩挟むで〜」
ちょうど旨そうなもん見つけたとこやしな、とプレイヤー姿のモグ吉は手に持っていた物を半分に割って投げる。
ジョンが両手でキャッチすると、それは「謎の果物らしき物体」だった。
毒々しいピンク色で、竜の鱗のような突起物が生えている。
……いったいこれのどこを見て、旨そうと思ったのだろうか?
ジョンは遠慮しようか悩んだが、思い切ってかぶりついてみる。
意外にも果肉はさっぱりとして甘く、種はプチプチとした楽しい食感で、疲れ切っていた頭が軽くなっていくのを感じた。
──それにしても、モグ吉先輩から模擬戦に誘ってくるなんて、どういう風の吹き回しなんだろう?
ジョンは一口ずつ味わいながら、モグ吉をちらっと見る。
モグ吉は「うひゃ〜! 旨すぎて、味のマヤ文明や〜!」と意味不明な感想を叫び、夢中で謎の果実を貪っていた。
相変わらず何を考えているのかは、まったく読み取れない。
『Fake Earth』を運営するアーカイブ社の社員たちは、好きなアバターを作成して、《夢現電脳海淵城》で対戦することがある。
新しく開発したギアの性能を試すため、期間限定イベントをシミュレーションするため、あるいは単純にストレスを発散するためなど、その目的は様々だ。
ジョンは新人プレイヤーを導くチュートリアルとして、その立場にふさわしくあるため、必要に応じて様々な部署の実験台となり、模擬戦を重ねて強さを磨き続けた。
せっかく同じチームにいるのだから、『最も危険な仕事をこなしているがゆえに、卓越した戦闘スキルを持っている』と社内で噂されるチュートリアルの先輩たちとも手合わせしてみたい。
入社してから1ヶ月、仕事に慣れてきた頃、ジョンは意を決して、同じチームの先輩たちを模擬戦に誘ってみた。
だが、いつも協力的な先輩たちは、全員が珍しくジョンの誘いを断った。
「めんどいから嫌だ」とインコのピー姫には拒否された。
「わいはゴリッゴリの平和主義者やからな〜。ほんまもうゴリッゴリやねん」とハムスターのモグ吉には笑顔で誤魔化された。
「ぜひ手合わせしたいが、業務命令で禁止されてるんだ」とカブトムシの武士丸には残念そうに断られた。
「ごめんなさいね、対戦のログを残したくなくて」と野うさぎのキャロルには申し訳なさそうに謝られた。
──なぜ武士丸は業務命令で模擬戦すらできないのか?
──なぜキャロルは対戦のログを残したくないのか?
ジョンは2人に尋ねてみたが、どちらも詳しい事情を教えてくれなかった。
それから何度か日を改めて誘ってみたが、先輩たちの返事は変わらず、無理に誘うことをやめることにした。
だから、入社してから2年目の今日、モグ吉が模擬戦に誘ってきた理由がわからなかった。
それも遊びの延長としてスポーツ感覚で対戦するかと思いきや、本気でジョンを殺しにかかってきている。
まるで何かに急き立てられるかのように。
ジョンの脳がパンク寸前なのを見越していたかのように、栄養補給の果物をタイミングよく持ってくるモグ吉だからこそ、この模擬戦も深い意味があるとしか思えなかった。
「あの、モグ吉先輩、1つ訊いてもいいですか?」
「かまへんで。1つと言わず、何個でも訊いてくれても。とりあえず質問は『なんでわいがジョンを模擬戦に誘ったか?』でええか?」
「……すみません、記憶が飛んでるので覚えてないんですが、もしかして前にも同じこと訊いてます? それとも、いつもみたいに『視た』んですか?」
「なんでそんな発想になるんや。わいとジョンは長~~~~~い付き合いなんやで。そりゃ、もう仲良しこよしの以心伝心! お互いに何を考えとるかなんて、顔見たら一瞬でわかるに決まってるやろ」
モグ吉は親指をぐっと立てる。
逆光で素顔は見えないままだが、ドヤ顔していることは容易に想像できた。
──モグ吉との付き合いは1年余り。そこまで長くはないし、ただの職場の先輩と後輩の関係。『仲良しこよし』ではない。
──そもそも、『以心伝心』じゃないから、言葉にして質問してるんですけど。
ジョンは内心ため息をつき、「本当に便利な力だな」と感心する。
モグ吉は他人の未来を視ることができる。
相手の顔を一目見るだけで、「次に話すこと」から「100日後に車に轢かれること」まで、様々な未来の光景が洪水のように頭の中へ流れ込んでくるそうだった。
