45話 Change! Challenge! Chameleon!
《夢現電脳海淵城》ROOM-C、「大理石の円卓」の上。
山手線の全線全駅を模した鉄道ジオラマには、参加プレイヤーの様子を映した3Dホログラムが浮かんでいる。
30名の参加プレイヤーたちは次々と脱落していき、3Dホログラムは新宿駅で停車している電車の屋根で対峙している2つだけとなった。
渋谷駅代表──「遊津暦斗」。
高輪ゲートウェイ駅代表──「綾瀬良樹」。
最後尾11両目の屋根と10両目の屋根の上にいる、2人のプレイヤーは約25メートル離れている。
──序盤で2人が戦ったときとまったく同じ舞台、11両目と10両目の上での再戦。
──ほかの参加プレイヤーの邪魔が入ることのない一対一。
イベントの最終戦が今始まろうとしている。
目の前のプレイヤーに勝利した者が、第27回目の山手線バトルロイヤルの優勝者となる対戦だった。
「うおおおおお! キタァァァァ~!
ついに始まったで、ラストバトル!
ぶちかましたれ、遊津の旦那! 綾瀬の兄貴をぶっ倒して、わいの優勝できへん予想を覆すんや!」
虎柄のメガホンを口に当てたハムスターのモグ吉は、小さな拳を高く突き上げた。
喉の皮膚を破いてしまいそうな勢いのある声量。
あまりにも大声すぎて、「声援」というよりは「怒号」に近い。
円らな目はギラギラと血走っている。
「モグ吉先輩、落ち着いてください。
何度も言いますが、僕たちが担当した新人プレイヤーの戦いを観戦してるのは、今後のチュートリアルの在り方を見直して、未来の新人プレイヤーの質を高めるためです。
仕事に私情を挟むのは良くありません。
……だいたい、遊津君は明智さんに勝ったんですから、綾瀬君に負けるはずがないでしょう?」
「はぁ~? 何を言ってんの、ジョン?
どう考えたって、綾瀬君が優勝するに決まってるでしょ!
新宿駅のホームで見せた、あのキレッキレの『身体操作』!
担当チュートリアルの私が優勝候補だと思ってた3人に圧勝した実力!
ヒョロガリの遊津君なんて、秒でワンパンKOよ!」
「私もピー姫に賛成ですね。
綾瀬さんの肉体美が素晴らしいのは当然のこととして、遊津さんは明智さんと戦ったときに、《迷える羊の子守歌》で眠らされないように、自分の脇腹などにレーザー光線を撃ったダメージがあります。
一方、綾瀬さんはノーダメージ。
この山手線バトルロイヤルが始まってから、彼は血を1滴も流していません。
『万全な状態で戦えるかどうか』の差は大きいですよ」
野うさぎのキャロルは微笑み、鮮やかなピンク色のサイリウムを掲げる。
綾瀬の対プレイヤー用ナイフと同じ色だった。
翼を前に構えたインコのピー姫は、綾瀬の顔写真を貼ったうちわを持ち上げている。
「絶対♡優勝」とポップ体のデカ文字が、うちわの裏面に貼られていた。
「遊津派」と「綾瀬派」に割れたチュートリアルたちは、鋭い視線で火花をバチバチと散らすように睨み合っている。
ハムスターのモグ吉とインコのピー姫は肩をすくめて、残り1匹のチュートリアルに一点の曇りのない信頼しきった目を向ける。
前足で腕組みのポーズを取っていた、カブトムシの武士丸はため息をついた。
「……勝敗を予想すれば、先入観で歪んだ観戦になる。
どのみち勝負は何が起きるかわからない世界、言及は控えさせてもらうよ。
例年のイベントと比較して、今回の参加プレイヤーのレベルは異常に高い。
