42話 追加ルール
これは明智彩花がゲームに参加する前の物語である。
【ゲーム世界 :『Fake Earth』】
プレイヤー名=明智彩花(Akechi Saika)
【現実世界】
戸籍名=小宮山茜(Komiyama Akane)
思春期に始まるらしい「反抗期」というものが私にはなかった。
第二次性徴が始まっても、やり場のない怒りみたいなものは湧いてこない。
というより、小学校4年生になった辺りから、他人にも自分にも腹を立てることがなくなった。
今、私は高校1年生だったけれど、きっとこの先も反抗期はないような気がした。
みんなは親や先生の愚痴をこぼすけど、心の奥底で大人に期待しすぎている。
大人は子どもが年齢を20年以上重ねただけで、どんな悩みも解決してくれる神様ではない。
赤ん坊の頃は泣き叫べば、オムツを替えてもらって済む話だったが、少し成長した今はスマホで検索しても解決できない問題に直面している。
彼らに八つ当たりしたって、好きな人は自分に振り向いてくれない。
理想の身長まで背は伸びてくれないし、将来の漠然とした不安が消えるわけでもない。
他人は思いどおりにならないし、自分も思い描いた自分自身にはなれない。
偉大なるスヌーピーが言っているとおり、人生は配られたカードで戦うしかない。
「最善」を尽くすだけ尽くしてみる。
「最善」を尽くしてダメならば、どうしようもないことだ。
高校1年生の夏、文化祭の実行委員に推薦されたときも、私はせっかくの機会だしやってみようと思った。
お祭りごとは好きだったし、実行委員会のTシャツは可愛くて着てみたかった。
普段交流のない他クラスの人や上級生と仲良くなれるかもしれない。
どうせやるなら、とことんやってみよう。
文化祭実行委員会の初顔合わせで、私は実行委員長に立候補した。
進んで実行委員になった人は少なかったようなので、高校1年生ながら実行委員長に決まった。
いつか高校生活を振り返ったとき、この選択をしてよかったと思えるように、今年の文化祭は絶対に成功させようと決意した。
私の学校の校風は自主自立。
どんな文化祭をやるのかは、生徒が自分たちで決めることになっている。
伝統的な文化祭を踏襲してもいいし、まったく新しい文化祭に挑戦してもよい。
他校と合同で開催する年もあれば、eスポーツ大会を行う年もあった。
私は大学ノートを広げて、どうすればみんなが楽しめるのかを考えた。
来場者数をどうやって増やせばいいのか、例年以上の盛り上がりを見せるには何の企画をすればいいのか。
とりあえず予算は足らなそうなので、「新商品のPRは展示会より文化祭が効果的であること」をプレゼンして、企業に協賛してもらえるようにお願いした。
PTAや同窓会事務局に連絡を取って、卒業生で起業した人や芸能関係に携わっている人に会いに行った。
──模擬店で美味しい料理が提供できるように、協賛企業のキッチンメーカーと熱伝導性の優れたフライパンを開発する。
──卒業生で活躍しているボカロプロデューサーに文化祭のテーマソングを作ってもらう。
一生懸命頑張っているうちに、高校生らしからぬ取り組みがSNSで話題になった。
多くの人たちから好意的なコメントが寄せられると、生徒たちは文化祭の準備に一段とやる気を出して、先生たちは学生に戻った頃のように手伝いを熱心にやってくれるようになった。
そして、文化祭は開催されて、大きなトラブルなく無事に終わった。
数ヶ月間の準備でさえ時間が経つのは早く感じたから、その2日間はあっという間の出来事だった。
