48話 優勝
山手線バトルロイヤルの開催のお知らせが来たのは、NPCの妹の美桜と自宅でクリスマスに飾る「お菓子の家」を作っているときだった。
生クリームでビスケットの屋根に雪が積もった質感を付け足している最中に、ポケットに入れたスマートフォンの画面が光り輝いた。
地球のロゴが薄色デニムパンツに透けて見える。
俺は生クリームの絞り袋を手放して、慌ててスマートフォンを手に取った。
地球のロゴがスマホ画面から消えて、夜の線路を走る電車の映像が流れる。
ICカードリーダーにスマートフォンを当てて、プレイヤーらしきアバターたちが山手線の各駅の改札を通った。
電車内でナイフを振り回しているプレイヤーたちへ、隣の車両からレーザー光線を撃つなど、プレイヤー同士の戦いが繰り広げられていく。
背後から胸をナイフで貫かれたり、線路に突き落とされたりして、次々とプレイヤーが脱落していく。
そして、最後に残った1人が優勝賞品のギアを手に入れた。
虹色の光を放つアイコンがホーム画面に追加される。
イベントの予告動画らしき映像が終わると、運営から山手線バトルロイヤルの案内メールが届いた。
「お兄ちゃん、スマホ見るの禁止〜!
完成間近なんだから、気を引き締めなきゃダメだよ~!」
ピンク色のエプロン姿の美桜はムスっとした顔をして、2本のポッキーで×印を作っている。
「ごめん」と俺が謝ると、「許す!」と笑顔でポッキーを1本差し出して、残りの1本は自分でぱくっと食べた。
俺は美桜のポッキーを受け取り、チョコの塗られた部分を半分だけかじる。
美桜は製菓用のピンセットを手に取り、真剣な顔でギター型のクッキーをつまんだ。
就活セミナーで優斗がいない休日、美桜に誘われた「お菓子の家」作り。
市販のキットで組み立てるかと思いきや、美桜は我が家のミニチュア版を建てることを計画していた。
テーブルに広げられた設計図を見ると、外装だけではなく内装までびっしり書き込まれている。
「女子中学生のお菓子作り」というより、もはや「建築家の住宅模型の制作」だった。
計画倒れを予感した俺の心配をよそに、美桜は1/50スケールの家具をメレンゲで手早く作った。
糸状の飴を器用に細工して、リビングの窓のクレセント錠も再現した。
熟練の塗装職人のような目で、スポンジ生地がムラなく塗れているのかを見つめている。
飾り付けの手伝いを頼まれた俺は、美桜の作品を台無しにしないように内心ヒヤヒヤしていた。
「……本当に凄いクオリティだな、美桜。
SNSに写真をアップしたら、相当バズるんじゃないのか?」
「そりゃ、お兄ちゃんがサポートしてくれたからね。
『アイシング作って』とか私がお願いする前に察してくれるから、おかげでデコレーションに集中できたよ」
美桜は目を閉じて、口を半開きに開ける。
俺は余ったラムネの包装を破いて、美桜の口へそっと放り投げた。
「ナイスパス」と美桜は拍手して、満足そうに口をモゴモゴとさせる。
糖分補給が終わると、ビスケットの扉の鍵穴をニードルで描き始めた。
NPCの父親の司と母親の紀子が亡くなってから2週間、妹が家で塞ぎ込んでいる様子はない。
大切な家族との死別から立ち直って、前向きに今を楽しんでいるように見える。
だが、俺が自室のベッドで寝ようしているとき、美桜の部屋からすすり泣く声が聞こえることがあった。
その翌日の朝に顔を合わせると、美桜はまぶたを珍しく化粧していた。
悲しんでいる姿を人前で見せないように振舞っている。
こんなとき兄として、どう振る舞うのが正解なのか?
