63話 歯車五重奏(後編)
これはプレイヤーあるあるだと思うんだけど、自分以外のプレイヤーがどれくらい強い奴なのかは、出会った瞬間にだいたいわかる。
そいつをぱっと見ただけで、「こいつはヤバい」とか「マジ超ヤバい」とか「え? ヤバすぎて無理なんだけど」的なことが秒でわかる。
たぶん人生をかけて戦った経験とかが雰囲気ににじみ出てて、なんとなく感じ取れちゃうのだろう。
実際に「こいつはヤバい」と感じたプレイヤーは戦ったらヤバかったし、「え? ヤバすぎて無理なんだけど」と感じたレキトは「こいつゲームマスター説ワンチャンあるくね?」と思うくらいヤバすぎる相手だった。
「私、明智彩花。よろしくね。
早く仲良くなりたいから名前で呼んでもいいかな、良樹くん?」
だから、山手線バトルロイヤルの翌日、レキトが家に連れてきた明智と顔を合わせたとき、綾瀬はマジでビビった。
いつもプレイヤーと出会ったときに必ずビビッとくる「強さ」みたいなものを、明智からまったく感じなかったからだ。
この実質デスゲームで生き残ってきて、レキトが仲間として連れてきたプレイヤーが弱いわけがない。
それなのに、明智をじっと見つめても、「めっちゃ可愛い」とか「猫っ毛の髪、最高かよ」という感想しか浮かんで来なかった。
──まあ、別にどうでもいっか!
──一緒にプレイする仲間が増えたら、その分もっと楽しくなりそうだし!
綾瀬は深く考えるのをやめて、明智とレキトを部屋に上げた。
この激ヤバゲーを始めて3ヶ月、NPCの友達は大学や合コンで100人くらいできたけど、昨日のイベントに参加するまでプレイヤーで仲良くなれた奴はいない。
今までどんな風にプレイしてきたのか、2人に聞きたいことも話したいことも山ほど溜まっている。
リビングのローテーブルを囲んで、綾瀬たちは『Fake Earth』での体験をわいわい話し合った。
普段は周りに正体を隠すプレイヤー同士、気兼ねなく秘密を共有できる相手と打ち解けるのは早かった。
当時は最悪だと思ったダサいアバターに割り当てられたことも住む場所が汚部屋だったことも、今こうやって2人に話してみると、いい思い出だったように思えてくる。
明智が手土産で持ってきたマカロンを片手に、綾瀬が淹れたコーヒーを飲みながら、レキトがチュートリアルでリアル版スーパーマリオをやった話に笑い合った。
「綾瀬、頼みがある。
ちょっとだけ洗面台を借りていいか?」
「別にいいけど。なんで?
もしかして彩花にカッコつけたくて、髪型を直しにいきたい感じ?」
「……どういう発想したらそうなるんだ。
マカロンを食べたから、普通に手を洗いたいだけだよ」
「なんだそっちかよ〜!
それなら、いい物あるから、ちょっくら待ってて」
あぐらをかいていた綾瀬は腰を上げて、周りを見回して「ウェットティッシュ」を探す。
いつもならぱっと目に入るのに、今に限って見つからなかった。
今日レキトたちが来る前に、家の掃除で間違いなく使った覚えはある。
けど、どこの掃除でウェットティッシュを使ったのかは全然思い出せない。
「良樹くん、ウェットティッシュなら、たぶんテレビの裏にあると思うよ」
「あっ、そうだ!
テレビの裏の掃除に使ったんだ!
サンキュー、彩花。マジ助かった」
綾瀬は明智にお礼を言って、レキトにウェットティッシュのボトルを蓋を開けてから渡す。
犬の足跡柄のクッションに座って、皿に残っているマカロンをつまんでかじった。
サクサクした生地がいい感じに甘さ控えめでうまい。
もう一口食べようとしたとき、今さっきおかしなことが起きていたことに気づく。
「あれ?
彩花、なんでウェットティッシュの場所がわかったんだ?
普通にすごくね?」
「全然すごくないよ。
良樹くんのインテリアの感じからして、テレビの裏にありそうだなって思っただけだし」
「ああ、そっか。インテリアの感じか。
たしかにテレビの裏にありそうな雰囲気あるもんな。
なるほど、そういうことか──」
いや、全然「なるほど」じゃなくね?
