35話 悪夢、ふたたび
物語は「遊津暦斗」から「綾瀬良樹」へ
【ゲーム世界 :『Fake Earth』】
プレイヤー名=遊津暦斗(Asodu Rekito)
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【ゲーム世界 :『Fake Earth』】
プレイヤー名=綾瀬良樹(Ayase Ryojyu)
▼山手線バトルロイヤル、ルール7
本イベントは『Fake Earth』の全ルールを適用する。
今までの人生で一番ヤバかったのは、高校1年生の冬、2年生への進級がかかった「再再再追試」のときだった。
生徒思いの担任の先生が校長に直談判して、特例でラストチャンスをくれたのに、どうしてもやる気が出なかったので、オレは全教科まったく勉強していなかった。
さすがに試験前日に徹夜で勉強するつもりだったが、当時付き合っていた彼女が泣きながら電話をかけてきたため、慰めていたら夜が明けてしまった。
「再再再追試」の合否は、鉛筆ころがしに賭けるしかなかった。
だが、山手線バトルロイヤルは、そのヤバさを圧倒的に上回っている。
現実世界では些細なことで「マジ死ぬ」と言ってきたが、このイベントでは「マジ死ぬ」は本当に正しい意味での「マジ死ぬ」だ。
「……やべえ。やべえよ。
こんなの『ヤバすぎ線バトルロイヤル』じゃん!」
線路の先にあるホームはとっくに見えているのに、電車は先頭車両の上で体育座りをしたオレの気持ちを弄ぶかのように減速しつづけていた。
落ち着くために目を閉じれば、走馬燈がまぶたの裏でリピート再生される。
電車の上で味わったホラー体験がありありと思い出される。
──数百メートル先から狙撃して、反対回りの電車から飛び乗ってきた遊津暦斗!
──最後尾の車両の屋根を突き破った、薔薇色の馬鹿でかいレーザー砲!
初心者限定のイベントと聞いて参加したのに、ほかのプレイヤーたちの戦いが想像以上に激しすぎる。
どいつもこいつも戦い慣れすぎていて、「あれ? 対プレイヤー用レーザーが狙ったところに当たらない?」みたいな初々しさがない。
もしかしてオレ以外の全員、どっかの国の軍隊出身?
ていうか、当たり前のように電車の屋根をぶっ壊しているけど、後でJRから損害賠償とか請求されないのか?
『池袋、池袋。お出口は左側です』
到着のアナウンスが車両内で流れて、やっと電車は池袋駅のホームに入っていく。
オレはシボ革のクラッチバッグを抱え持ち、減速している電車の屋根からホームへ飛び降りた。
池袋駅にプレイヤーがいるかもしれないが、とにかく電車の中のプレイヤーから逃げないとやられる。
「渋谷駅代表の遊津暦斗」と「薔薇色のレーザー砲を撃ったプレイヤー」。
戦いはどっちが勝ったのかは知らないが、どっちが勝ったとしても、どっちみちオレはヤバい。
「うおおおおおおおおおお!」
オレは腹の底から声を出して、大勢の乗客がいるホームを全速力でダッシュした。
傍から見たら、完全に頭がおかしい人でしかないだろうが、なりふり構っている余裕はなかった。
真にイケてる人間は、己のプライドに縛られない。
ゲームを始めてから90日間、筋トレで鍛え抜いたアバターの足を信じて、前方にいる乗客たちがギョッとした顔で開けた道を突っ走った。
そして、オレは2Fのメトロポリタン口の改札前に辿り着いた。
ここを通ってルミネに行けば、都会通っぽく見せることのできる出口だ。
B1Fの改札口より人の出入りが少なく、『BECK'S COFFEE SHOP』が改札内の近くにある。
デートの待ち合わせで何度も利用させてもらった、オレにとっての穴場スポットだ。
後ろをさっと振り返れば、何人かのアバターの影が階段に近づいてきているのが見える。
影の主がNPCなのかプレイヤーなのか、もちろんオレにはわからない。
たとえその影がベビーカーで押された赤ん坊のものであったとしても、今のオレにとっては普通に脅威になる。
「──Make up! 《私は何者にもなれる》!」
オレはスマートフォンをつかみ、自分を撮った写真と同じ色に変えるギアを起動する。
NPCとプレイヤーの区別はオレにはできない。
というわけで、とにかく誰からも見つからないように隠れてしまうことを決めた。