俺は答えを見つけることができず、妹の演技に気づかないふりをすることしかできなかった。
「よし、できた! お母さんとお父さんに見せてこよう!」
ウサギの耳をしたケース付きのスマートフォンを手に取って、美桜は完成した「お菓子の家」を撮影する。
お菓子の家を載せたプレートを持ち上げると、途中でうっかり落としてしまわないように、小さい歩幅で和室へそろりそろりと向かった。
リビングと続き間の和室の畳には、NPCの両親の遺影を飾った中陰壇が置かれている。
銃弾から俺を反射的にかばった母。
瀕死の体で敵プレイヤーに立ち向かった父。
遺影の額縁の中にいる2人は、幸せそうな笑みを浮かべている。
俺はダイニングテーブルの上を片付けて、山手線バトルロイヤルの案内メールを開いた。
イベント日時、敗北条件などのルール、優勝賞品のギアが詳しく記されている。
──№500《ULTRA PASMO》。
山手線バトルロイヤルの優勝賞品のギアは、「使用したプレイヤーがゲーム内で一度通過したことのある座標へテレポートする」空間転移系のギアだった。
テレポート先の座標は、スマホ画面に表示される地図から任意で変更可能。
使用プレイヤーのアバターに触れていれば、複数の人や物も同時にテレポートできる性能だ。
このギアがあれば、日々の活動範囲を大きく広げることができる。
対戦相手の背後へ瞬時に回り込んだり、間合いを一気に取ったりすることもできる。
そして、プレイヤー同士の戦いに巻き込まれないように、NPCを安全な場所へ避難させることができる。
「お母さん、お父さん、これ見て。
うちの家をモデルにしたお菓子の家。お兄ちゃんと一緒に作ったんだよ。頑張ったでしょ?」
美桜は正座して、NPCの両親へ明るく話しかけた。
嬉しそうに自慢する横顔。
泣いた跡は化粧で隠れている。
使い終わった調理器具を食洗機にかけて、俺は親指でスマホ画面を下にスクロールする。
運営のメールのURLをクリックして、山手線バトルロイヤルの参加を申請した。
◯
「──超接近射撃戦術『SEED』」
山の手線外回りの電車の上、俺は親指の爪でホームボタンを長押しした。
光るイヤホンジャック、握った手にスマートフォンの熱が帯びていくのが伝わる。
最後尾11両目の屋根を強く蹴って、前へ勢いよく突っ込んだ。
ライトグリーン色の光に照らされた、目の前に迫ってくるプレイヤーを睨みつける。
高輪ゲートウェイ駅代表、綾瀬良樹は10両目の屋根から加速していた。
急角度の前傾姿勢を維持したまま、最小限の接地で一直線に駆けてきた。
凄まじい空気抵抗を受けて、シアン色の血を塗った前髪は逆立っている。
両方の手首から先は《私は何者にもなれる》で透明化していて、対プレイヤー用ナイフはどちらの手にあるのかがわからない。
山手線バトルロイヤル最終戦。
俺は綾瀬にナイフで何度も斬られて、全身はシアン色に染まっていた。
視界の端がぼやけている。
白かった息がだんだん薄くなってきている。
綾瀬も光の弾を何発も浴びて、額や耳から血を流していた。
時速80kmの速度で鋼管に背中をぶつけたとき、骨が折れる音が響いた。
空中へ吹っ飛ばされて、電車の屋根に顔を激しく打ちつけている。
──どちらも限界まで極限まで近づいている状態。
──お互いに残された体力はほとんどない。
次の攻撃を決められるかどうが、勝利の分岐点となる。
俺は全速力で両腕を上げて、綾瀬にスマートフォンを構えた。
爪先で長押し中のホームボタンをなぞる。
対プレイヤー用レーザーを撃つフェイク──に見せかけて、そのまま親指の爪先をホームボタンから一気に離した。
綾瀬のナイフの間合いに突入する直前で、ライトグリーン色のレーザー光線を放つ。
だが、綾瀬は全身を横に回転させて、瞬時にレーザー光線を回避した。
踏み込んだ右足を傾けた直後、身の回りの空間をねじ曲げる勢いで、360度寸分狂うことなく回った。
綾瀬にレーザー光線が当たる瞬間のみ、空中へアバターの位置をずらした。
素早く回転したスピードを乗せて、爆発的に加速して突っ込んでくる。
お互いの靴のつま先が触れ合ったとき、綾瀬は全身を脱力させた。
左右から俺に向かって、両腕がグンと突き上がる。
見えないナイフの空気を切り裂く音が近づいてくる。
猛スピードで迫るナイフの風圧が俺の頬にぶつかる。
俺は肩の力を抜いて、綾瀬に優しく笑いかけた。
──ケルベロ! ケルベロ! ケルケルベロ!