今年の文化祭が「成功」と呼べるものだったのかはわからない。
文化祭当日は準備期間よりも忙しくて、私はみんなの様子をじっくり見ている余裕はなかった。
ただ、受験勉強で行事をサボりがちな磯部君も、クラスのみんなと模擬店の店番を楽しそうにやっていた。
廊下を歩いていると、色んな生徒があちこちで写真を撮っていた。
後夜祭の閉会式が終わった後も、生徒も先生もグラウンドに残って、キャンプファイヤーの炎が消えていくのを名残惜しそうに見つめていた。
そういう心に留まるものがたくさん見られて、私は文化実行委員長をやってよかったと思えた。
学校から自宅へ帰ったときに、知らない靴が玄関にあったのは文化祭から3日後のことだった。
毎日丁寧に手入れしているのか、新品よりも革が光って見える靴。
つま先を擦った傷もなければ、かかとを潰して履いた跡もない。
リビングへ行くと、在宅勤務の両親と知らない人が和やかに話している。
知らない人は20代前半くらいの外見で、緩いパーマをかけたマッシュヘアが似合う男だった。
日本人離れした、白人の端正な顔立ち。
紺色のスーツの袖口のボタンは、「地球のロゴ」がデザインされている。
「こんにちは、小宮山茜さん。
この前の文化祭は純粋に楽しませていただきました。
とくにあなたの1年B組のお化け屋敷は、VRゴーグルの使い方が見事で、客の心拍数に応じて恐怖度を調整するシステムは素晴らしかったです」
男は微笑みを浮かべて、私に名刺を渡す。
「アーカイブ社ゲーム事業部スカウト係 オッド・ストーン」と名刺には書かれていた。
私は名刺から顔を上げて、オッドの顔をまじまじと見つめる。
どうして世界一有名な海外企業が日本の小市民の私の家に遊びにきているのかがわからなかった。
「さて、今日ここに来たのは、あなたを弊社のインターンに勧誘するためです。
海外からも注目された文化祭を開催した手腕を、ぜひ僕たちの元で発揮してくれませんか?
あなたがただの高校生でいることは、21世紀の人類にとって大きな損失です」
オッドはタブレット端末を操作する。
タブレット端末の画面には、棒グラフの表が表示された。
今年の来場者数と模擬店の売り上げの総計がまとめられている。
例年の数値より今年は桁が1つ大きかった。
両親が乗り気になっている中、私はアーカイブ社からの誘いを受けるかどうかを迷った。
まず、文化祭の成功はみんなが頑張ったおかげであり、私個人の努力によるものではないと思った。
テーブルに置かれた案内資料を読んでみると、アーカイブ社のインターンは約1年間の期間を予定している。
貴重な高校生活を、企業の手伝いなんかに捧げるのはもったいない気がした。
学校のみんなと会えないのは普通に寂しいし、今年の冬に予定しているスキー合宿は行きたい。
ただ、今まで海外に行ったことがなかったので、外国の企業で働いてみるのは興味があった。
これを機に英語を喋れるようになりたい気持ちもあった。
世界一の企業がどんな職場なのか、実際にこの目で見てみたかった。
思いも寄らない誘いにワクワクしている自分もいた。
「文化祭実行委員長より面白そうな仕事ならやります」
私は迷いに迷って、正直な気持ちを言葉にした。
「それでは『現実世界によく似た異世界』でお仕事するのはどうでしょう?
弊社が送りましたメールをご覧いただけますでしょうか?」
まるで最初から私の返答を知っていたかのように、オッドは即座に返事する。
私がスマートフォンを確認すると、「アーカイブ社ゲーム事業部」から30分前にメールが届いていた。
──ジィドドドドドドド!!
