61話 「信じる」ではなく「知っている」
アーカイブ社のチュートリアル、緑亀のジョン(社歴2年目・元プレイヤー)視点。
【ゲーム世界 :『Fake Earth』】
コードネーム=緑亀のジョン(John)
【現実世界】
戸籍名=ジョナサン・グリーン(Jonathan Green)
「うおおおお! 来たで、来たで、来たで!
わい得なマッチメイク!
ぶちかましたれ、綾瀬の旦那と明智の姉御!
遊津の旦那がやられた報復やー!!!」
後ろ足で立っているハムスターのモグ吉は、唾を飛ばしながら叫んだ。
両手に持ったカンフーバットを叩いて、派手な音をカンカンと鳴らす。
血走った眼で、鼻息は荒い。
薄茶色の頭には、『打倒! 暁星明!!』と毛筆で書かれたハチマキを巻いていた。
『Fake Earth』内にレイヤーの異なる仮想空間を構築するギア 、No.000:《夢現電脳海淵城》。
このアーカイブ社の専用のギアによって、新たに作り直された「Room-C」の仮想空間では、視野270度の3面ワイドスクリーンが設置されていた。
東京ディズニーランドの『美女と野獣』エリアの広場が大きく映っていて、プレイヤー名「暁星明」とプレイヤー名「綾瀬良樹」&「明智彩花」の2人が左右のスクリーンで対峙している。
隣のシアター席で騒いでいるモグ吉を横目で見て、緑亀のジョンはため息をついた。
「……モグ吉先輩、盛り上がってるところすみませんが、どうして僕はここに呼ばれたのですか?
緊急コールがあったので慌てて来ましたが、新人プレイヤーたちの戦いの観戦は、昨日の山手線バトルロイヤルで終わりましたよね?」
「そりゃ、わい一人で観るより誰かと観た方が楽しいから呼んだんやで。
ジョンが推しとる明智の姉御が参戦しとるし、はよ呼んだらなあかんと思ってな〜!」
「そんな理由で緊急コールを使わないでくださいよ。
そもそも、明智さんは担当したプレイヤーなだけであって、モグ吉先輩みたいに推してるわけじゃないです。
……まあ、呼んでくれたことには感謝しますけど」
緑亀のジョンは尻尾を立てて、眼球に装着した「スマートコンタクトレンズ」を起動する。
メニュー画面のホログラムが見えるようになり、尻尾でカーソルを操作して、プレイヤー名「暁星明」のデータを調べた。
暁星明:プレイ時間3万1152時間、所持ギア数11個。
そして、山手線バトルロイヤルに乱入したギルドのプレイヤー33名をゲームオーバーにしている。
いくら今後の伸び代が期待できる明智さんも綾瀬君といえど、今の2人が協力プレイで戦ったところで、暁星との経験の差はあまりにも大きいだろう。
けれども、昨日のイベントでの活躍を思い返すと、彼女たちなら番狂わせを起こしそうな気がしてくる。
──それに、ここ「Room-C」の仮想空間には、個人的に興味深い人が来ている。
尻尾を下ろした緑亀のジョンは居住まいを正した。
後ろを振り返って、自分とモグ吉先輩が座るシアター席を膝の上に乗せているアバターを見上げる。
現実世界では不可能とされているテクノロジーをゲーム世界で実現させた、『量子の魔女』と呼ばれるプログラマー。
ゲーム事業部ギア開発局の植苗乙葉が、3D眼鏡をかけて観戦に来ていた。
「えへへ、何かなジョンちゃん?
もしかして甲羅をなでなでしてほしいかなー!」
植苗は目尻を下げて、華やかな顔をジョンに近づける。
溺愛したペットに話しかけるような猫なで声で、彼女の指は甲羅を触りたそうにうずうずしていた。
大きい口はだらしなく緩んでいる。
度が過ぎるほどの動物好きは相変わらずらしい。
「ご興味があるなら好きに触ってくれて大丈夫ですよ、植苗先輩。
ただし、代わりに1つ教えてほしいことがありますが」
「えっホント!?
触り放題なら1つと言わずにいくらでも話すよ!