俺は何か「まぐれ」を起こす必要があった。
何か「まぐれ」を起こすためには、何か「行動」を起こす必要があった。
何もしなければ、未来は変わらない。
今、俺自身が「変化」する必要があった。
俺が口元に笑みを浮かべたのは、限界が近いアバターでできる唯一の行動だった。
素早く後ろへ下がったり、腕を交差させて防御したりする力はない。
綾瀬がナイフを振り切れば、間違いなくゲームオーバーになる。
しかし、綾瀬は俺が笑いかけた理由を知らない。
電車の進行方向に背を向けて、俺にナイフでとどめを刺そうとしている状況。
「対プレイヤー用レーザーで折られた鋼管に激突する前」の場面が再現されている。
過去に騙された手口と同じものを目の当たりにしたとき、人間はどのような対応を咄嗟に取るのか?
綾瀬は息を呑み、ナイフを振り上げる手を止める。
素早く体勢を低くして、「何もない」先頭車両の方を振り返った。
「『フェイク』だよ、綾瀬。
──お前を倒す技はこれからだ」
俺は右腕を振って、ナイフで斬られた傷口から血を飛ばした。
透明化した綾瀬の両手に命中して、握っていた対プレイヤー用ナイフがシアン色の血で色づいた。
夜の電車の屋根の光景が、煌びやかなゲームセンターに一瞬だけ変わる。
俺は凛子と肩を並べて、『ザ★ビシバシ』を一緒に遊んでいた。
赤と青のボタンを交互に連打して、筐体の画面の猫じゃらしを素早く振るのを競い合っていた。
「──超接近射撃戦術『SEED』」
俺は零距離で綾瀬にイヤホンジャックを突きつける。
全身全霊をかけて、親指でホームボタンを連打した。
──ヴィララララララララララッ!
夜の線路を走る電車の上、ライトグリーン色の火花が激しく散る。
最後尾車両の中央で、爆竹のような破裂音が鳴り響いた。
端末上部のイヤホンジャックは、絶え間なく点滅している。
レーザー光線より短い光の弾は、綾瀬に1秒間に何発も命中していく。
俺はホームボタンを連打しながら、反対の手でスマートフォンを横にずらした。
イヤホンジャックの向きを変えて、綾瀬の肋骨から右腕に照準を動かした。
対プレイヤー用ナイフを前方に振ろうとする前に、ライトグリーン色の光の弾で押し返す。
すかさず斜め下にイヤホンジャックを傾けて、綾瀬が蹴り出そうとした左足を封じた。
──対戦相手の予備動作から先読みして、零距離からの早撃ちで封じる。
──攻撃も防御も許さない、「先の先」を取り続ける連射のコンビネーション。
光の弾は1発1発アバターの皮膚を破く威力がある。
口径9mmの弾丸と同じサイズ。
まともに直撃しつづけることは、彫刻刀で何度もえぐられることに等しい。
しかし、30秒近く光の弾を受けつづけても、綾瀬は倒れなかった。
苦痛に顔を歪めながらも、スマートフォンを離さない。
傷だらけになった手足で、何度も反撃しようともがいていた。
狼を彷彿とさせる目には、鋭い光が宿っている。
俺は構わず撃ちつづけた。
意識が飛びそうになるのを堪えて、綾瀬に光の弾を浴びせつづけた。
最後尾車両の屋根から10両目の屋根まで押していく。
親指の爪先が割れて、左腕から肩にかけての血管が熱くなっていく。
やがて綾瀬は口の端から血を流した。
アバターの膝が少しずつ折れていく。
腕はボロボロになり、ブーツは穴だらけになっていった。
──スゥゥゥ……。
ラストスパートをかけている最中、電車内より明るかった屋根の上が暗くなる。
今まで鳴りつづけていた爆竹のような破裂音が急に止んだ。
端末上部のイヤホンジャックから、ライトグリーン色の光の残滓が漂っている。
電車にブレーキがかかり、線路を走る速度が落ちていく。
電車の屋根に膝をついている俺は、意識が一瞬だけ飛んでいたことに気づいた。
綾瀬にナイフで斬られた傷口から、シアン色の血が溢れている。
綾瀬が倒れるよりも先に、俺自身が限界に達している。
精一杯の力でホームボタンを押したとき、「突起の多いブーツの靴底」が俺の腹に突き刺さった。
軽く膝を上げた綾瀬が、全体重を乗せた蹴りを放った。
10両目から最後尾車両の奥まで、屋根から浮いた俺は蹴り飛ばされる。
呼吸ができなくなり、受け身を取れずに背中から激突した。
だが、俺は親指をホームボタンから離さなかった。
端末上部のイヤホンジャックが光り始めた。
赤色のスマートフォンは熱を帯びていく。
隣でゲームを楽しんでいる凛子の横顔を思い浮かべて、俺は上半身を勢いよく起こした。
歯を食いしばって、両手でスマートフォンを持つ。
光り輝いたイヤホンジャックを綾瀬に向けようとしたとき、もうすでに綾瀬は俺にイヤホンジャックを向けていた。
鮮やかなピンク色の光は、ライトグリーン色の光より煌めいている。
静かに息を吐いた綾瀬は、親指をホームボタンから離した。
──ギィィィィィィィィ!