目の前の男子高校生アバターが眼鏡を放り投げて、親指でホームボタンを連打した。
光り輝いたイヤホンジャックから、ライトグリーン色の光の弾が連射された。
まだ放り投げたスクエア型眼鏡が通路へ落下する途中で、20発以上の光弾が私の方へ放たれている。
連打しながらスマートフォンを持った手を動かすことで、ライトグリーン色の光の弾は広範囲に散らされていた。
活動限界時間まで59秒。
私は半身に構えて、光の弾に当たる面積を狭めた。
アバターの姿勢を低くして、当たる面積をさらに絞る。
上体を左右に揺らして、紙一重で光の弾を何とかかわす。
緑亀のジョンさん直伝のテクニック、「最小の回避術」。
素早く連射されても、光の弾は小さいのだから、避けるためにアバターを大きく動かす必要はなかった。
動作が小さければ、次の動作に移る時間も短い。
何より重度のぜん息持ちの私にとって、激しく動かないことはアバターの負担を楽にしてくれた。
だが、私は連続で回避しつづけても、レキト君に反撃する余裕がなかった。
親指でホームボタンを押そうとした瞬間に、次の光の弾が避けた先に迫ってきた。
素早く見切ると、新たな光の弾が間髪入れずに襲いかかってくる。
自らの意思で最小限の動作で避けることを選択していたはずなのに、だんだん最小限の動作で避けることしかできなくなっている。
きっと私が押されているのは、レキト君が眼鏡を外したことに理由がある。
特異体質かギアによる身体強化かわからないけど、彼は私の動きを明らかに先読みしていた。
私が避ける前に撃っているから、筋肉の動きを「目」で読み取っている可能性が高い。
最初から裸眼でいなかったあたり、目の力にタイムリミットがありそうだが、ぜん息持ちの私のアバターは長時間粘ることに向いていない。
活動限界時間まで30秒。
両手でスマートフォンを構えたレキト君は、親指でホームボタンを連打しつづけている。
ライトグリーン色の光の弾が、ガトリング砲のように連射された。
数多くの銃火器と違って、『Fake Earth』の対プレイヤー用レーザーに弾切れはない。
親指が上下に動くかぎり、光の弾がイヤホンジャックから放たれつづける。
私は呼吸が苦しくなってくのを感じた。
迫りくる光の弾を避けつづけることに精一杯で、ギアを起動するための息継ぎすらできなかった。
疲労が溜まるアバターは重たくなり、ライトグリーン色の光の弾が徐々にかすり始める。
強力な静電気が走ったかのような痛み!
活動限界時間まで残り少ないのに、何もできないまま追い込まれていく。
──明智さん、あなたは自分の長所を何だと思いますか?
ふと井の頭恩賜公園のベンチでチュートリアルを行ったときのことを思い出す。
沈みゆく夕日で芝生が赤く光っていたとき、緑亀のジョンさんから訊かれた質問だった。
小学生男子のグループは自転車に乗り、幼い女の子は両親と手をつないで帰っていく。
防災無線の屋外スピーカーから、『赤とんぼ』のチャイム放送が聞こえてきた。
『うーん、「箸の持ち方が綺麗なこと」ですかね。
個人的には「周囲の空気に流されないところ」って言いたいですけど、悪く言えば「マイペース」とも取れちゃいますし。
どんな価値観を持った人でも、「箸の持ち方が綺麗なこと」は絶対にマイナスにならないと思うんですよね。
まあ、箸の持ち方が綺麗なんて、『Fake Earth』をプレイする上であまり意味ないですけど』
『いいえ、とても興味深い回答ですよ。
『Fake Earth』の戦いに役立つヒントが十分ありました。
いま言ったことを日頃から意識して、プレイするといいかもしれません』
『えっ「箸の持ち方が綺麗なこと」をですか?
ジョンさん、本気で言ってます?
『Fake Earth』にちなんで、フェイク情報を教えるとかはナシですよー』
『僕が面白いと思ったのは、「箸の持ち方が綺麗なこと」という特徴ではありません。
『「箸の持ち方が綺麗なこと」は絶対にマイナスにならないと思う』という考え方についてですよ。
あなたがこう言ったのは、「長所と短所は基本的に表裏一体だ」と考えている証拠です。
多くの人が強みと捉えることを、あなたは弱みと置き換えることができる。
『Fake Earth』の戦いでピンチになったとき、逆転のチャンスをつかむことに役立つと思いませんか?』
活動限界時間まで15秒。
私は光の弾を回避することを止めた。
攻撃がかすり始めているなら、当たるのは時間の問題だと思ったからだ。
唇を固く結んで、目をぎゅっと閉じる。
戦闘中に目を閉じない方がいいことはわかっていたが、自分からでも攻撃を受けるのは怖い。
次の瞬間、ライトグリーン色の光の弾が脇腹に当たったのを感じた。
想像以上の痛み!