もっとも、未来は本人や周囲の行動で変わることがあるため、あくまで視えるのは現時点で起こり得る可能性が高い未来にすぎないらしい。
この特別な力はプレイヤーを教える際にも役立っているようで、モグ吉が担当するプレイヤーは他のチュートリアルと比べて、プレイ開始から30日間の生存率が最も高かった。
「おっと、質問に答えとらんかったな! だいたい察しとると思うけど、わいが模擬戦に誘ったのは、ジョンをメキメキ鍛えるためやで。久しぶりにヤバい未来が視えよったからな〜!」
「……それって、つまり『緊急出向』をやらなきゃいけない事態になるってことですか?」
「そういうことや。わいは平和主義やから、できたら外れてほしいんやけどな〜。たぶんリアクション芸人並みに体張る羽目になると思うわ」
『Fake Earth』を運営するアーカイブ社は、他のオンラインゲームの運営会社にはない決定的な違いがある。
それは「望ましくない行動を取るプレイヤーを、ゲームから排除する権限を持たない」という点だ。
残虐非道な行為はもとより、ゲームの不具合の悪用や、チュートリアル中の社員の殺害さえも、プレイヤーの自由な行動として認められている。
犯罪やテロ行為をゲーム世界の警察が取り締まることはあっても、運営がプレイヤーを罰することはできなかった。
ただし、運営のアーカイブ社の社員には、代わりに『緊急出向』という権限が与えられている。
これは「社員が有事の際、独断でプレイヤーとして『Fake Earth』にログインできる」というものだ。
もし運営として容認できないプレイヤーがいれば、社員はプレイヤーとして参戦して、そのプレイヤーをゲームオーバーにすることができる。
とはいえ、毎月500体以上のNPCをテロで虐殺するギルドが蔓延っていても、次々とバグを生み出すプレイヤーが現れても、『緊急出向』を行う社員は一人もいなかった。
「なるほど。さすがに僕らが出張らなきゃいけない案件なんですね。──《遊戯革命党》の例の計画は」
ジョンは拳を握りしめる。
世界中のどこかに潜むゲームマスターをあぶり出すために、《遊戯革命党》というギルドが秘密裏に推し進めている「全NPC機能停止計画」。
彼らは、NPCをウイルスで苦しませる《同類を浮き彫りにする病》と、指定したギアを大幅に強化する《1万時間後に叶う夢》を組み合わせて、全世界の約70億体のNPCを機能停止にしようとしていた。
もし実現するようなことがあれば、ゲーム内にどれだけの影響を及ぼすのかは計り知れない。
モグ吉が推すレキトや一部のプレイヤーに任せきりにはできず、運営が早急に介入すべき案件だった。
「なに勘違いしとるんや、ジョン。わいらが緊急出向するんは、遊戯革命党の計画を止めるためやないで」
「……え? どういうことですか? その言い方ですと、全世界のNPCが機能停止するよりも、厄介なことが起こるって話に聞こえるんですけど」
「せやで。要はそういうことや。というか、わいら運営からしたら、遊戯革命党の計画は騒ぐようなことやない。うまいこといったところで、プレイヤーが全滅するわけやないからな〜。ぶっちゃけNPCに紛れる要素がなくなるだけやし、せいぜい対戦環境が変わるくらいやろ。
──こんなんポケモンでよくある話やで」
モグ吉が手をひらひらと振る。
本当に何でもないと思っている口ぶりだった。
ジョンは背中に冷や汗が伝っていくのを感じる。
遊戯革命党が1年以上かけて準備して、レキトたちが必死に止めようとしていることを、「騒ぐようなことやない」と切り捨てる──。
考え方のスケールの違いを、改めて思い知らされた。
「モグ吉先輩、何が視えたんですか? 『緊急出向』は誰と戦うために?」
「うーん、それは教えられへんわ。今ジョンが知ったら、すぐになんとかしようって動いて、かえって悪化させてしまうからな〜。恋愛と同じで、未来を変えるのはタイミングが大事やねん」
「じゃあ、しばらく何も動かないって約束しますよ。それなら教えてくれてもいいですよね?」
「いや、あかん。未来ってのは、信じる奴が増えるほど、具体的にイメージできる人が多いほど、そっちの方向に良くも悪くも引っ張られてまうもんなんや。『最悪の未来』を避けるために、知らん方がええこともある。