綾瀬のイヤホンジャックが眩く光った瞬間、俺たちを乗せた電車は渋谷駅に停車した。
車両のドアとホームドアが重なる定位置で停まった。
先頭車両から最後尾車両まで、すべての車輪が完全に静止する。
微弱な振動が車両全体に起きて、満身創痍の綾瀬はよろめいた。
鮮やかなピンク色の照準点が、「俺」から「駅のホーム」に大きくずれる。
誤射された綾瀬のレーザー光線は、天井から吊り下げられた電光掲示板の支柱に命中した。
天井から吊り下げられた支柱は砕ける。
発車時刻を表示する電光掲示板は落ちた。
最後尾車両のホームドアの前で待つ「NPCの乗客の頭」へ向かっていく。
激しく吠えていた《小さな番犬》が静かになった。
綾瀬は俺を見ていなかった。
誤って撃ち落とした電光掲示板に注意が逸れている。
「危ない! 避けろぉぉぉ!!」
綾瀬は血相を変えて、腹の底から怒鳴るように叫んでいた。
俺は視線と射線を揃えるように、目線の高さにイヤホンジャックを合わせた。
綾瀬の左胸を凝視して、ライトグリーン色の照準点を定める。
綾瀬をゲームオーバーにしなければ、俺がゲームオーバーになる未来。
凛子を現実世界へ連れ戻すことができず、一緒にゲームセンターで遊んだ記憶を消されることになる。
忘れたくない、かけがえのない日々。
命より大切なものを失わないために、この絶好のチャンスを逃してはいけない。
──良かった。怪我はないみたいね。
綾瀬にレーザー光線を撃つ直前、「NPCの母親の顔」が脳裏をよぎった。
今までの人生の記憶の中から、銃弾から俺をかばってくれた姿を思い出す。
警察官のプレイヤーの淀川に撃たれたのに、NPCの母親は俺が無事だったことに安心していた。
撃たれた胸から血を流しながら、死ぬ間際で微笑みを浮かべていた。
「──SPECIALコマンド『剪定弾』」
俺は上体をひねり、光り輝いたイヤホンジャックを駅のホームへ向ける。
《小さな番犬》が急に吠え出したのを無視して、震える親指をホームボタンから離した。
ライトグリーン色のレーザー光線は、電車の屋根から斜め下へ駆け抜けていく。
NPCの乗客の頭へ落下する電光掲示板へ向かっていった。
──頭の中で滴型の種が発芽して、樹形図が広がっていくイメージが浮かぶ。
──その中の1本の枝が切り取られて、「俺が綾瀬に勝利する未来」が消える。
ライトグリーン色のレーザー光線は、落下していた電光掲示板の角に衝突した。
NPCの乗客の頭に当たる手前で、撃ち抜かれた電光掲示板は横へ弾き飛ばされる。
開いたホームドアの前に落ちて、煌びやかな光の残滓が夜空へ漂っていく。
俺は上体をひねった勢いで、屋根の右端へ倒れた。
電車の屋根にしがみつく力はない。
屋根から傾いていくアバターを丸める。
渋谷駅のホームに落ちたとき、右腕の骨がグチャリと折れる音が響いた。
──ケルケルベロロォ!!
《小さな番犬》の吠える声が聞こえてくる。
振動したスマートフォンは耳元に転がっているのに、不思議とやかましさを感じなかった。
音量を最小限に抑えたように小さい。
亀裂の入ったスマホ画面、金色のコインが割れ目から見える。
俺は血の混じった胃液を吐いて、綾瀬との対戦中だったことを思い出す。
プレイヤー同士の戦いの巻き添えを食らわないように、NPCの乗客たちの背中が俺から遠ざかっていくのが見える。
怯えた顔の駅員が警笛を強く吹いて、渋谷駅に停まった電車も次の駅へ逃げるように発車した。
痙攣している左手で喉に触れて、俺は口の中で溜まった血を飲み込む。
絶望的に喉が渇くのを感じた。
綾瀬にナイフで斬られすぎて、大量に流れた血から水分が失われたからだろうか?