ジョンちゃんが訊きたいことは、私の好きな亀の種類とかかな?」
「いえ、全然違います。
担当チュートリアルでもないあなたが、今回の対戦を観に来てる理由ですよ。
──ギア開発局にとって、この一戦はそれほど重要な何かがあるんですか?」
『Fake Earth』の攻略に役立つアプリを作る、ゲーム事業部ギア開発局。
「人類の進化」の鍵となる脳の研究のために、チュートリアルが新人プレイヤーを育成するように、彼らは全プレイヤーの能力を才能以上に引き出せるギアを作ることを目的としている。
どんなギアを新たに追加すれば、ゲーム内の対戦は活性化するのか、あるいは多様なプレイスタイルを生み出せるのか。
『Fake Earth』の対戦環境を把握して、その問題点および解決策を見つける「分析力」が求められる仕事だ。
だが、ジョンが入社した頃に聞いた話によれば、ギア開発局の社員は自分たちが作ったギアが使われる対戦をほとんど観ないそうだった。
【Not improvement, revolution!(「改善」ではなく「革命」を!)】。
この部署独自の理念に従って、「ボディビルの世界大会の炎上事件」や「AI画家による抽象画のギャラリー」などから新しいギアの着想を得ているらしい。
どうして実際にギアが使われている現場ではなく、ゲームとは一見関係なさそうなことをギア開発の参考にしているのかはわからない。
ただ、新しいギアが追加されるたび、それまで無名だったプレイヤーが何人も頭角を現すようになり、人間の脳の研究に大きく貢献した。
「いや〜さすがに普段プレイヤーの対戦を観ない私がここにいるのは気になっちゃうか。
山手線バトルロイヤルの報告書を読んで、ちょびっと興味深いことがあってね。
よく気づいた賞として、ジョンちゃんをなでなでしてあげよう」
「話をはぐらかさないでください、植苗先輩。
今から始まる対戦、あなたは何に注目してるんですか?」
「んー『あるギアの危険性』かな。
そのギアの性能が強すぎて、多くのプレイヤーの戦い方を変えちゃうかもしれないんだよね。
だから、人間の脳の研究に悪影響を与えないかどうか、この目で見定めにきたってわけ」
さてどうなるかな、と植苗はジョンの甲羅をなでる。
慈しむような眼差しを向けて、嬉しそうにわしゃわしゃとなでた。
満面の笑みを浮かべて、心からリラックスしているような姿。
けれども、ジョンは彼女の指が少しだけ強張っているような気がした。
いったい植苗はどのギアを脅威に感じているのか?
ジョンは続けて質問しなかった。
多くのプレイヤーの手に行き渡る可能性があり、今の対戦環境を壊し得る力を秘めたギア。
おそらく答えはあのギアしかない。
プレイヤー名「暁星明」vsプレイヤー名「綾瀬良樹」&「明智彩花」。
運営がひそかに見守る対戦で、最後まで立っていたのは、そのギアを持つプレイヤーだった。
◯
綾瀬は静かに息を吐いて、全身の力を抜いた。
つま先でリズムを取り、片手でスマートフォンを縦に回す。
明智はミニーのカチューシャを外して、淡いピンク色のマスクを下げた。
密閉型のオーバーイヤーのヘッドホンを首から頭につけて、携帯型オーディオプレイヤーの電源をオンにする。
そして、2人はホームボタンを長押しして、対プレイヤー用ナイフを同時に起動した。
対する《遊戯革命党》の暁星は何もしなかった。
「息ぴったりだね」と和やかに話しかけて、温かな目で綾瀬と明智を見つめている。
右手に持っているスマートフォンを構えるどころか、親指をホームボタンに触れることすらしない。
まるで戦う気のない雰囲気が、底知れない不気味さを感じさせる。
暁星はギルドを束ねる力を持ったプレイヤー。
この日常と危険が隣り合わせの世界で何年も生き残っている以上、レキトたちとは桁違いの数の修羅場をくぐり抜けてきているはずだ。
《執剣秩序》以外にも強力なギアをどれほど隠し持っているのかもわからない。
このまま綾瀬と明智が暁星と戦えば、2人はゲームオーバーになる恐れがある。
だが、うつ伏せに倒れたレキトは2人に何も言わなかった。
綾瀬と明智の背中に余計な言葉をかけないことにした。
瀕死の傷で動けなかったはずのアバターが少しだけ楽になり、振動しているスマートフォンに手を伸ばす。
集中している2人の邪魔にならないように、吠えつづけている《小さな番犬》を一時停止させた。
綾瀬と明智が戦うことを止めないのは、「勝ち目のない対戦でも、2人ならなんとかしてくれる」と信じているからではない。
ただ単純に「2人が暁星に勝てる力」があることを知っているからだ。
ある2つの条件が揃っていれば、綾瀬と明智はどんな強いプレイヤーも倒すことができる。
そして、今回の対戦は、その2つの条件を奇跡的に満たしている。
「見とけよ、レキト。
お前と彩花が考えた必殺技を決めてやる」
背中を向けている綾瀬は、かかとから両足でリズムを取るようになった。
地面を叩くテンポが徐々に速くなっていく。
片手で回していたスマートフォンを止めた瞬間、綺麗な姿勢のまま重心をさっと落とす。
「──Fusion!! 《私は何者にもなれる》+《ULTRA PASMO》!」
素早く前へ飛び出した綾瀬は、2つのギアを同時に起動した。