……まあ、どーんと構えとけや、ジョン。
どんだけ絶望的に思えた未来でも、案外すんなり変わるもんやってことは、よく知っとるやろ?」
──大丈夫ですよ、ジョンさん。たぶん私はなんだかんだゲームオーバーになりません。
──だって小学校の頃から、毎回ドッジボールは最後まで生き残ってきた実績がありますからね。
ジョンの頭の中で、チュートリアルで担当した彼女の記憶が蘇る。
重度の喘息持ちのアバターを割り当てられて、戦闘向きではないギアをログインボーナスで引いた、運命から見放されたようなプレイヤー。
彼女と出会ったとき、これまで一度も外したことのない「30日以内にゲームオーバーになる」という予感があった。
けれども、プレイ時間が2ヶ月以上経った今でも、あの頃と変わらない、どこかゆるい空気をまとったまま生き残っている。
これから多くのプレイヤーを担当することになっても、ジョンにとって生涯忘れられないプレイヤーだった。
「ほな、ぼちぼち休憩は終わりにしよか。どっかの誰かさんが気合い入った顔してるからな」
モグ吉は軽く伸びをして、柄物のパンツからスマートフォンを手に取った。
獰猛な白虎をかたどったオーラが、一瞬だけ見えた気がした。
ジョンは腰を落として、逆手にスマートフォンを持つ。
「気張れよ、ジョン。『最悪の未来』を回避できるかどうかは、お前はんにかかっとる。
──せやから、まずは未来が視えるわいを一発驚かしてくれや」
モグ吉は親指でホームボタンを長押しして、黄金色の対プレイヤー用ナイフを構えた。
◯
「はぁ〜♡ これ、超気持ちいいぃぃぃぃ〜♡ ねえ、遊津っちも気持ちいいでしょ?」
「……ええ、たしかに思ってたよりいいですね」
「でしょ♡ 気持ち良すぎて、何も考えられなくなちゃうよね♡」
「……七海さん、やらしい言い方はやめてください。全然嬉しくないですし、普通に逆セクハラですよ」
「え〜やらしいって何のこと? そういう風に思っちゃう遊津っちがやらしい……って、何その冷たい目つき⁉︎ すごい殺気が飛んでるんだけど! マジごめんって! 調子乗った私が悪かったから! だから、そんな鬼みたいな顔で睨まないでぇぇぇ!」
隣にいる七海は命乞いするかのように、額の前で両手を合わせる。
半泣きで媚びるような笑みを浮かべながら、ビクビクと震えていた。
……実は怒られている状況を内心楽しんでいそうな態度。
まあ、本気で怒っていないからいいんだけど。
レキトは現実世界でゲーマーだった頃、オンラインゲームのチャットで色々と見てきたため、こういうやり取りには慣れていた。
──それにしても、これは本当に気持ちいいな。
レキトは息をふっと吐き、今いる空間の無重力のような浮遊感に身を委ねる。
吐いた息の気泡が弾け、全身がほんのりと温まり、疲労が芯から抜けていった。
《惹かれ合う星座線》の電撃で皮膚が裂けた腕の傷も癒えていく。
模擬戦でボロボロになったレキトと七海は、真っ赤で大きなナマコに包まれていた。
No.572《慈愛と滋養たっぷりのナマコ》。
新たに協力プレイすることになった杏珠が持つギアは、「召喚したナマコの体内に入ったアバターのダメージを癒やす」回復系のギアだった。
アバターの欠損さえも修復できる破格の性能を持つそうだが、治療中のプレイヤーはギアを起動できず、完全に回復するまでナマコから出られないため、「戦闘中には気軽に使えない」というデメリットがあるらしい。
回復時間は杏珠のスマートフォンに表示されるようで、彼女によれば、レキトたちの回復が完了するまでに1時間51分かかるとのことだった。
「にしても、2時間待つのは長いよね〜。あのさ、遊津っち、ラップバトルでもやって時間潰さない?」
「やりませんよ。ラップバトルを暇潰しにやる人、見たことないですし。せっかく時間があるなら、先に大事なことを話しませんか?」
「大事なこと? えっ⁉︎ それって、もしかして──」
「いや、『告白される⁉︎』みたいな顔しないでください。絶対にないですから。七海さんが俺に言ってた『プレイヤーとして致命的な弱点』のことですよ。2つあるって話でしたけど、まだ1つしか教えてくれてませんよね?」