心の中でセルフツッコミを入れて、綾瀬は自分の部屋を横目で見る。
明智は部屋のどこを見て、ウェットティッシュがテレビの裏にあると思ったのか。
彼女の思考回路がまったくわからなかった。
初めましての相手の家で、住んでいる本人がどこにあるのかをわからない物の場所を言い当てるのは、いくら何でも意味不明すぎる。
ていうか、綾瀬は「いい物がある」と言っただけで、それが「ウェットティッシュ」だなんて一言も言っていない。
イベントで出会ったときからレキトは頭おかしいプレイヤーだと思っていたけど、明智も別のベクトルでぶっ飛んでいる。
もしかしてこれが俗に言う「おもしれー女」って奴なのかもしれない。
「あっ、そうだ。
良樹くん、スマホ出してもらっていい?
忘れないうちにやっておきたいことがあって」
「オッケー! で、何をするつもりなんだ?」
「んーなんていうか、このゲームの『裏技』かな。
簡単にスマホをポチポチするだけなんだけどね〜。
でも、良樹くんが間違いなく強くなれるやつだよ」
「……ウラ、ワザ?」
綾瀬は首を傾げる。
いったい明智は何をやるつもりなのか。
必死に考えたところで、答えは絶対にわからない自信しかない。
余計なことを言うとバカだと思われそうなので、綾瀬は明智の答えをじっと待つことする。
「そう、裏技。
良樹くんのスマホを使って、とっておきのギアを使えるようにするの。
《私は何者にもなれる》と《ULTRA PASMO》のコンボと相性がいいギアだから、きっと役に立つと思うよ」
正座している明智はマカロンを半分に割り、育ちが良さそうな所作で2つ同時に頬張った。
◯
「『嘘』だよ、オレの攻撃は。
ついでに言っとくと、お前はとっくに負けてる」
綾瀬はスマホ画面を叩いて、《私は何者にもなれる》を解除する。
透明だったアバターから姿を現して、センター分けパーマの男性プレイヤーの眼前で、握っていたスマートフォンを手放した。
センター分けパーマにつかまれた手は、だらっと力を抜いてそのままにしておく。
ハッタリではないことをアピールするために、反対の手を頭の後ろに回した。
対戦する前からずっと思っていたことだけど、目の前のセンパー男はぶっちぎりでヤバい。
冗談抜きにヤバすぎて、「こいつと戦って、レキトはよく生きてるな」と尊敬しちゃうレベルだ。
負ければ人生終了ゲームなのに、戦いながら優しい先輩的な感じで接してくるのも一周回って怖い。
ゲームオーバーにされそうな恐怖のあまり、綾瀬の金玉は縮み上がりっぱなしで、逆にズル剥け侍は生存本能でムキムキにバンプアップしている。
でも、超ヤバいプレイヤーとの戦いに備えて、綾瀬たちは勝つための準備をしてきた。
対戦が始まってから20秒ちょっと、ここまで明智が綾瀬とレキトに話した作戦どおりに進んでいる。
「『2対1』と人数差が有利」であり、「一度通過した座標へワープできる《ULTRA PASMO》を使える場所」という2つの条件が揃ったときに使える秘策。
もうすでに綾瀬がギアを起動していることに、センパー野郎は気づいた様子はない。
『良樹くん、このギアは透明になってワープする瞬間に使って。
起動してから30秒後に攻撃するように調整しておくから』
『ほいよ。けど、起動してから1秒後に攻撃でよくね?
一気にワープで近づけるんだし、その方がさくっと倒せる気がするんだけど』
『これはある意味で「自爆技」だからね。
できたら初撃の対プレイヤー用ナイフで倒して、どうしようもないプレイヤーにしか使いたくないかな。
万が一失敗しちゃったら、良樹くんがゲームオーバーになるリスクは高いし』
手放したスマートフォンが地面に落ちたとき、綾瀬は明智の言葉を思い出す。
裏技で使えるようになったギアは、明智が所持しているギア。
このギアは「音」で攻撃するため、車内放送で拡散することもできれば、LINEのボイスメッセージに吹き込むこともできる。
№029《迷える羊の子守歌》。
羊たちの歌声をスマートフォンのスピーカーから鳴らして、それを聴いたアバターを強制的に眠らせるギア。
綾瀬は「無料の録音アプリ」を使って、《迷える羊の子守唄》の歌声そのものをコピーしていた。
「……あっ、わかった。
良樹、録音した《迷える羊の子守唄》で自分ごと眠らせるつもりなんだろう?