今までの参加プレイヤーと何が違っているのか。
──この疑問の答えを導きだすために、彼らの最終戦は大いに参考になるはずだ」
《夢幻電脳海淵城》ROOM-C内で、新宿駅で停車している電車の発車ベルが響きわたる。
議論をやめたチュートリアルたちは前屈みの姿勢になった。
遊津は片膝をついて、赤色のスマートフォンを持った手を背中に回している。
綾瀬はナイフを手で回しながら、静かにステップを踏んでいる。
全車両のドアが同時に閉まり、次の駅へ電車は動き出した。
最後尾の車両が新宿駅を離れた瞬間、遊津は対プレイヤー用レーザーを構えた。
背で隠していたスマートフォンを、アバターの正面にゆっくりと回した。
電車のライトに偽装させていた光を、10両目の屋根にいる綾瀬に向ける。
「なるほど。
『戦う前の準備で勝敗を決める』ってことですか」
緑亀のジョンは顎を撫でる。
3Dホログラムに手をかざして、新宿駅に到着する前の遊津のログをさかのぼった。
全プレイヤー共通支給ギア、《対プレイヤー用レーザー》。
端末上部のイヤホンジャックに溜めた電気を放つギアは、ホームボタンを長押しするほど、威力とともに弾のサイズが大きくなっていく。
──明智との戦いが終わり、参加プレイヤーの位置情報がスマホ画面に公開された3分後。
──新宿駅の5つ前の大塚駅にて、遊津は対プレイヤー用レーザーを起動している。
綾瀬にイヤホンジャックを向けるまで、ホームボタンを長押しした時間は11分29秒。
遊津は親指をホームボタンから離して、「直径3メートル超えのレーザー砲」を放った。
ライトグリーン色の光の球体は、雷鳴のような音を轟かせた。
最後尾11両目の屋根を瞬く間に通過──集中式冷蔵装置が屋根から吹き飛ばされる。
直径3メートル超えの光の球体は、綾瀬がジャンプで飛び越えた自動販売機より1メートル以上高かった。
電車の横幅もはるかに超えている。
低くスライディングして、光の球体の下を通り抜ける隙間もない。
インコのピー姫は悲鳴をあげた。
推しのプレイヤーのピンチに、全身は羽毛が縮んだかのように細くなっている。
野うさぎのキャロルは固唾を呑み、3Dホログラムに映る綾瀬の横顔を見つめた。
鮮やかなピンク色のサイリウムを不安そうに握りしめている。
綾瀬は足を踏み鳴らすことをやめた。
短く息を吐いて、全身をリラックスさせた。
頭上の高さへスマートフォンを持ち上げる。
電車の風圧で乱れた前髪を、落ち着いた手つきで整える。
「Make up! ──《私は何者にもなれる》」
綾瀬はギア名をつぶやく。
自然な笑顔を作り、シャッターボタンを押した。
──ラシャッ。
小気味のいいシャッター音が鳴った瞬間、ライトグリーン色の光の球体が綾瀬のいた場所を通過した。
10両目の端から端まで一気に飛んだ。
9両目に設置されたパンタグラフを粉々に砕く。
しかし、山手線の全線全駅の鉄道ジオラマに浮かぶ3Dホログラムは、変わらず2つのままだった。
電車の10両目の屋根には、アバターの肉片やシアン色の血が飛び散った跡もない。
緑亀のジョンは目を瞬かせていた。
ハムスターのモグ吉は口をぽかんと開けている。
3Dホログラムに映る綾瀬は、「10両目の車両の窓の前」でぶら下がっている。
電車の屋根から飛び降りた直後、車両の窓枠に対プレイヤー用ナイフを突き刺して、線路へ落下しないように握りしめていた。
「これは素晴らしい判断力ですね!
