62話 歯車五重奏(前編)
(視点人物)
プレイヤー名「綾瀬良樹」
「《私は何者にもなれる》と《ULTRA PASMO》を同時に起動する。
綾瀬、それが今後のお前の対戦で使えるようになった方がいいテクニックだ」
逆さにした砂時計の砂が流れる音が聞こえる中、隣で座っているレキトがつぶやく。
真剣な横顔で、しんみりとした口調だった。
なんか雰囲気的に今からガチ目な話が始まるっぽい。
たぶん内容がムズすぎて話の半分も理解できないと思うが、とりま「真面目に聞いてますよ」感を出しといた方が良さげだった。
だが、綾瀬は姿勢を正して、キリッとした顔を作ることができなかった。
全力でレキトの話を聞いてやりたい気持ちはめちゃくちゃあるが、「この場所」では俯いた顔を上げる余裕すらない。
頭はぼーーーっとしていて、もはや悟りを開きそうな境地に達しつつある。
額に噴き出ていた汗が、床に落ちた瞬間に蒸発した。
室内の温度計は120度を超えている。
山手線バトルロイヤルが終わった当日の夜、綾瀬とレキトは親睦を深めるために、「表参道の個室型サウナ」へ来ていた。
「……あのさ、レキト。
超重要な話だと思うんだけど、オレもう限界になってきたからさ、先に水風呂へ行きた──」
「心配しなくてもいいよ。
綾瀬の言いたいことは察してる。
今からじっくり説明するから安心してくれ」
「いや、そうじゃなくて。
もう15分くらいいるから、水風呂に行きた──」
「全部言わなくも、綾瀬の言いたいことは当然わかるさ。
味方の気持ちを汲み取ることが、協力プレイの基本だからね。
自分の色を変える《私は何者にもなれる》と過去に通過したことのある座標へワープできる《ULTRA PASMO》。
この2つのギアを組み合わせることが、どう対戦で役立つのかを知りたいんだろう?」
全裸で腰にタオルを巻いたレキトは、素っ裸で体育座りしている綾瀬に微笑みかける。
受付でレンタルしたサウナ専用眼鏡の奥の瞳は、雲ひとつない青空のように澄んでいた。
ここまで澄んだ目をしている奴が間違ったことを言うだろうか?
もしかしたら本当の自分は水風呂に行きたくなくて、2つのギアを組み合わせるテクニックの説明を待ち望んでいるのかもしれない。
まだまだサウナにいれそうな気持ちになって、元気になった綾瀬はレキトにウィンクする。
「『対戦で使えるようになった方がいいテクニック』と言っても、綾瀬は習得するのに修行する必要はない。
《私は何者にもなれる》でアバターを透明に変えた瞬間に、《ULTRA PASMO》で対戦相手の近くにワープする。
シンプルに言うとそれだけだ。
ただ、俺が考えるかぎり、これは『Fake Earth』の対戦で強力な合わせ技だろう」
「強力な合わせ技? なんで?」
「この2つのギアを同時に起動すれば、後は目の前の対戦相手の心臓にナイフを突き刺すだけで勝てるからだよ。
どんな強いギアを持ったプレイヤーが相手でも、そのギアを起動する前に倒すことができる。
戦いを一瞬で終わらせることができるから強いんだ」
小型犬が吠えているような声が、サウナ室の外から聞こえてくる。
最近というか何なら山手線バトルロイヤル中に何度も聞いた覚えのある変な声だった。
微妙に思い出せそうで、全然思い出せない。
まあ、すぐに思い出せないということは、たいして思い出す価値がないことだろう。
「いい質問だ、綾瀬。
たしかに手練れのプレイヤーが相手なら、綾瀬が消えた瞬間にワープしてくることを読んでくるかもしれない」
「……ん?
いやレキト、オレは質問してないんだけど」
「ああ、そうだ。
だから、綾瀬はワープした直後に、カウンターを食らうことに注意する必要がある。
じゃあ、どう対応すればいいのか?
対戦相手からのカウンター対策、俺が考えた結果、それは──」
あれあれ? なんか会話が全然噛み合ってなくね?
