74話 届かない言葉
山手線バトルロイヤルの戦いを防犯カメラの映像で一通り見た数日前から、七海はひそかに疑問に思っていたことがある。
どうして《遊戯革命党》のギルドマスターの暁星は、レキトを仲間として最初に勧誘することにしたのか?
山手線バトルロイヤルで優勝賞品のギアを入手した綾瀬や、《迷える羊の子守唄》という一撃必殺の催眠ギアを持つ明智より先にスカウトしたのかがわからなかった。
身体能力は綾瀬の方が勝り、頭脳は明智の方が上回り、2人にはない「目の力」という才能は1分間しか使えない。
それにもかかわらず、暁星がレキトを真っ先にスカウトすべきだと判断した理由がわからなかった。
けど、今この瞬間レキトと改めて戦ってみて、ようやくわかった。
暁星がレキトを誰よりも評価したのは、あの目だ。
絶望的な状況に追い込まれても諦めない、意志の強い目。
迷いのない力強い眼差しが「戦いに勝つまで、絶対に倒れない」と語っている。
たとえ暴虐な嵐が吹き荒れようとも、決して消えることのない灯火のような瞳の輝き。
今は七海が間違いなく優勢なのに、思わず気圧されてしまいそうな目力だった。
七海はレキトを見つめ返す。
ところで、これって模擬戦なんだけど、レキトは忘れてないだろうか?
真剣な雰囲気を茶化すのは悪いから、野暮なツッコミは控えていたけど、覚悟ガンギマリの目に不安を覚えずにはいられなかった。
たしかに七海は「実戦のつもりで戦って」とは言った。
「もしゲームオーバーになったら、その程度のプレイヤーでしょ?」的なことも、まあ調子に乗って言った。
けど、さすがに「本気で相手をゲームオーバーにする気で戦え」とは一言も言っていない。
──《遊戯革命党》との決戦は10日後なのに、ただの模擬戦に熱くなりすぎて、味方をゲームオーバーにしたら洒落にならない。
──レキトも重傷を負っているし、今すぐストップをかけた方がいい。
七海はそう考えて、電池が切れかけたスマートフォンをダメージジーンズの尻ポケットにねじ込んだ。
消化不良な幕引きだが、十分に楽しめた模擬戦だった。
……物足りなさを感じてはいけない。
「真剣勝負のひりつきをもっと味わいたい」とか思うのは本当に良くない。
七海は唇を噛み、「欲望に身を任せるな」と頭の中で言い聞かせる。
けれども、まだ折れないレキトを叩きのめしたくて、体の奥がゾクゾクと震えている衝動を抑えられなかった。
「上等ォ!! 死ぬ気でかかってきなよ、遊津っち!!!」
七海は吼えて、夜会巻きにまとめた髪を留めた「蜻蛉玉のかんざし」を外す。
解き放たれた髪がふわっと広がった瞬間、真正面からレーザー砲へ突っ込むように駆け出した。
死にさえしなければ、杏珠がギアで傷を全部治してくれる。
戦闘不能にするつもりで《惹かれ合う星座線》の電撃を放っても、レキトは意識を失わないように耐えたのだから、ゲームオーバーにする気で戦っても、きっと大丈夫だろう。
たまらない背徳感。
踏み止まるべき一線を越えるのって超気持ちいい……‼︎
七海は蜻蛉玉のかんざしを握りしめて、挑発するように笑みを浮かべた。
レキトは重心をわずかに落として、レーザー砲を撃つ反動に備えるように踏ん張る。
そして、瞳孔を開いて、息を止めて、両腕を力ませて──発射を予感させる動作を次々に繰り出した。
レキトの発射フェイクに引っかかれば、咄嗟の回避で体勢を崩したところを狙われる、読みを一度も外してはいけない場面。
裏をかき合うのが基本の対戦ゲームで、一方的に択を通し続けるのは常識的に不可能だろう。
けれども、七海はレキトが何度撃つふりをしても、微塵も恐怖も動揺も感じなかった。
むしろ地面を強く蹴って、どんどん加速して、トップスピードで突き進んだ。
強気な態度で出られるのは、ギリギリまで撃ってこない可能性に一か八かに賭けて、腹をくくっているわけではない。
どれだけ巧妙なフェイントを仕掛けてきても、レキトに攻撃する気がないことが直感でわかるからだ。
【第六感の予知】。
『Fake Earth』に選ばれたプレイヤーが何かしらの能力に恵まれているように、七海は「常いかなる時でも、攻撃が来る直前に本能で察知する」才能を持っていた。
どういう人生を歩めばそんな力が身につくのか、なぜか七海はこの世界で記憶喪失になったので、自分のことなのに全然わからない。
ただ、誰がプレイヤーなのかがわからず、いつでも対戦が起こりうる環境で、この才能は大いに役に立った。
100メートル以上離れた狙撃に気づくことができたし、逆に攻撃に見せかけたフェイントは即座に見破ることができた。
──幻惑射撃戦術『THORN』の駆け引きは一切通用しない。
──いつレーザー砲を撃ってこようと、今回の模擬戦も「私の勝ち」だ。
七海は負かしたレキトの悔しそうな顔を想像すると、全身に快感が広がっていくのを感じた。
「……七海さん……今から……撃たせてもらいます。……だから……ちゃんと……避けてくださいね」
傷だらけのレキトが宣言した瞬間、七海の額にビリッと鋭い静電気が走った。
第六感が告げる警鐘──敵から攻撃が来るときの合図だった。
──ってことは、レキトの宣言は「嘘」じゃない!
