49話 秘密の関係
【お知らせ】
登場人物が多くなり、視点が話ごとに変わることが増えてきたため、第4章から「俺は~」→「レキトは~」/「オレは~」→「綾瀬は~」などの表記に変更します。
7秒間じっと見つめ合って、綾瀬良樹は明智彩花をベッドに押し倒した。
仰向けになった明智は恥ずかしそうに横を向いた。
彼女の小さな耳は真っ赤になっている。
くりっとした目は泳いでいて、口をもにょもにょと動かしていた。
綾瀬は目を細めて、明智のあごに触れた。
彼女の顔を自分の方へ向けて、余裕のある笑みを浮かべる。
明智はアバターの肌の色を設定変更したかのように、頬から首まで一気に赤くなった。
膨らんだ胸が上下するペースが速くなる。
明智は生唾を飲み込んで、くりっとした目をぎゅっと閉じる。
綾瀬は明智の唇の下を撫でた。
斜めに顔を傾けて、自分の唇に近づけていく。
お互いの唇が触れる──ギリギリ1cm手前で、「ギャグみたいな爆発音」が部屋に鳴り響いた。
両手を上げた綾瀬は白目を剥いて、空中で回転しながら後ろへ倒れる。
死体のように10秒くらい静止した後、堪えきれなかったように笑い出した。
明智はベッドから素早く起き上がり、真っ赤な顔を手で煽ぐ。
「良樹くん、言っとくけど、勘違いしないでよね!
『リア充だから爆破してみた!!!』に付き合っただけで、今のは完璧に演技なんだから!」
「あはは、わかってるって、彩花。
いやーそれにしても、ウブな反応が名演技すぎて、逆にオレも超ドキドキさせられたな〜」
綾瀬は照れ臭そうに頭を掻いた。
明智はむすっとした顔をして、赤く色づいた頬を膨らませている。
「……これが本当にゲーム攻略に役立つのか?」
レキトはため息をつき、「TikTokの撮影」を終えた。
山手線バトルロイヤルでイベント失格となり、渋谷駅の改札前からスタート地点の東京駅前へワープで飛ばされると、全身ボロボロだったアバターはほぼ無傷になっていた。
折れた右足の骨はつながっていて、綾瀬のナイフで斬られた傷は初めから存在しなかったように消えていた。
真っ黒なパーカーにはシアン色の血の染みはなかった。
イベントが終われば、イベント中に負ったダメージはすべて回復するシステムらしい。
ふたたびスタート地点の東京駅前で目覚めたときの感覚は、ゲームが始まったときとまったく同じだった。
仰向けに寝転がった体勢も、後頭部の痛みもそっくりそのまま再現されている。
プレイ時間30日間で体験した出来事すべてが、「『長い夢』だったのではないか」という疑念が湧いてくる。
ふと綾瀬が目の前で消えるビジョンが浮かんだ。
紫藤、優斗、NPCの家族──この世界で出会った人たちが次々といなくなっていく。
そのとき、嫌な考えを振り払うかのように、左手の中でスマートフォンが振動した。
休止状態で暗くなっていた画面が光る。
LINEの新着メッセージの通知が、スマホ画面に表示された。
『お疲れ〜、レキトくん。ぼちぼちイベント終わった頃合いかな?』
『私たち、もう敵同士じゃなくなったってことで、よかったら一緒にプレイしない?(きらきら)』
『※ちなみに友達として誘ってるだけで、恋愛的な意味はありません』
レキトは目を疑って、電源ボタンでスマホ画面を暗くする。
綾瀬からLINEが届いたと思ったら、通知にあった名前は思いがけない人物だった。
片手をポケットに突っ込み、口の中へフリスクを一粒放り込む。
電源ボタンをもう一度押して、新着メッセージの通知に表示された名前を再確認する。
メッセージの送り主は、アーカイブ社のインターン生の明智彩花。
山手線バトルロイヤルで苦戦させられた、柔軟な発想力を持つプレイヤーだ。
赤い糸のギアで電車へ誘い込まれた上で、車内放送で《迷える羊の子守唄》の催眠音波を流して、NPCの乗客ごと眠らされる。
肉体的ダメージをまったく受けていないのに、意識を失って負けそうになったことは、山手線バトルロイヤルの中で強く印象に残っている。
──「他人のコインを奪うことが、クリア条件の1つとなっている」ゲームで、プレイヤーと手を組むことは大きなリスクがある。
──協力するふりをして油断させたところを、後ろからナイフで刺してくる可能性があるからだ。