極太の注射の針を刺されたような感覚だ。
思わず目から涙があふれそうになる。
私は背中にスマートフォンを持った手を回した。
親指でスマホ画面に触れて、左方向へスワイプする。
戦闘中にスマホ画面を見ずに操作できるブラインドタッチ。
緑亀のジョンさんに教えてもらったおかげで、対戦相手から一瞬でも目を離せない状況でも攻撃に転じることができる。
私はホーム画面の右上を叩いた。
ホーム画面のアプリの配列はすべて覚えていた。
親指をどの角度で何センチ伸ばせば、どのアプリをタップできるのかも感覚で染みついている。
それぞれのアプリを起動した後、細かい機能がどこにあるのかも暗記していた。
──レキト君の長所は「目の良さ」。
──悪く言えば、「視覚の刺激を強く受けやすい」という弱点になる。
私はスマホカメラを構えて、レキト君に向かってフラッシュを焚いた。
──ビィィィドオン!
小気味のいいシャッター音が鳴ると同時に、レキト君の瞳に映った閃光が一気に広がった。
真っ白な結膜が血走るようにシアン色に染まる。
レキト君は目元を手で覆って、苦しそうな声をあげた。
端末上部のイヤホンジャックの向きが変わり、ライトグリーン色の光の弾は中吊り広告の方へ飛んでいった。
絶対に逃してはいけない反撃のチャンス!
私は両手でスマートフォンを構える。
親指でホームボタンを長押しして、対プレイヤー用レーザーを再起動した。
レキト君の額に狙いを定めて、緋色のレーザー光線を放つ。
対プレイヤー用レーザーは狙い通りに駆け抜けた。
今回はLINEの通知で手元が狂うようなことはなかった。
レキト君は目元を手で覆ったまま、その場に立ったまま動かずにいる。
《小さな番犬》の激しく吠える声が電車内に響いた。
「……強いプレイヤーになるほど、戦術への対応が早くなる。
──だから、俺は勝つために、目に頼らない戦い方を身につけました」
静かな声でつぶやいて、レキト君は斜め後ろへジャンプした。
対プレイヤー用レーザーが命中する寸前で、タイミング良く飛び退いた。
攻撃するときの殺気を感じ取ったのか、対プレイヤー用レーザーが空気を走る音で感知したらしい。
緋色のレーザー光線は当たらず、車両間の扉に風穴を開けた。
だが、私はレキト君が回避することを読んでいた。
頭のいい彼が自分の弱点に気づかないわけがないと思っていた。
視覚が優れているなら、ほかの感覚も優れていることを警戒していた。
簡単に倒せる相手でないことはとっくに理解していた。
──1発目が当たらないなら、すかさず2発目を撃てばいい。
──2発目も避けられるなら、3発目でとどめを刺せばいい。
私はアバターの向きを変えて、2発目の対プレイヤー用レーザーを撃った。
斜め後ろにジャンプしたレキト君へ、緋色のレーザー光線が一直線に放たれた。
空中で攻撃を避けようとすれば、アバターの体勢は確実に崩れる。
親指でホームボタンを長押しして、3発目のレーザー光線を撃つ準備を整える。
「拡張能力『空中姿勢の精密操作』。
──モデル:綾瀬良樹」
レキト君は目を微かに開けて、宙に浮いたアバターを後ろに倒した。
緋色のレーザー光線が通り過ぎた後、背中から落ちていく途中で通路をかかとで蹴り、転びそうになったアバターが素早く起き上がった。
斜め後ろにジャンプしたときから、親指でホームボタンを長押ししていたらしい。
赤色のスマートフォンのイヤホンジャックは光り輝いていた。
今までのプレイスタイルから想像できない、アクロバティックな回避モーション。
ほんの一瞬だけ別人が憑依したように見える。
私は3発目の対プレイヤー用レーザーを撃った。
両手でスマートフォンを構えて、レキト君も対プレイヤー用レーザーを放った。
緋色のレーザー光線とライトグリーン色のレーザー光線。
お互いのレーザー光線が駆け抜けて、真正面から激しくぶつかり合う。
──対プレイヤー用レーザーの威力は、ホームボタンを長押しした時間に比例する。
──今回の戦いの勝敗は、どこまで先の展開を見越していたのかで分かれた。
活動限界時間まで1秒。
レキト君は目を閉じる。
ライトグリーン色のレーザー光線が、緋色のレーザー光線を貫いた。
──ジオン!!