電車の屋根から側面へ避難することはもちろん、《私は何者にもなれる》で透明になることで、遊津暦斗の追撃を受けないように隠れることができています。
少しでも気を抜けば、死ぬかもしれない場面で、『今この瞬間』だけでなく『先』も見据えられる。
この余裕を持てるメンタルは相当なものですよ」
野うさぎのキャロルは控えめに拍手を送った。
綾瀬のプレイに二重丸をつけるように、耳の先をぐるぐると丸めている。
黄色い声を上げながら、インコのピー姫は応援うちわを振っていた。
真ん丸の眼から嬉し涙が流れている。
全身の色を透明にした綾瀬は電車の進行方向を向き、前後へアバターを揺らした。
勢いに乗ったところで、空中へ高くジャンプした。
10両目の屋根へ舞い戻って、右足のつま先が着く瞬間に膝を曲げる。
できるだけ着地する音を殺して、電車の窓枠に刺したナイフをそっと抜く。
そして、綾瀬は先頭車両へ走った。
軽く膝を曲げて、素早くスタートを切った。
前傾姿勢になって──。
交互に腕を振って──。
電車の振動に合わせて──。
屋根をつま先で蹴って──。
全速力で走る音をかき消して──。
前へ前へと距離を詰めて──。
鮮やかなピンク色の光の刃を振って、遊津に斬りかかった。
──ケルベロ! ケルベロ! ケルケルケルベロ!
《小さな番犬》が激しく吠える直前、遊津は綾瀬の左側へ回り込んだ。
すかさず10両目の屋根へ移り、綾瀬が真横へ斬りかかったところを躱した。
赤色のスマートフォンが振動する。
「DANGER」のポップアップがスマホ画面で点滅した。
遊津はスクエア型眼鏡をかけ直す。
片手をポケットに突っ込み、ライムミント味のフリスクケースをポケットから引っ張りだした。
親指でフリスクケースの蓋を開ける。
真っ白な粒を口の中へ放り込み、奥歯でガリッと噛み砕いた。
「出たぁぁぁぁぁ、遊津の旦那のクールプレイ!
みんな見よったか、今の神回避!
これが知的でクールなわいの愛弟子の実力や~!」
「……ちょっと待ってください。
今のプレイ、おかしくなかったですか?
遊津君、危険を察知した《小さな番犬》が吠えるよりも先に動き出してましたよ」
「おぉ、よう気づいたな、ジョン!
たぶんやけど遊津の旦那は相手が見えんでも、だいたいの位置を把握できるっぽいで。
チュートリアルが終わった後、『視覚に頼りすぎない戦い方を身につける』って話しとったからな~。
綾瀬の兄貴が足音を殺しても反応したあたり、『音』やなくて『視線の圧』を感じ取っとるんとちゃうか」
虎柄のメガホンを口に当てたまま、ハムスターのモグ吉は関西弁で解説する。
小さな手でガッツポーズを取っていた。
満足げな顔をして、ピンク色の鼻の穴が膨らんでいる。
細長いヒゲは上機嫌そうに揺れていた。
3Dホログラムに映る遊津は後ろに下がり続けて、綾瀬のナイフを連続で避けつづけている。
大きく踏み込んだ突き技も避けて、鮮やかなピンク色の光の刃に当たらない間合いを維持していた。
両手でスマートフォンを構えて、綾瀬にイヤホンジャックを向ける。
親指でホームボタンを連打して、短い光の弾を回避の合間に連射する。
至近距離の射撃!
鮮やかなピンク色の光の刃を振ったタイミングで、綾瀬は光の弾のカウンターを額に受ける。
綾瀬が9両目の屋根に離れると、切れた額からシアン色の血が流れた。
「……痛たっ! スタンガンくらい痛いな、これ。
ていうか、攻撃が当たらなすぎて、透明になってる意味なくね?