──だからこそ、協力するプレイヤーは「味方を裏切らなくても、単独でコインを入手できそうな実力者」を選びたい。
レキトは綾瀬にLINEで相談した。
明智とのトーク画面をスクリーンショットで撮ったものを送って、社交的で仲良くなれそうなプレイヤーであることを説明した。
『全然アリ寄りのアリじゃん! 女の子いたほうが絶対に楽しいし』
『ていうか、なんでレキトはその子のLINEを知ってんの?』
『もしかして山手線バトルロイヤル中にナンパした!?』
綾瀬にLINEで了承を得て、明智と手を組むことが決まった。
3人でグループLINEを作り、山手線バトルロイヤルの翌日に綾瀬の家で集まることになった。
レキトたちは顔を合わせた後、自己紹介代わりにゲーム内で体験してきたことを話し合った。
『Fake Earth』をプレイしてから1ヶ月、誰かにずっと話したかったことをやっと話すことができた。
どこに潜んでいるのかわからないプレイヤーから狙われないように、普段はNPCのふりをしている生活。
ほかのプレイヤーに出会うことはほとんどないし、たまに出会っても戦いになるばかり。
負ければ記憶を失う勝負の最中、落ち着いて話している余裕はない。
冴えない見た目のアバターになったこと。
一緒に暮らす家族の中にプレイヤーがいたこと。
プレイヤー限定のオンラインサロンに所属していたこと。
折り畳み式のローテーブルを囲んで、これまで辿ってきたシナリオを話すのも聞くのも楽しかった。
綾瀬が淹れたコーヒーを片手に、明智が手土産に持ってきたマカロンを食べつつ、それぞれ所持しているギアを見せ合った。
「えっ、レキトくん、リアル版スーパーマリオやったんだ!
いいなーUSJみたいで楽しそう!」
「楽しかったけど、危うくゲームオーバーになりそうだったよ。
残機は1つしかないし、等身大のクリボーは踏んで倒せるサイズじゃなかったし」
「オレのチュートリアルも楽しかったな〜。
カブトムシのブッシー、飲みすぎて場ゲロしちゃってさ、マジ面白かった!」
チュートリアルの担当がどんな動物で、彼らとどんなふうに過ごしたのか。
対戦したプレイヤーたちはどんなギアを使ってきたのか。
『Fake Earth』の話題を気軽に語り合える関係は心地良かった。
「よっし! いい感じに撮影できたし、この調子で『リア充だから爆発してみた!!! 〜お姫様抱っこバージョン』も撮ろうぜ!」
「ちょっと! それ、良樹くんが私の反応を楽しみたいだけでしょ!
あと、なに初めて会った女子に、カップルでいちゃつくネタをやらせてるの!?」
赤面した明智は綾瀬を指差して、全身をわなわな震わせながら睨みつけていた。
アバターの体温が急上昇したのか、頭から湯気を立てている。
綾瀬は誤魔化すように笑って、親指でスマホ画面を叩いた。
「《私は何者にもなれる》!」と早口でつぶやき、隠れるようにアバターの色を透明に変えた。
──なぜ『Fake Earth』の話題で盛り上がっていたのに、TikTokを撮影することになったのか?
綾瀬と明智のムービーを撮る1時間前、レキトたちがお互いの情報を共有して気づいたことは、「所持しているギアの数に差があること」だった。
初期ギアの《対プレイヤー用ナイフ》と《対プレイヤー用レーザー》を除いて、レキトは《小さな番犬》、綾瀬は《私は何者にもなれる》と《ULTRA PASMO》しか持っていないのに対して、明智は5つのギアを持っている。
3人のプレイ時間や対戦戦績はほとんど変わらない中で、いったい運営は何で差をつけているのか?
レキトたちは今までの戦いを振り返って、「対戦時間の長さ」や「戦闘中に受けたダメージ量」など、明智が2人のプレイヤーと異なる点がないかを確認し合った。
だが、違いがあまりにも多すぎて、どれがギアの入手条件に該当するのかがわからない。
「うーん、なんかグダってきたな〜。
あのさ、難しい話はやめて、一旦TikTokを撮らね?
オレ、いいネタ思いついたんだけど」
綾瀬は腰を上げて、収納ケースからリングライトを取り出す。
機嫌よさそうに鼻唄を歌いながら、リングの中のスタンドにスマートフォンを取り付けた。
三脚にリングライトを装着して、光の明るさをダイヤルで調整する。
「……綾瀬、どうしてTikTokなんだ?