私は肋骨をレーザー光線で撃たれたとき、耳にピアスを開けた友達のことを思い出した。
「まあ痛いけど、思ってるより痛くないよ」と彼女は笑っていた。
撃たれたことを感じながら、その程度なら痛みならいいなと思った。
だけど、私は口に手を当てて、通路にうずくまることしかできなかった。
運動誘発性ぜん息で胸も苦しいけれど、そんなことが些細に思えるほど撃たれた痛みはひどかった。
汗で前髪がべたつくのは嫌なのに、顔じゅうからポツポツと噴き出ているのを感じる。
激痛のあまり、叫ぶどころかうめくこともできない。
それなのに、私は不思議な充実感を覚えた。
レキト君に完敗したにもかかわらず、悔しさがちっともなかった。
これからゲームオーバーになって、記憶を失うことにも恐怖がない。
いつか好きな人と付き合って、結婚して幸せな家庭を築きたい夢はあったけれど、10代半ばで人生を懸けた戦いで終わる人生も悪くなかった。
眼鏡をかけ直したレキト君が私に近づいてくる。
彼はゆっくりと屈むと、猫耳ケースの付いたスマートフォンを私の手から奪った。
後ろに何歩か下がって、こちらにスマホカメラを向ける。
意外なことに私を撃ち殺して、ゲームオーバーにする気はないようだ。
──ルール4:自分のスマホカメラで自分自身を撮影した場合、イベント失格になる。
──ルール5:イベント失格になったプレイヤーは「ゲーム開始時のスタート地点」へ転送される。
私はレキト君に撃たれたところへ手を当てる。
シアン色の血が皮膚に空いた穴から流れているが、致命傷には至っていないようだった。
死ぬ瞬間がどんな感じなのかを楽しみにしていたので、お預けされるのはちょっと残念だなと思う。
どうせ人間はいつか死ぬから、まだまだ生きていたほうがお得かと思い直す。
これからスタート地点に戻ったら、どんなふうにプレイしようか?