──じゃあ、逆に姿を見せてみるか」
綾瀬は立ち止まって、《私は何者にもなれる》を解除した。
透明になっていたアバターは、頭からつま先まで元の色に戻った。
オレンジ色のウルフカット気味の髪は、電車の風圧で外ハネパーマ風にアレンジされていく。
アバターの肩の位置が低くなり、スマートフォンを持った手がだらんと下がった。
《小さな番犬》の吠える声が大きくなる。
赤色のスマートフォンの振動が強くなる。
遊津はスマートフォンを構えて、親指でホームボタンを連打した。
人差し指でケースの裏側を押して、輝きが点滅したイヤホンジャックの向きをミリ単位で変えていく。
3メートル先にいる綾瀬に向かって、ライトグリーン色の光の弾が10連射された。
散弾銃を撃ったように、1発1発がばらけて、電車の屋根の上を駆け抜ける。
だが、綾瀬は素早く屈んで、9両目の屋根を強く蹴った。
10連射されたライトグリーン色の光の弾の下を通り抜けて、遊津との距離を一気に詰めた。
滑り込んだ体勢から跳ね上がるように起きる。
鮮やかなピンク色の光のナイフで遊津の喉へ斬りかかる。
遊津は上半身を反らした。
間近に迫った対プレイヤー用ナイフの切っ先から離れる。
振り抜いたナイフを避けられたとき、綾瀬は肩の力をすうっと抜いた。
──ビルルキリッ!
鮮やかなピンク色の光の刃が横に空を切った瞬間、綾瀬はスマートフォンを持った手を振り下ろした。
水平を描いていたナイフの軌道が急降下!
遊津の右腕を勢いよく斬りつけた。
綺麗に開いた傷口から、シアン色の血が勢いよく噴き出す。
噴き出した血の一滴がスクエア型眼鏡のレンズに当たり、コバルトブルー色のフレームをなぞった。
綾瀬は一歩踏み込んだ。
素早い動きで、音を立てない一歩。
鮮やかなピンク色の光の刃を、遊津の胸へ向けて突きだした。
遊津は息を呑み、屋根の中央から右側へ飛び退いた。
斬られた直後、痛みが駆け巡る中での回避!
咄嗟の動きに、アバターの体勢がわずかに崩れる。
歯を食いしばって、遊津は綾瀬にイヤホンジャックを向ける。
綾瀬は静かに息を吐き、ナイフを持った手を緩めた。
そして、急速にアバターを半回転させて、遊津の鎖骨の下を横一直線にズバッと斬った。
「うわぁぁぁぁ!
遊津の旦那がやられとる~!!
急いで距離を取るんや、距離を!!!
とにかくアウェイ&アウェイや!」
「……これは驚きましたね。
まさか綾瀬さんの『身体操作性』がここまで凄いとは。
アバターを自由自在に操作できるために、動作と動作のつなぎ目を極限まで短くできる。
対戦相手が回避した方向へ、咄嗟にナイフの軌道を変えられる。
──ジャンケンに例えるなら、綾瀬さんは手を出した後に、すかさず『後出しできる権利』を持っているようなものです」
姿勢を正した野うさぎのキャロルは、顎に手を当て考えるポーズを取る。
鮮やかなピンク色のサイリウムは膝の上に置いていた。
真顔になったインコのピー姫も、綾瀬の顔写真を貼ったうちわを下げている。
黄色い声を上げることなく、3Dホログラムに映る綾瀬を黙って見つめていた。
遊津は斬られた鎖骨の下を手で押さえている。
苦痛で顔をしかめて、息を切らしはじめていた。
シアン色の血の滴が彼の足元にはいくつも落ちている。
明智の《迷える羊の子守歌》で眠らないように自傷した傷も塞がっておらず、肩や脇腹からも血が流れつづけていた。
綾瀬は左足に体重を乗せて、重心をアバターの左側に寄せた。
すかさず右足を斜め前に出して、逆方向に重心を素早く移動させた。
重心を振り子のように揺らして、電車の屋根の上で左右に切り返しつづける。
遊津へ急速に迫っていき、右手から左手へナイフを瞬時に持ち替える。