レキトは七海に模擬戦を挑まれたときのことを思い出す。
彼女がレキトを対戦相手に指名したのは、「遊戯革命党との決戦前に最も成長してほしいプレイヤー」──言い換えれば、「現時点で最も戦力にならないプレイヤー」だからだ。
最初の模擬戦でレキトは七海に翻弄され、1つ目の弱点が「初見の相手や未知のギアに対して、慎重になりすぎてしまうこと」に気づき、自分なりの解決策も見つけた。
けれども、2回目の模擬戦で七海に勝っても、もう1つの致命的な弱点が何なのかは考えてもわからなかった。
「あ〜そんなこと言ったね。でも、別に良くない? 遊津っち、今日でかなり強くなったんだし」
「全然良くないですよ。遊戯革命党の計画が実行されるまで10日しかないんです。急げることは急いでおかないと」
「うっ、それはそうなんだけど。なんていうか、実は遊津っちに言うべきか、悩んでるんだよね〜。ほら、弱点って気にしすぎちゃうと、かえって直せなくなることってあるじゃん。さっきの模擬戦でも無意識に出てたし、あえて教えない方がいいかなって思っててさ」
「わかりました。じゃあ、回復が終わったら、もう一戦お願いします。七海さんが教えてくれないなら、自力で辿り着きますので」
「にゃはは! ほんと覚悟ガンギマリだね、遊津っち。しょうがない。後で教えてあげるよ。遊津っちなら、いい感じに克服してくれるかもしれないし。
──こればっかりは、何回模擬戦をやっても、絶対に気づけないだろうからね」
七海は悪戯っぽく笑って、涙袋のある大きな目でウィンクした。
《慈愛と滋養たっぷりのナマコ》の中で、首周りのくびれたミディアムヘアがゆらゆらと揺れている。
「ありがとうございます」とレキトは頭を下げながら、「もう一戦したかったな」と少し残念に思った。
二度戦ってみた所感として、七海は天才肌にありがちな「強さにムラがある」プレイヤーだ。
2回目の模擬戦は辛うじて勝てたが、まだ彼女の実力の底を引き出せたとは思えない。
もう1つの弱点が改善でき次第、また七海に模擬戦を挑みたかった。
それから約2時間後──。
《慈愛と滋養たっぷりのナマコ》の回復が終わり、レキトたちは地下格闘闘技場から隠し通路を通り抜け、膨大な数の洋書を収めた本棚に囲まれた大部屋に戻ることになった。
他の4人はレキトと七海を待っている間に親睦はより深まったようで、隠し通路を引き返す最中、綾瀬と伊勢海はコロコロコミックの黄金期はいつだったかの話題で盛り上がり、明智と杏珠はヒンドゥー教の仏像彫刻のコミカルな可愛さを和やかに語り合っていた。
「後で教えてあげるよ」と七海は言っていたが、レキトのもう1つの弱点はまだ隠されたままだった。
なぜ回復中に教えてくれないのかを尋ねてみると、「みんなで観た方がわかりやすいから」という理由らしい。
いったい何を観るのかについては、「それは上映されてからのお楽しみ」とのことだった。
「じゃあ、みんなテキトーに座って。……えっと、たしかこれだったっけな?」
七海は本棚の前でしゃがみ込み、最下段からマーブル染めの表紙の本を引っこ抜く。
次の瞬間、足元の床がぱかっと開いて、落とし穴へ七海の姿が一瞬で消えた。
だが、咄嗟に落とし穴の縁へ指を引っかけており、「にゃはは! 危ない、危ない」と七海は呑気そうに笑いながら這い上がってくる。
どうやらここは思っていた以上に仕掛けが多いからくり部屋らしい。
レキトはスクエア型眼鏡をかけ直し、この大部屋の本棚には迂闊に触らないことを心に決めた。
「さてと、正しいのは右隣──いや、こっちは一番ヤバいやつか。うん、左隣の方だね。間違いない」
七海がモロッコ革の本を手に取ると、照明のシャンデリアが薄暗くなる。
天井のパネルが音もなくスライドして、大型のホームシアター用スクリーンが静かに下りてきた。
こんな面倒な仕掛けにしなくても、部屋を暗くしてスクリーンを出すだけなら、普通にリモコンを使えばいいのでは?
レキトは疑問に思ったが、2時間近く待っていたので、ツッコまずに流すことにした。
「杏珠、スマホの準備はできてる?」
「すでに対応済み。《魔性の虹》を削除して、代わりに頼まれたものをインストールしてある」
「ありがとう。じゃあ、みんなスクリーンに注目して!