海外旅行しながらゲームマスター探しもアリだし、どこかのギルドに入ってサークルライフ的なことを楽しむのもアリだ。
一番面白いことは何だろうと考えていたとき、猫耳ケースの付いたスマートフォンからシャッター音が聞こえた。
◯
明智彩花が電車から消えた直後、眠っていたNPCの乗客の頭が何人か上がり始める。
彼らは目を覚ますと、次の停車駅を表示した電光掲示板を反射的に見上げた。
《迷える羊の子守歌》の催眠効果が切れてきたらしい。
両隣の車両の乗客たちも少しずつ起きだしていた。
減速していた山手線の電車は、大塚駅のホームに停車する。
池袋駅と違って、乗り降りする人の数は少ない。
俺は大塚駅に降りず、戦い終えた電車内に残ることにした。
池袋駅で襲いかかってきた3人組の外国人留学生らしきプレイヤーたちから離れたかった。
発車ベルが鳴って、音を立ててドアが閉まる。
閉じたドアに寄りかかって、明智彩花との戦いを振り返る。
ギリギリ勝つことができたが、ゲームオーバーになってもおかしくない対戦だった。
《迷える羊の子守歌》を逆手に取る作戦は、失敗する可能性の方が高かった。
綾瀬の空中の動きを見様見真似で再現できた理屈も説明できない。
地に足がつかないフワフワした感覚で、イベントに勝ち残った実感がなかった。
だが、俺は口元が自然と緩むのを感じた。
今回の戦いを経て、自分の強さのレベルが一気に上がったような気がした。
どうしてそう思うのかはわからない。
ただ、今までの戦いで得てきた経験値が、急に2倍にも3倍にも膨れ上がったような体感があった。
赤色のスマートフォンが振動する。
新着メッセージの通知がホーム画面に表示される。
『お疲れ様! 私の分まで頑張って♪』
明智彩花はメッセージを送った後、「ボクシングしているクマのスタンプ」を連投した。
自分を負かしたプレイヤーに応援のメッセージを送る心境は想像つかない。
俺は既読無視するかどうかを迷ったが、「了解」と一言だけメッセージを返した。
──ファルルルルルル!
電車が発車する合図の音が聞こえた瞬間、赤色のスマートフォンの画面が光り輝いた。
たったいま発車したばかりの電車内で鳴るはずのない音だった。
今までプレイしてきた中で体験したことの出来事。
俺は周囲を見回しながら、親指でホームボタンを長押しした。
挙動の怪しいアバターは見当たらない。
《小さな番犬》が吠えていないことに気づき、俺はスマホ画面に目を向ける。
どうやら新手のプレイヤーの攻撃ではないらしい。
運営からのお知らせを示す、「地球のロゴ」がスマホ画面に表示されていた。
『山手線バトルロイヤルにご参加のプレイヤーのみなさま、ただいまをもちまして、生存プレイヤー数が残り5名となりました』
『よって、イベントを円滑に進行するために、新たなルールを追加します』
『追加ルールは「生存プレイヤーの位置情報の公開」。
イベントに参加しているプレイヤーの現在位置を、みなさまのロック画面に表示しました』
『優勝賞品のギアの獲得を目指して、みなさまが「最善」を尽くすことを願っています』
音声プログラムがアナウンスし終えると、光り輝いていたブルーライトは消えた。
ホーム画面がロック画面に自動で切り替わる。
山手線の路線図がポップアップとして立ち上がり、俺を含めた5名のプレイヤーの現在位置が表示された。
俺はスクエア型眼鏡をかけ直して、生き残っている参加プレイヤーたちの現在位置を確認する。
追加ルールを有効的に利用する方法を考えようとしたが、その必要性はなさそうだった。
目の前のスマホ画面から読み取れる事実は、偶然に起きたことなのか、必然に仕組まれたことなのかはわからない。
確実に1つ言えることは、悠長に電車で休んでいる時間はないらしい。
残り4名のライバルとなるプレイヤーたちは、「新宿駅の13・14番線ホーム」に集まっていた。
【山手線バトルロイヤル 生存プレイヤー5名】
●渋谷駅代表
プレイヤー名「遊津暦斗」
称号:超新星ガンナー
現在位置:大塚駅(乗車中:1・2番線ホーム)
●東京駅代表
プレイヤー名「佐藤ハル」
称号:期待の新人プレイヤー
現在位置:新宿駅(下車中:13・14番線ホーム)
●目黒駅代表
プレイヤー名「藤原紗耶香」
称号:非合法令嬢
現在位置:新宿駅(下車中:13・14番線ホーム)
●目白駅代表
プレイヤー名「松風牙」
称号:殺戮ピアニスト
現在位置:新宿駅(下車中:13・14番線ホーム)
●高輪ゲートウェイ駅代表
プレイヤー名「綾瀬良樹」
称号:Mrカメレオン
現在位置:新宿駅(下車中:13・14番線ホーム)