捨て身の相打ちで僕を寝かせて、彩花にとどめを任せる。
今後の活躍が楽しみになる、いい協力プレイだ」
センパー男は綾瀬に笑いかける。
敵であることを忘れてしまいそうになる爽やかな笑み。
温かみのある声のトーンで、本心からの言葉であることが伝わってきた。
センパー男は綾瀬をつかんでいた手を離す。
そして、後ろへ勢いよく飛び退いて、《迷える羊の子守唄》の有効射程1メートルから遠ざかった。
──おい、嘘だろ。マジかよ。
綾瀬は息を呑み、自分の目を疑った。
ビックリしすぎて、たぶん心臓は一瞬止まりかけた。
どうして対戦相手の考えをここまで正確に読めるのか。
頭の中で「なんで?」という疑問が止まらない。
透明になってからワープした直後のナイフ攻撃が防がれて、さらに録音した《迷える羊の子守唄》で眠らせようとしていることも見抜かれて、素早く距離を取られる。
2回続けての「初見殺しの攻撃」で、対戦相手に強力なギアを使う猶予を与えず、ひたすら防戦一方に追い詰める。
綾瀬の家で作戦会議していたときに、明智が想定していたとおりの展開だった。
「──《切っても切れない赤い糸》」
明智はギア名をつぶやき、親指でスマホ画面を叩いた。
ピースサインを作って、人差し指と中指でスマホ画面をもう一度叩く。
彼女のスマホ画面が光り輝いた瞬間、突如現れた「赤い糸」が綾瀬とセンパー男の小指にぐるぐると巻き付いた。
2本の赤い糸はお互いに引き寄せられていき、ぶつかるや否や1本の太い糸へ縒り合わさっていく。
──No.331《切っても切れない赤い糸》は「マップ画面から指定したアバター2体を赤い糸で結びつける」拘束系のギア。
── 赤い糸はナイフで切っても即座に再生して、明智に指定された2人のアバターは赤い糸で結ばれたときの距離よりも離れることができなくなる。
一直線にピンと張られた赤い糸が、後ろへ遠ざかろうとしたセンパー男を止めた。
センパー男は注射を我慢するような顔をして、赤い糸が巻き付いた小指を対プレイヤー用ナイフで切り落とす。
だが、切り落とされた小指から赤い糸は離れて、センパー男の薬指に素早く巻き付いた。
綾瀬は赤い糸を結ばれた手を握りしめて、目の前の対戦相手を全力で手繰り寄せる。
《迷える羊の子守唄》の有効射程内にセンパー男を戻したとき、綾瀬は10メートル先にいる明智と目が合った。
明智はヘッドホンを装着して、脱いだコートを片手に持っている。
どうして出会ったこともないはずのプレイヤーの戦いの動きを予測できたのか?
ていうか、なんで対戦中にコートを脱いで持ったままでいるのか?
同じゲームをプレイしているのに、この世界が彼女にはどんな風に見えているのかは相変わらずわからない。
ただ、猫っぽい大きな目が「作戦どおりうまくいったね」と語りかけたような気がした。
薬指に巻き付いた赤い糸に視線を向けて、センパー男は困ったように笑った。
電源ボタンを押して、対プレイヤー用ナイフを解除する。
握っていたスマートフォンを手放して、綾瀬の方へ歩み寄った。
優しい眼差しを綾瀬に向けて、指が5本ある方の手を差し出す。
「……まいったな。
ギルドの強さをアピールするつもりだったのに、まさか持ってるギアを見せる前に負かされるなんて」
「彩花の作戦だよ。
『強いプレイヤーは持ってるギアの数も強さも違う。けど、手札で勝てない相手なら、1枚もカードを使わせずに倒せばいい』って。
最高に『おもしれー女』だろう?」
綾瀬は微笑み、センパー男に手を差し出した。
試合の終わったスポーツ選手のように、固い握手を交わす。
そして、録音した《迷える羊の子守唄》の歌声が、地面に転がっているスマートフォンから流れた。
爆音に近い音量で、1匹たりとも音程の揃わない不協和音が響き渡る。
強烈な眠気に襲われて、綾瀬はセンパー男とともに倒れた。