連打で割れた親指の爪の色は、病的に青白くなっている。
NPCの乗客が走って去った2番線のホーム、出口の階段と反対方向で倒れている俺の方へ1人の影が近づいてくる。
電車の屋根から飛び降りた綾瀬が、足をふらつかせながらやってきた。
規則的に揺れるメトロノームのような美しさ。
銃創だらけになった姿でも余力があることを感じさせる。
俺は痙攣している左手をスマートフォンに伸ばした。
親指がホームボタンに乗ったが、わずか数ミリだけ押し込む力が残っていない。
綾瀬は俺の前で立ち止まった。
首の後ろに手を当てて、頚椎の関節を鳴らす。
そして、清々しい顔で一息つくと、両手を軽く上げた。
「……まいった、降参だ。
……オレの激ヤバミス……帳消しにしてくれて……マジで助かった」
綾瀬は屈んで、真っ黒なテーパードパンツのポケットに手を入れる。
綺麗に折り畳まれたハンカチを引っ張り出して、ナイフで斬られた俺の腕の傷口に巻き付けた。
数えきれないほどの光の弾を食らって、ハンカチを持つ手は皮膚が痛々しく破けている。
間近で見る綾瀬の顔色は明らかに悪い。
山手線バトルロイヤルの優勝を譲って、綾瀬に何か得があるのだろうか?
俺は荒く息をつきながら、綾瀬のハンカチを見つめる。
滑らかな光沢感のある、ギンガムチェックのハンカチ。
この世界に転送された直後、初めて出会った女性プレイヤーに渡されたハンカチと同じ柄。
──『Fake Earth』を終わらせて、凛子を現実世界へ連れ戻すために、俺に一番必要なものは何なのか?
── この世界に来てから1ヶ月、俺にとって色んな変化があったけれど、その答えは最初からずっと変わっていない。
意識を失ってしまう前に、俺は何よりも大事なことを言うことにした。
「……綾瀬……俺と協力プレイしてくれないか?
……優勝賞品のギアは……綾瀬の物でいい。
……賞金1億円も……アーカイブ社のブラックカードも……俺がクリア報酬を手に入れたら……全部くれてやるからさ」
瞼が落ちそうになる中、俺は口元が緩むのを感じる。
いま初めて会話するプレイヤーを仲間に勧誘する俺自身も変わっていると思った。
なぜ奇妙な友情みたいなものを綾瀬に抱いてしまうのか、自分のことなのに自分でもよくわからない。
ただ、一緒にプレイできたら、なんとなく楽しくなりそうな予感があった。
綾瀬はきょとんとした顔をして、大きい目をぱちくりとさせていた。
右手で自分の頬をつねる。
左手で自分の頬を強めに叩く。
これが夢でないことがわかると、嬉しそうに目を輝かせた。
「……あり寄りのありじゃん。
……頭バトルロイヤルになってから……その発想はマジでなかった。
……超いい奴だってことは……さっきわかったし。
──だから……これから仲良くやろうぜ……レキト」
綾瀬は微笑むと、その場に力が抜けたように座り込んだ。
「……死ぬほど疲れた」とスマートフォンを操作して、LINEの「友達追加」からQRコードを表示した。
動けない俺のスマートフォンを拾って、LINEのQRコードのスキャン画面を表示する。
綾瀬が俺にスマートフォンを返すと、『Ryoju』が新しい友達の欄に増えていた。
「……ありがとう。
……じゃあ……優勝賞品のギアは……綾瀬の物でいいか?」
「……それはレキトの物でいいよ。
……ぶっちゃけオレの負けだったし」
「……できたら……綾瀬がもらってくれないか?
……綾瀬のほうが……今持ってるギアと……相性がいいはずだ」
「……マジかよ……そういう感じか。
……レキトの考えはわかるけど……オレも譲りたい気持ちがあるんだよな。
……はぁ〜、なんか揉めるのはダルいし……『ジャンケン』で決めね?