──再現せよ! 《旅の記憶の振り返り》!」
七海は杏珠からスマートフォンを受け取り、明るい声でアプリ兵器を起動する。
そして、ラウンドテーブルに置いたモロッコ革の本にスマートフォンを立てかけると、背面のスマホカメラが光り、特殊防衛組織『アント』の盾のロゴがスクリーンに映し出された。
どうやら《旅の記憶の振り返り》は「スマートフォンの画像や映像をスクリーンに投影する」アプリ兵器らしい。
「プロジェクターと何が違うんだ?」という疑問が頭をよぎったが、早く本題に入ってほしいので、レキトはもう一度ツッコまずに流した。
「今から流す防犯カメラの映像は全部で3つ。どれも遊津っちの弱点が出てるんだけど、途中で答えがわかっても、最後まで黙って観てね」
七海が意味深な注意喚起をした瞬間、特殊防衛組織『アント』のロゴがフェードアウトして、ディズニーランドの映像へと移り変わる。
1つ目の映像は、遊戯革命党のギルドマスター・暁星を綾瀬が《迷える羊の子守歌》の録音で相打ちになって眠らせた後の場面──。
レキトは明智と協力して、暁星を助けにきた豆田と、当時敵だったアントの隊員たちを交えて、三つ巴の戦いを繰り広げていた。
寝ている暁星を背負おうとした豆田を狙って、レキトは対プレイヤー用レーザーを撃ったが、豆田は必死の形相で素早く屈んで回避する。
そこで、1つ目の映像は、予想外にも早く終わった。
「ん? 今のってさ──あ、発言禁止か」
綾瀬が何かを言いかけたとき、2つ目の映像が始まる。
山手線バトルロイヤルで、眼鏡を外したレキトと明智が電車内で戦っている場面だった。
お互いのレーザー光線が真正面から衝突して、ライトグリーン色のレーザー光線が緋色のレーザー光線を食い破り、明智は胸を撃ち抜かれて倒れた。
眼鏡をかけ直したレキトは明智のスマートフォンを拾い、彼女をスマホカメラで撮影して、イベントからリタイアさせる。
2つ目の映像も、1つ目と同様に短い時間で終わった。
──勝った対戦なのに、どこが弱点だと思われたんだ?
レキトが考える間もなく、最後の3つ目の映像が始まった。
舞台はふたたび山手線の電車内。
対戦相手はセーラー服姿の女子高生プレイヤーと、燕尾服姿の中年男性プレイヤー。
巨大化したイヤリングに直撃した男性プレイヤーは戦闘不能になり、セーラー服姿の女子高生プレイヤーと一騎打ちの場面となった。
女子高生プレイヤーが5個のスーパーボールをスマホ画面で叩き飛ばした直後、レキトは目の力でその軌道を見切り、連射した光の弾で《巨人変換機》の光を纏ったスーパーボールをすべて弾き返した。
弾き返されたスーパーボールが女子高生プレイヤーの方へ戻ったとき、光り輝いたスーパーボールは巨大化して、彼女を車両の扉まで吹っ飛ばした。
後頭部をぶつけた女子高生プレイヤーは気絶して、そのまま倒れて動かなくなる。
レキトが2人のスマートフォンを回収し、彼らをイベントからリタイアさせたところで、最後の3つ目の映像は終わった。
「はい、みんなお疲れ〜! もう好きに喋ってくれていいよ。遊津っちのもう1つの弱点、何かわかったかな?」
天井から吊るされていたシャンデリアが明るくなる。
七海は洋書に立てかけたスマートフォンを手に取って、この場にいる仲間たちを見回した。
レキトは口の中にフリスクを一粒放り込み、奥歯でガリッと噛み砕いた。
清涼感がすうっと広がり、思考が研ぎ澄まされていく。
それでも答えは見つからなかった。
だが、他の4人の反応は明らかに違っていた。
綾瀬はきょとんとした顔で、不思議そうにレキトを見つめていた。
明智は複雑そうな表情を浮かべていた。
伊勢海は頭を抱えて、どこか居心地悪そうにしていた。
杏珠は哀れむような目でレキトを見つめている。
──みんなが気づくということは、おそらくプレイヤーとして当たり前のことが欠けているのだろう。
──その当たり前が俺には理解できていない。
レキトは心臓がガリガリと引っ掻かれるような感覚を覚えた。
今まで同じ人間だと思っていた自分が、実はロボットであることに気づいたかのような異物感に襲われる。
「あのさ、レキト、なんでプレイヤーキルしねえの? 倒した奴をゲームオーバーにしたら、コインもらえんのに。普通にもったいなくね?」
綾瀬は首を傾げ、思ったことをそのまま口にしたような調子でレキトに問いかけた。