咄嗟にアバターをひねった七海は全体重を込めて踏み込み、射線から大きく外れるように横へ飛び退いた。
レキトは目を閉じて、構えていたスマートフォンを斜め下方向に傾ける。
燦然と光り輝くイヤホンジャックから、ライトグリーン色のレーザー砲が放たれた。
闘技場の地面にレーザー砲が激突して、激しい爆発音とともに土煙が視界を奪うほど高く舞い上がる。
まるで地底から火山が噴き上がったかのような衝撃が闘技場全体を揺るがし、凄まじい爆風に七海は闘技場の壁際まで吹っ飛ばされた。
勢いよく飛び散った砂が目に入り、土煙に覆われた視界がさらに悪くなる。
七海は袖口で目元を拭いながら、レキトの「嘘」にまんまと引っかかったことに気づく。
一撃必殺技の対プレイヤー用レーザー砲で勝利すること。
この模擬戦でのレキトの狙いは、「溜めに溜めたレーザー砲を当てることだ」と七海は思っていた。
何が何でも命中させるために、撃つフェイントを繰り返して、七海の体勢を崩そうとしている──そう思い込んでいた。
しかし、レキトは七海にレーザー砲を当てようとしていなかった。
事前に撃つことを宣言して、発射口のイヤホンジャックを斜め下に向けて、地面に向かってレーザー砲を放った。
次に繰り出す大技を確実に当てるために。
一撃必殺技のレーザー砲そのものをフェイントに使った。
「……1発目で……相手を崩して……2発目で……相手を仕留める」
最後の力を振り絞るようなレキトの声が聞こえてくる。
七海が目に入った砂を落としたとき、土煙の中からレキトが飛び出してきた。
視線と視線がぶつかり合う。
レキトは親指でホームボタンを叩いて、ライトグリーン色の光の弾を放って、七海が握っていた蜻蛉玉のかんざしを破壊した。
至近距離の間合い。
後ろには闘技場の壁があって逃げられない。
防犯カメラの記録で観た、山手線バトルロイヤルの映像が脳裏によぎる。
傷だらけのレキトが綾瀬の予備動作を目の力で先読みして、零距離からの早撃ちで指一本でも動かすことを封じ続けて、数百発の光の弾のラッシュを浴びせ続けていた光景がフラッシュバックした。
「……はぁ、やられた。まいった。私の負けだね」
七海は両手を高く上げて、潔く降参のポーズを取る。
今からスマートフォンを取り出すのは間に合わないし、もはや負けを認めるしかない状況だった。
普通に勝ったと思ったのに、一本取られたのはめちゃくちゃ悔しい。
けれども、レキトが想像をはるかに超える強さを見せてくれたことに、ちょっとだけ嬉しい気持ちはあった。
「──超接近射撃戦術『SEED』」
だが、レキトはスクエア型眼鏡を放り投げて、七海に零距離でイヤホンジャックを突きつけた。
鬼気迫る表情で、全神経を一点に集中させるかのように、親指をホームボタンに添えている。
電撃のダメージで意識が朦朧としているからか、戦いに集中すぎているからか、七海が降参したことに気づいていないらしい。
第六感は攻撃が来ることをビンビンに反応しており、額に静電気が麻痺しそうなくらいビリビリに走りまくっていた。
七海は思わず真顔になって、観客席の方を見る。
レキトが親指でホームボタンを連打できないように、明智に赤い糸を結ぶギアで止めてもらおうと目配せした。
だが、明智はレキトの勝利を祈るように胸の前で手を組み、「いけーーーー!」と声を張り上げて応援している。
ああ、この子も降参していることに気づいていないのか……。
七海は大人しく諦めて、少し気の毒そうな顔をしている杏珠と目を合わせた。
──今からボコボコにやられるから、後で回復系のギアで治してね♡
七海は杏珠にウィンクして、「てへ」っといった感じで舌を出した。
頑張って強がってみたが、目に涙がちょっぴり浮かんでいるのを感じた。
やっぱり途中でストップかけとけばよかったか。
でも、楽しくなってきちゃったんだから仕方がない。
今から始まる処刑タイムが短めに終わることを願いながら、七海は両手を下ろして目をゆっくり閉じる。
それからレキトの目の力が限界を迎えるまでの1分間、数百発の光の弾が七海に容赦なく炸裂した。