……勝ったほうが……イベント優勝ってことでさ」
綾瀬はVサインを作って、人差し指と中指でチョキチョキと動かす。
放課後まで長引いたクラス委員決めで、早く帰りたい人が言いそうな軽い口調だった。
俺はうなずいて、痙攣している左手を前に出す。
「……んじゃ……さくっと終わらせるか。
……最初はグー。……ジャン、ケン……ポン!」
綾瀬の掛け声に合わせて、俺は頭に浮かんだ手を出すことにした。
綾瀬がどんな手を出すのか、相手の心理は考えなかった。
動体視力を駆使して、綾瀬の出す手を見極めることもしない。
山手線バトルロイヤルの最終戦の勝敗は、完全なる「運」に委ねることにした。
優勝をかけたジャンケンは、最初に出した手で決着がついた。
俺たちは何も言わず、仲間の目を見つめた。
綾瀬は俺の肩に手を回して、倒れた体勢からゆっくり立ち上がらせる。
お互いに支え合いながら、黙ってホームを歩いた。
出口の階段を、2人で1段ずつ下りていく。
転ばないように、踏みしめるように、一歩一歩進んでいく。
今この瞬間、俺は頭が働かなくなり、強烈な眠気みたいなものを感じている。
濡れたパーカーが乾かないほどの血を流したアバター。
いつ目の前が真っ暗になってもおかしくないだろう。
けれども、綾瀬と並んで歩いていると、どこまでも遠くへ行けるような気がした。
「……レキト……改札に着いたぜ。
……とりあえず……イベントが終わった後のことは……LINEでいいか?」
「……ああ……メッセージをすぐ送る。
……返信はいらないから……既読マークだけつけてくれ」
俺は呼吸を整えて、綾瀬の肩に回していた手を離す。
一瞬よろめきかけたが、その場で辛うじて踏み止まった。
痙攣している左手を丸めて、握り拳を綾瀬に向ける。
綾瀬も右手を丸めて、拳と拳をコツンと突き合わせた。
渋谷駅の南口改札、一方通行の自動改札機が左端に設置されている。
俺はスマートフォンを手に取って、一方通行の自動改札機へ向かった。
ICカードリーダーにスマホ画面をかざして、開いた改札の扉を通り過ぎる。
──ルール3: 「改札を出る」「別の路線の電車に乗る」などエリア外に出た場合、イベント失格となる。
──ルール5:イベント失格となったプレイヤーは「ゲーム開始時のスタート地点」へ転送される。
渋谷駅の改札の外に出た瞬間、スマホ画面が真っ白になった。
俺は全身の痛みが消えて、アバターが軽くなったのを感じる。
真っ白になったスマホ画面に吸い込まれて、東京駅の赤レンガ駅舎の前へ転送されていく。
各駅を代表した参加プレイヤー、30名中29名のイベント失格。
山手線内に残った唯一人の勝者が決まり、新人プレイヤー同士の戦いは終了する。
第27回山手線バトルロイヤル、優勝プレイヤー。
高輪ゲートウェイ駅代表。
プレイヤー名「綾瀬良樹」。
【遊津暦斗(Dランク)】
対人戦績・4勝2敗2分け(逃亡回数:3回)
〈構成ギア〉
・《小さな番犬》Lv16
・《対プレイヤー用ナイフ》
・《対プレイヤー用レーザー》
〈ギルド・仲間〉
綾瀬良樹(無所属)
〈装備アイテム〉
・血塗れのパーカー
・破けた穴だらけのチノパン
・曲がったスクエア型眼鏡
・画面が割れたスマートフォン
・ギンガムチェックのハンカチ
〈所持金〉
・電子マネー179万5240円
(30日経過により、電子マネー100万円追加)
〈プレイ時間〉
30日8時間24分
〈コイン獲得数〉
2枚
〈クリア回数〉
0回
〈称号〉
第27回山手線バトルロイヤル準優勝プレイヤー
〈ゲーム進捗率〉
5%
第3章「山手線バトルロイヤル」完結。
次回より第4章「仮設Aチームの原則」。
(作者からのお願い)
第3章をお読みいただきありがとうございます。
執筆の励みとなりますので、読んで面白いと思った方は、
①「ブックマーク」(しおり機能があります)
②「ポイント評価」(最新話のラストの下より)
をいただけると幸いです。
ランキング上位になるためには、みなさまの応援が必要です。
ご協力よろしくお願いいたします。