7話 現実世界:藤堂頼助→ゲーム:遊津暦斗
【現実世界】
戸籍名=藤堂頼助(Todo Raisuke)
↓
【ゲーム世界 :『Fake Earth』】
プレイヤー名=遊津暦斗(Asodu Rekito)
【ルール】
プレイヤーがゲーム内で操作するアバターは、運営によって名前から年齢・性別・身体能力などをランダムに決められる。
雨の音がした。
落ちたときに砕け散る雨粒の音がした。
一粒一粒の雨粒が最後に鳴らす音は、あまりにも小さい。
けれども、その微かな音が連なり重なり合って、美しい音色として奏でられている。
アバターの目を開けると、無数の雨粒たちが降っていた。
落ちていく一粒一粒の雨粒は、銀色の線を描いている。
暗灰色の雲に覆われた空から、地上へ流星群のように降り注いでいる。
仰向けに寝転がっている俺は、細かく降りそそぐ雨を浴びていた。
「……これがゲーム、か」
後頭部がズキズキと痛む。仮想空間へフルダイブしたことで、脳に強い負荷がかかったのだろうか?
通信制限がかかったネット回線のように、頭が重たくうまく働かない。
両手を握っては開き、アバターが思いどおりに動くかどうかを確かめる。
左側の視界がぼやけるバグを直すために、自分の顔に装備している眼鏡のレンズについた雨粒を拭う。
操作するアバターを観察すると、アクセサリー枠の「眼鏡」に加えて、「紺色の学ラン」と「VANSのスニーカー」を装備していた。
運営が操作するアバターをランダムで決めるので、現実世界の自分と異なる性別の女性アバターになる可能性を想定していたが、声の低さや服装から考えるかぎり、俺に割り当てられたアバターは男性らしい。
濡れたスニーカーの先には、運営からの配布アイテムが入っていそうなエナメルバッグが転がっているのが見える。
仰向けの体勢になっている俺は起き上がろうとした。
けれども、現実世界の自分の体よりも重たく、いつもの力加減では起き上がれない。
背中を弓なりにして、勢いよく起こそうとすると、今度は上半身が予想以上のスピードで動く。
恐る恐る全身を触ってみると、少し厚みのある胸には筋肉の硬さがあり、腹は力を入れなくても割れている感触があった。
──ピピピ!
目覚めて起き上がったタイミングを見計らったかのように、学ランの上着のポケットが振動する。
左手をポケットに突っ込むと、真っ赤なカバーの付いたスマートフォンが中に入っていた。
運営がプレイヤー全員に支給する、ゲーム専用のスマートフォン。
俺が親指でホームボタンを押すと、休止状態で暗くなっていた画面が光った。
【遊津暦斗 プレイヤーID:9891/1122/2000】。
記載されていたのは、この世界での「プレイヤー名」と「プレイヤーID」。
とりあえず今この手の中にあるモノが、プレイ前に運営から注意事項として説明のあった「ゲーム専用のスマートフォン」と考えて間違いないだろう。
参加したプレイヤーが全員に配られ、「ゲームクリアの条件を満たす」あるいは「ゲームオーバーになる」、そのどちらの場面にも出てくる、ゲーム内の最重要アイテム。
とくに画面下に埋め込まれたコインは奪われても壊されてもいけない。
「それにしても『頼助』じゃなくて『暦斗』か。違和感があるな。RPGのキャラっぽく『レキト』って認識した方がしっくりくるか?」
俺は──レキトは学ランにスマートフォンをしまって、星印のついたエナメルバッグを引き寄せた。
ゲームを始めるにあたって、運営がプレイヤーに用意した支給品ボックス。
中に何が入っているのかは、プレイヤーによって異なっている。
手榴弾や防弾チョッキなどの武器・防具があればいいが、見た目で判断するかぎり、このゲームで操作するアバターは「普通の男子高校生」。
これが現実を再現したゲームなら、高校生のアバターの設定に合わない、軍人の持ち物みたいなアイテムは支給されていないだろう。
だが、プレイヤーが見方を変えれば、日用品でも武器や防具として活用することができる。
どんなゲームだろうと、役に立たないアイテムは存在しない。
真のゲーマーであれば、どんなアイテムでも使いこなすことができる。
星印のついたエナメルバッグを開けたとき、頭の中にRPGでお馴染みのコマンド画面から「アイテム」を選択する場面が浮かんだ。
▼電子ノート
・学校の授業で板書を写すときに使用?
・薄くて軽い端末で角も丸いため、攻撃力・防御力は低い。
・全教科の授業を教科別に保存できるのは便利だが、戦いには使えそうにない。
▼デジタルペン
・電子ノートに文字を入力するデバイス。
・持ち手もペン先も丸いため、攻撃力は低い。
・吸い付くような手触りだが、戦いには使えそうにない。
▼革製のメガネケース
・イギリス産のブランド物。
・柔らかい素材でできているので、攻撃力は低い。
・オシャレではあるが、戦いには使えそうにない。
▼アーカイブ社製の英和辞典
・紙質にこだわったのか、分厚いのに軽い。
・しかし、その軽さゆえに、攻撃力は低い。
・鈍器としては重さが足りず、盾としては面積が狭い。
・語学スキルの向上には使えるが、戦いには使えそうにない。
▼ライムミント味のフリスク
・期間限定商品。レア度は高い。
・眠気覚ましの効果はあるが、戦いには使えそうにない。
▼ワイヤレスイヤホン
・投げやすいボール状の形。
・ただし、投擲武器としては重さが足りない。
・気分転換したいときには役立つが、戦いには使えそうにない。
▼ポールスミスの長財布
・現金2万7000円、小銭なし。学生証あり。
・柔らかい素材なので、攻撃力は低い。
・お金で道具を購入できるが、戦いには使えそうにはない。
「……くそ、全然使えないじゃないか」
レキトは思わず毒づいて、雨が降っている空を仰ぐ。
「せめて折り畳み傘くらい用意しとけよ」と内心思ったが、目を閉じて気持ちを切り替えることにした。
ゲームスタート時に確認しなければいけないことは、まだたくさんある。
「ライムミント味のフリスクケース」を手に取って、口の中へ一粒放り込んだ。
どうやらレキトが目覚めた場所は、高層ビルが立ち並ぶオフィス街の一角にある広場らしい。
街の中のアバターたちは傘を差して、各々がランダムな行動を取っていた。
赤信号の前で貧乏ゆすりをしている男。俯いてスマートフォンをいじりながら歩く男子中学生。黒いパンストが破けているのを気にしているOL──。
傘を差さずに濡れているレキトに対しても、「素通りする人」もいれば「蔑むような目を向ける人」や「心配そうな顔をする人」もいて、全員のリアクションが異なっている。
同じ行動を繰り返しているアバターはいない。
1人の人間として、それぞれが自由に生きているように見える。
──「不気味の谷」を超えた、というようなレベルではない。
──本物の人間とまるで区別がつかない。
レキトは奥歯でフリスクを噛み砕き、「ライムミント味のフリスクケース」をポケットに突っ込んだ。
ゆっくりと立ち上がり、星印のついたエナメルバッグを肩にかけた。
そして、雨の中のオフィス街を見回す。
背後を振り返ると、現在地はよく知っている場所であることに気づく。
「さて、スタート地点は『東京』。──初心者には不利なステージだな」