『BECK'S COFFEE SHOP』の入口の自動ドアをスマホカメラで撮り、続けてVサインしたオレ自身を全身が写るように自撮りする。
2枚の写真がスマホ画面の中で重なり、オレのアバターと身に着けた物が自動ドアと同じ透き通った色に変化する。
こうして「なんちゃって透明人間」になったオレは、『BECK'S COFFEE SHOP』の前に立った。
入口のスイッチを押して、自動ドアが開いたと同時にアバターを中へ滑り込ませる。
改札内のカフェの店内には、バイトの女性店員とOLの客の2人のみ。
どちらも開いた自動ドアに目を向けたが、すぐに壁掛け時計やコーヒーカップに視線を戻した。
たぶん自動ドアが誤作動を起こしたと勘違いしたのだろう。
「鉄仮面」と呼ばれた美人教師を笑い死にさせかけた、オレの変顔を披露していても、彼女たちの表情筋は1ミリも動かなかったのだから。
オレはカウンター席の下に隠れて、ローマ数字の壁掛け時計を見上げる。
時刻は20時48分、あと10分ちょっとで店じまい。
閉店後のレジの締め作業が終われば、バイトの女性店員も帰るだろう。
防犯のために、透明人間が店に残っていないかなんて、どれだけ心配性の人でも確認するまい。
店内の電気を消して、鍵をかけてくれれば、オレ専用のシェルターが完成する。
数万人は軽く超えるアバターがいる山手線内で、誰も立ち入ることのない唯一無二の聖域だ。
小腹が空いたら、冷蔵庫から好きなものを食べ放題。
電車の屋根の上にいたときと違って、好きなときにトイレに行くことも可能だ。
──終電までカフェでくつろいで、ほかの参加プレイヤーとの戦いをやり過ごす。
──こんな頭が良くてオシャレな作戦があるだろうか?
オレは伸びをして、カフェが無人になった後の暇つぶしはどうしようかと考える。
Netfliksで『全裸監督』を観るか、それとも可愛い女の子との出会いをマッチングアプリで求めるか。
せっかくの機会だし、eスポーツにもなったスマホゲームの『ブロスタ』にも挑戦してみたい。
この世界の同世代のトレンドを調べるために、インスタグラムを眺めるのも悪くなかった。
──ビウィ、ビウィ、ビウィン!! ビウィ、ビウィ、ビウィン!!
大音量の警報音が改札内のカフェで鳴り響く。
閉店前の客の少ないカフェの静けさを打ち破る、人類史上で最低最悪の不協和音だった。
尻ポケットにしまったスマートフォンも、同時にブーブーと震えはじめる。
オレは目を閉じて、指を耳の穴に突っ込んだ。
山手線バトルロイヤルで疲れたせいで、耳の調子がおかしくなったようだった。
聞こえないはずの音が聞こえる。
おそらく空耳に違いないが、なぜか騒音並みにやかましい。
『Fake Earth』は色んなものを完璧に再現したゲームらしいから、空耳のクォリティーも高いのだろう。
まるで「オレのスマートフォンから警報音が鳴っている」ような緊迫感だが、そんなタイミングが悪いことが起こるわけがない。
絶対に、大丈夫だ。
アーカイブ社を信じろ。
「運営さん大好き!」と念じていれば、きっとプレイヤーの気持ちに応えてくれるはずだ。
オレは笑みを浮かべて、右手を尻ポケットに回す。
震えているスマートフォンを手に取り、左目をうっすらと開けた。
「池袋駅周辺の地図」がロック画面に映しだされている。
全プレイヤーの現在位置がコインの記号で示されていた。
改札内のカフェに隠れているオレの位置情報も地図に表示されていた。
「このクソゲーがあああああああ!」
オレはありったけの声で叫び、『BECK'S COFFEE SHOP』を飛び出した。
音量ボタンを連打したが、うるさい警報音は1%も小さくならなかった。
イヤホンをプラグにつないでも、全然変わらない。
オレはスマートフォンをぶん投げたい気持ちを抑えて、《私は何者にもなれる》を終了させる。
ロック画面の地図によれば、池袋駅にいるプレイヤーはオレを含めて8人。
奇跡的な確率で揃っているのかと思いきや、地図を広く見たらそういうわけではなかった。
山手線内のすべての駅に、プレイヤーが2人以上いる。
運行中の電車は50台くらいあるのに、どの電車にもプレイヤーが最低1人は乗っている。
合計100人を超えるプレイヤーが、山手線内に集まっていた。
「おいおい、さすがに集まりすぎじゃね?