《小さな番犬》は必死に吠えた。
赤色のスマートフォンは激しく振動する。
「拡張能力『最小の回避術』。
──モデル:明智彩花」
遊津は目を見開き、スクエア型眼鏡を外した。
──ワップ。
鮮やかなピンク色の刃に斬られる直前、遊津は左足を後ろに引いた。
電車の振動でよろめいた人が無意識に反応する、何気ない足の動かし方によく似ていた。
右足のつま先の前にあった状態から、右足のかかとの後ろへ下げただけの動作。
下半身に連動した上半身も、親指1本分の長さしか動いていない。
しかし、綾瀬のナイフは遊津に当たらなかった。
真っ黒なパーカーの赤紐が切れているだけで、洋銀のジップのスライダーにすら届いていない。
遊津は綾瀬のナイフの間合いから数ミリだけ離れている。
綾瀬がナイフを振る途中まで間合いにいたにもかかわらず、ナイフを振り終えたときに間合いから外れていた。
「はぇ~面白いことを考えよったな、遊津の旦那。
綾瀬の兄貴が攻撃を途中で変えるなら、回避をギリギリまで遅くして、後出しさせへんようにする。
『最小の回避術』は動作がほとんどないから、相手にどう避けるのかを読ませへんのもポイント高いで」
「……すみません、モグ吉先輩、教えてください。
『最小の回避術』は体力の消耗を減らすために、僕が担当したプレイヤーの一部に教えるテクニックです。
全身を細かく操作する技術が必要なので、要領のいいプレイヤーでも習得には半日かかります。
……今、遊津君が使えるのは、モグ吉先輩が教えたからですか?」
「いいや、わいは何も教えとらん。
遊津の旦那があんなふうに避けられるのは、明智のお嬢ちゃんとの戦いで学んだんやろう。
『対戦相手の技を見様見真似でコピー』。
──本人は目の力の応用技と思っとるみたいやけど、ほんまに目の力でこんなことができるんか?」
ハムスターのモグ吉はあぐらをかいた。
虎柄のメガホンを頭に乗せて、考え込むように腕を組んだ。
うーんと唸りながら、首をかしげている。
椅子から転んでしまいそうなくらい、小さな体は横に大きく傾いていた。
目の力のタイムリミットまで、残り50秒。
遊津は姿勢を低くして、攻撃が当たる面積を狭めた。
綾瀬がナイフを振り下ろしたとき、左足で弧を描くように動かした。
端末上部のイヤホンジャックを綾瀬に向けて、親指でホームボタンを押す。
鮮やかなピンク色の光の刃を避けると同時に、ライトグリーン色の光の弾が綾瀬の喉に命中した。
目の力のタイムリミットまで、残り48秒。
咳き込んだ綾瀬に照準を定めて、遊津は親指でホームボタンを連打した。
4発の光の弾が綾瀬の両耳に突き刺さる。
綾瀬の中指の爪先から右手の甲にかけて、7発の光の弾が連続で当たっていく。
目の力のタイムリミットまで、残り45秒。
綾瀬は出血した耳に触れて、前髪を血で染まった手で梳かした。
オレンジベージュ色の髪が、シアン色の前髪とのツートンカラーになる。
鮮やかなピンク色の光の刃を回して、真正面から斬りかかってくる。
目の力のタイムリミットまで、残り42秒。
遊津は親指でホームボタンを1秒間長押しした。
赤色のスマートフォンのイヤホンジャックが輝きはじめた。
綾瀬の対プレイヤー用ナイフが当たる1ミリ手前で、左側へ滑るように間合いをわずかに取る。
光り輝いたイヤホンジャックを目線の高さに揃えて、綾瀬へ対プレイヤー用レーザーを放った。
──ワップ。
遊津のレーザー光線が当たる直前、綾瀬は右足のつま先の向きを変えた。
カメラマンの指示に従って、ファッションモデルがポーズを微調整したような所作。
つま先の向きに連動して、上半身がわずかにひねられる。