綾瀬は首を傾げて、一回黙ってみることにする。
全身汗だくになっているレキトは、熱のこもった口調で話しつづけていた。
試しにレキトの顔の前で手をひらひらしてみても、ビビるほど何も反応しない。
「今のオレは《私は何者にもなれる》で透明になってたっけ?」と思ったが、綾瀬の金玉袋のホクロは普通に黒かった。
もしかしてレキト、ヤバいことになってる?
綾瀬が改めてよ〜く見てみると、レキトの顔は異様に赤かった。
そういえば更衣室で服を脱いでいたとき、「サウナは精神力のいいトレーニングになりそうだな」とレキトは話していた。
あのときレキトって真顔でボケる奴なんだとスルーしたが、今思えばマジだった気がしてくる。
レキトのアバターが限界を迎えていても、ここが粘りどころだと我慢して、のぼせてしまったパターンはなくはない。
「……いや、さすがにそれはねえな。
このデスゲームで生き残ってるプレイヤーなんだし。
なんか馬鹿なことを考えるようになったから、ちょっくら水風呂で頭を冷やすとするか」
綾瀬は手で扇ぎながら、サウナ室を出て行くことにした。
元気のいい小型犬の吠える声が聞こえる中、汗をシャワーで流して水風呂へ肩までつかる。
火照ったアバターが冷やされて、頭がスッキリして冴えてくるのを感じた。
ここで人生が終わってもいいかなと思うくらい超気持ちいい。
リラックスしてととのいそうになった瞬間、さっきから吠えている小型犬がレキトの持っているギアであることを思い出した。
名前はたしか《小さな番犬》。
レキトの身に危険が迫っていれば、必死に吠えて教えてくれるギアだ。
今めちゃくちゃ吠えているってことは、レキトが相当ヤバい状態にあるってことだろう。
ああ、思い出せなかったことが思い出せてよかった。
水風呂の心地よさを感じながら、綾瀬はアバターの力を抜いた。
気持ち良くととのうために、目をゆっくりと閉じる。
「うわあああああああ!
レキト!! サウナで死ぬな!!!」
我に返った綾瀬は水風呂を飛び出して、全速力でレキトのいるサウナ室へダッシュした。
◯
「──Fusion!! 《私は何者にもなれる》+《ULTRA PASMO》!」
綾瀬は思い切り前へ飛び出した瞬間、「虹色のワンピース姿の顔のない少女のアイコン」と「光沢を放つ定期券のアイコン」を同時に叩いた。
シャッターがカシャッと鳴る音と交通ICカードっぽいタッチ音がピピッと鳴る音が重なる。
握った対プレイヤー用ナイフごと全身が透明になった。
アバターが浮いたように軽くなり、あらかじめ設定していた座標へワープする。
《ULTRA PASMO》でワープした先は、センター分けパーマの男性プレイヤーの後ろ68cm。
対戦相手が一歩下がってもぶつからず、綾瀬は腕を伸ばせば対プレイヤー用ナイフを刺せる、絶妙にいい感じの位置だ。
ちなみに、この位置はレキトが考えたものなので、綾瀬は「後ろ68cm」が本当にいい感じの位置なのかはわからない。
まあ賢いキャラっぽいレキトが考えたから、だいたい合っているだろう。
だが、透明になった綾瀬がナイフを突き刺そうとした瞬間、センター分けパーマの男性プレイヤーは後ろを振り返った。
嬉しそうに目を輝かせて、爽やかな笑みを浮かべて。
右手に持ったスマートフォンには、銀色の光の刃がイヤホンジャックから輝いている。
──常識的に考えて、透明な姿でワープすれば、普通はどこに移動したのかはわかるわけがない!
──なのに、センター分けパーマの男性プレイヤーは、ほぼノータイムで綾瀬がワープした位置を当てにきている!
「いいギアの使い方だね、良樹。
うちのギルドに入れば、活躍してくれること間違いないよ」
弾んだ声で綾瀬を褒めて、センター分けパーマの男性プレイヤーは光り輝いているナイフを横に振り抜いた。
『たしかに手練れのプレイヤーが相手なら、綾瀬が消えた瞬間にワープしてくることを読んでくるかもしれない』
『だから、綾瀬はワープした直後に、カウンターを食らうことに注意する必要がある』
背中に冷や汗をかいたとき、サウナに行ったときのレキトの言葉を思い出す。
まさに今レキトの予想していた状況になったが、この後レキトが教えてくれた「カウンター対策」が何だったのか、綾瀬はまったく覚えていなかった。
ていうか、これ死ぬ前に見る走馬灯ってやつじゃね?