ギアを手に入れることと何か関係があるのか?」
「いや、別に。せっかく3人で集まったし、撮りたいなって思っただけ。
ほら、行き詰まったときは、気分転換したらうまくいくって言うじゃん」
綾瀬はインカメラを起動して、毛先の束感を手櫛で整えた。
「もしかしたらバズりすぎて、ワンチャン芸能事務所にスカウトされるネタなんだけど」と自信ありげに語り出す。
口では気分転換と言いながら、本格的な撮影機材のセッティング。
15秒のショートムービーを撮ることに熱中して、ギアの入手条件の議論が疎かになってしまうかもしれない。
「いいアイデアだね、良樹くん! 面白そうだしやってみたい!
こういう一見何の関係もなさそうなことが、ギアの獲得につながるかもしれないし!」
TikTokの撮影を止めようとしたとき、明智は賛成するように挙手した。
嬉しそうな顔をレキトに向けて、同意することを信じてやまないような視線を送っている。
TikTokをやることでギアがもらえる可能性はほぼゼロだろう。
ただ、確実にゼロだとは言い切れない。
多数決で考えれば、賛成2で反対1。
万が一があることを願いながら、少数派のレキトはTikTokの撮影係をやることにした。
TikTokにムービーを投稿してから30分後、レキトと明智は正座して、テーブル上に置かれた綾瀬のスマートフォンを見つめている。
『リア充だから爆発してみた!!!』は「おすすめ」に掲載されて、再生回数をグングン伸ばしていた。
フォロワーやいいねの数が加速度的に増えていき、通知が追いつかなくなってきている。
英語や中国語のコメントも数多く寄せられている。
綾瀬はソファで足を組んで、誇らしげな顔でコーヒーを啜っていた。
名プロデューサー気分なのか、ピンク色のカーディガンを背中に羽織って、両袖を胸の前でゆったり結んでいる。
しかし、ムービーの再生回数が10万回を超えても、新しいギアがインストールされそうな雰囲気はない。
スマホ画面が眩く光ることも、地球のロゴが表示されることもない。
TikTokの通知が鳴りつづけるだけで、アーカイブ社から何の音沙汰もなかった。
「はぁ〜、そう都合良くはいかないか。それなら次はどこか遊びに行かない?
良樹くんの《ULTRA PASMO》、実際に3人でワープできるのか、試してみたいし」
「おっ、いいじゃん! じゃあカラオケはどう?
昨日イベント前にどハマりした曲があってさ、今日マジで歌いたい気分なんだよね〜」
山手線バトルロイヤルの優勝賞品のギア、No.500《ULTRA PASMO》。
綾瀬が勝ち取ったギアは、「使用したプレイヤーがゲーム内で一度通過したことのある座標へテレポートする」空間転移系のギアだった。
テレポート先の座標は、スマホ画面に表示される地図から自由に決められる。
ギアを起動した綾瀬に触れていれば、レキトや明智も同時にテレポートできる性能だ。
片膝をついた綾瀬はウィンクして、明智に手を差し出した。
今どきバラエティ番組でしか見ない、男女の交際を申し込むポーズ。
明智は右手をおずおずと伸ばして、綾瀬の差し出した手に触れた。
照れ臭そうに前髪をいじりながら、急いで綾瀬に触れるようにレキトに目で訴えかけている。
「……すまない、2人とも。できれば行きたいんだけど、俺はパスするよ。
実はこれから『予定』があるんだ」
赤色のスマートフォンを手に取って、レキトはロック画面の時計を見る。
現在時刻は午前11時28分。
綾瀬の家に来てから2時間近く経っている。
そろそろ電車に乗らなければ、12時半の待ち合わせには間に合わない。
これから会う約束したのは、LINEのトーク画面の一番上にピン留めされた相手。
オシャレなカフェに行ったり冬服を買いに行ったり、この世界に来てからNPCの家族の次に長い時間を一緒に過ごしている。
「別に全然いいけど、『予定』って何?
なんか新しいイベントに参加する感じ? それならオレらも一緒に行きたいだけど」
「いや、イベントじゃないよ、綾瀬。
まあ、2人に隠すようなことでもないんだけど」
レキトはため息をついて、スクエア型をかけ直す。
本音を言えば、綾瀬たちに隠せるなら、最後まで隠し通したかった。
どうしてこうなったのか、自分でもうまく説明できない。
協力相手と信頼関係を築く方が優先度は高そうなのに、なぜ今日の予定を延期しなかったのかもわからなかった。
綾瀬は首を傾げて、訝しむような目でレキトを見つめていた。
真面目な顔になった明智は黙って、レキトの言葉の続きを待っている。
「一言で答えれば、これから『彼女』とデートだ。
──この世界で俺はNPCの女子高生と恋愛関係になっている」
レキトはLINEを起動して、綾瀬たちに『彼女』とのトーク画面を見せた。