ほんのわずかな移動で、対プレイヤー用レーザーの射線から数ミリだけ外れる。
──『Fake Earth』対戦テクニック:「最小の回避術」。
──遊津が明智との戦いから学習したように、綾瀬は優れた「身体操作性」によって、遊津の回避モーションを完璧に模倣している。
至近距離のカウンターで放たれたレーザー光線を、綾瀬は紙一重で回避した。
目の力のタイムリミットまで、残り40秒。
5名のチュートリアルは、2人のプレイヤーの戦いを無言で観戦していた。
「応援」どころか「解説」の言葉も挟まない。
隣にいる者と目配せすることもなかった。
3Dホログラムを食い入るように見つめている。
目の力のタイムリミットまで、残り37秒。
電車の屋根にいる2人のプレイヤーは接近戦を仕掛けた。
遊津は光の弾を撃つ。綾瀬はナイフを振った。
お互いの攻撃を当たる寸前で避けて、すかさず対戦相手へ反撃する。
「最小の回避術」で反撃をギリギリで躱して、後の先を取ろうと切り返す。
攻守のターンのめまぐるしい変化。
合間にフェイントを交えても、どちらの技はかすりもしない。
電車が減速していき、代々木駅のホームに停車する。
戦況は膠着状態と化して、時間だけが過ぎていく。
目の力のタイムリミットまで、残り30秒。
目の力のタイムリミットまで、残り20秒。
目の力のタイムリミットまで、残り13秒。
目の力のタイムリミットまで、残り9秒。
残り8秒、残り7秒、残り6秒──。
残り5秒、残り4秒、残り3秒──。
目の力のタイムリミットまで、残り1秒。
代々木駅のホームから電車が発車した、その瞬間──!
後頭部に激痛が走り、遊津は目を強く閉じた。
外したスクエア型眼鏡を顔にかけて、素早く後ろへ跳んだ。
綾瀬から距離を取りながら、空中でホームボタンを長押しする。
瞬時に間合いを詰められないように、目の前の対戦相手へ対プレイヤー用レーザーを放つ。
だが、綾瀬は遊津に向かって走った。
軽く上半身を傾けて、迫りくるレーザー光線を止まらずに避ける。
「最小の回避術」は動作が少ない分、次の行動に移る時間が短い。
後ろに跳んだ遊津が着地した瞬間、綾瀬はナイフが当たる間合いまで接近した。
──遊津の「目の力」の使用制限時間は60秒。
──綾瀬の「身体操作性」は体力が尽きないかぎり持続する。
綾瀬は肩の力を抜いた。
対プレイヤー用ナイフを振り抜いた。
鮮やかなピンク色の光が駆け抜ける。
遊津が斜め後ろへ下がる──が、綾瀬が斬る動作を終える方が早い。
《小さな番犬》が叫ぶように吠える中、シアン色の血が夜空へ噴き上がった。
緑亀のジョンは俯いた。
カブトムシの武士丸は背もたれに寄りかかる。
インコのピー姫は翼をくちばしに当てた。
野うさぎのキャロルは、遊津の担当チュートリアルに目を向ける。
ハムスターのモグ吉は表情を変えなかった。
睨んでいるような、真剣な顔をしている。
小さな腕を組み、あぐらをかいたまま微動だにしない。
瞳には斬られた遊津の姿が映っている。
電車の屋根にいる遊津は顔を下げて、自身のアバターを見下ろした。
真っ黒なパーカーは肩から腰にかけて切り裂かれている。
アンダーシャツも破けて、斬られた皮膚の下の肉が露出していた。
線路を走る電車の振動で、足がふらつき始める。
電車の屋根の左端へ、アバターがよろめいていく。
《小さな番犬》は激しく吠えていた。
赤色のスマートフォンが強く振動した。
「DANGER」のポップアップがスマホ画面に溢れ返っている。
──山手線バトルロイヤル、ルール2。
──「線路に落ちた」場合、イベント失格となる。
口の端からシアン色の血が漏れたとき、遊津は電車の屋根から足を踏み外した。