ヤバすぎて心臓が縮み上がる中、なんとかレキトの話の続きを思い出そうとする。
『対戦相手からのカウンター対策、俺が考えた結果、それは──』
『すまない、特に思いつかなかった』
『だから、無茶ぶりになるかもしれないが、常にカウンターが来ることを想定して、もし来たときは全力で避けてくれ』
くそ、思い出しても無駄じゃねえか!
泣きたくなるのを我慢して、綾瀬は全速力で屈んだ。
コンマ数秒差で、頭上でナイフが通過する。
ワックスで立たせた髪のトップが切られたのを感じた。
空振りしたセンター分けパーマの男性プレイヤーは、「おや?」というような表情で片眉を上げる。
琥珀色のシャープな目は前を向いたままで、透明になった綾瀬が視線の下にいることに気づいた感じがしない。
綾瀬は全身の力を抜いて、アバターの腰を浮かせた。
頭の中でスローテンポの音楽が流れる。
心臓の鼓動がゆっくりになり、握っている対プレイヤー用ナイフの重みを感じなくなる。
そして、センター分けパーマの男性プレイヤーの胸をめがけて、鮮やかなピンク色の光の刃をそっと突き上げた。
頭の中で流れてた音楽がピタリと止まる。
綾瀬の対プレイヤー用ナイフが、センター分けパーマの男性プレイヤーの胸に刺さった。
透明になっていた綾瀬の手が、シアン色の返り血で色づく。
しかし、プレイヤーがゲームオーバーになったときに鳴る、「カチッ」というスイッチを入れたような音は聞こえなかった。
「まさか下から攻撃してくるなんてね。
どうりで後ろに気配を感じたのに、攻撃が当たらないわけだ」
センター分けパーマの男性プレイヤーは屈託なく笑った。
琥珀色のシャープな目がくしゃっと細くなり、笑い皺が目尻に寄せられる。
鮮やかなピンク色の光の刃は、男性プレイヤーの胸に数ミリしか刺さっていない。
ナイフの刃先が胸に当たるや否や、左手を胸元に素早く動かして、センター分けパーマの男性プレイヤーは綾瀬のスマートフォンを持った手を瞬時に押さえていた。
「良樹くん!」
明智は叫んで、対プレイヤー用レーザーを撃った。
センター分けパーマの男性プレイヤーに向かって、緋色のレーザー光線が猛スピードで迫ってくる。
センター分けパーマの男性プレイヤーは対プレイヤー用ナイフを振り、明智のレーザー光線を叩き斬った。
明智のレーザー光線は粉々に砕けて、緋色の光の残滓が宙に漂っていく。
綾瀬は重心を前に移して、刺した対プレイヤー用ナイフを押し込もうとした。
しかし、センター分けパーマの男性プレイヤーの握力が強く、鮮やかなピンク色のナイフは前へびくとも動かない。
むしろ逆に対プレイヤー用ナイフが押し戻されていく。
「はぁ、なんかダルくなってきたな」
綾瀬はため息をついて、対プレイヤー用ナイフを解除した。
「……どういうつもりだ、良樹?
まだ勝負は終わってないだろう」
「ああ、別にもういいかなと思って。
結果は見えてるし、無駄に頑張る意味なくね?」
「そっか。負けを認めるってことか。
うちのギルドの強さをわかってくれて嬉しいよ」
「いや、全然そんなこと言ってないんだけど。
まあ勘違いするのも無理ないか。
何も知らなかったら、普通に騙されるだろうし」
綾瀬は後頭部を掻いた。
センター分けパーマの男性プレイヤーは、きょとんとした顔をしている。
「『嘘』だよ、オレの攻撃は。
ついでに言っとくと、お前はとっくに負けてる」
綾瀬はスマホ画面を叩いて、《私は何者にもなれる》を解除する。
透明だったアバターから姿を現して、センター分けパーマの男性プレイヤーの眼前で、握っていたスマートフォンを手放した。