これってもしかして警報音が鳴る前から集まってたやつ!?」
オレは震えているスマートフォンの画面を見つめる。
山手線全体を映した地図から、ドン引きのスピードで次々とコインの記号が消えていった。
どうも参加プレイヤーたちがイベントからどんどん棄権しているっぽい。
地図から消えたコインの記号の場所には、どこもかしこも別のコインが2枚以上表示されていた。
池袋駅も中央改札口あたりでは、遊津暦斗のコインの近くに3枚のコインがある。
3・4番線のホームでは、1枚のコインが2枚のコインに追われていた。
「うわー怖っ。
イベント中のプレイヤーを狙った奴らがいんのかよ。
……あ、やばっ!
逃げてるプレイヤー、こっちに来てるじゃん!」
オレはスマホ画面を見ながら、2Fの跨線橋の通路を走る。
逃走中のプレイヤーはホームから階段を上っているところだった。
《私は何者にもなれる》で姿を隠しても、警報音やロック画面の地図から秒で見つかる。
ゲームオーバーにならないためには、ひたすら逃げつづけるしかない。
シボ革のクラッチバッグを抱えて、全速力でダッシュする。
7・8番線のホームの階段に辿り着いたとき、3・4番線のホームから逃げてきたプレイヤーのつま先が見えた。
急いで階段を駆け下りてもよかったが、オレは数段だけ下りて壁に背中をくっつける。
追いかけている2人組がどんな戦い方をするのか、次に狙われたときのことを考えて、陰から覗いておきたかった。
2Fに現れたプレイヤーは、塾帰りの小学生の男の子っぽいアバターだった。
防寒に気をつけた服装に、日能研のNバッグを背負って、シアン色の血を流した右足を引きずっていた。
苦しそうに青白い顔をしかめて、人差し指でスマホ画面を叩いている。
何をしたいのかはわからないが、血でスマホ画面が汚れているせいで、タッチパネルが反応しないようだった。
次の瞬間、えんじ色のレーザー光線が、小学生のプレイヤーの腕を貫いた。
小学生のプレイヤーは目に涙を浮かべて、握っていた手からスマートフォンを落とす。
商社マン風の2人組がネクタイを緩めて、小学生のプレイヤーのほうへ歩いていた。
どちらも親指でホームボタンを長押ししており、いつでも対プレイヤー用レーザーを撃てる準備をしている。
NPCの乗客たちは小学生のプレイヤーを一目見るが、何事もなかったかのように通り過ぎた。
せいぜい少し離れたからスマホカメラで盗撮している人がいるくらいだった。
小学生のプレイヤーは息を切らしながら、落ちたスマートフォンへ手を伸ばす。
親指がスマホケースに引っかかったとき、淡青色のレーザー光線が小さな手の甲を貫いた。
ひびの入ったスマホ画面の割れ目に、シアン色の血がポタポタと垂れていく。
商社マン風の2人組がハイタッチを交わした。
野良犬のいじめを楽しんでいる人みたいな目をしていた。
小学生のプレイヤーは痛そうに叫んで、涙を流しながらホームにうずくまる。
消え入りそうな声で「助けて」と口が動いたような気がした。
──ジオン!
オレは片目を閉じて、対プレイヤー用レーザーを撃った。
気づいたら指が勝手に動いていた。
いつの間にか西部劇映画で観た、射撃の体勢にもなっている。
何なら照準もばっちり定めていた。
鮮やかなピンク色のレーザー光線は、左側にいた商社マン風のプレイヤーの手を撃ち抜いた。
このゲームに参加してから初めて使ったギアだったが、「あれ? 対プレイヤー用レーザーが狙ったところに当たらない?」みたいな初々しいことにはならなかった。
内心ほっとしながら、すかさず2Fの通路を走る。
短剣のアイコンを叩き、対プレイヤー用ナイフを起動する。
商社マン風の2人組は眉をひそめて、対プレイヤー用レーザーを同時に撃った。
真正面からえんじ色と淡青色のレーザー光線が一気に迫る。
オレは前へ走る足を止めず、鮮やかなピンク色の光の刃で2発のレーザー光線を弾いた。
左足で大きく踏み込んで、商社マン風の2人組のパーソナルスペースに入る。
そのまま踏み込んだ足で回転するように斬りかかり、彼らを小学生のプレイヤーから遠ざけた。
「……どなた……ですか?
……なんで……どうして僕を……」
「いや、話してる場合じゃなくね?
冷静にまだヤバいだろ。
お礼とかマジ期待してないから、さっさと病院にでも行ってくれ」
オレは手を差し出して、小学生のプレイヤーを立ち上がらせる。
助けてほしそうにしていたから、とりあえず助けてみただけなので、理由を訊かれても答えようがなかった。
小学生のプレイヤーは何か言いたげな顔をしていたが、黙って頭を下げてオレに背を向ける。
必死に右足を引きずりながら、メトロポリタン口のほうへ向かっていった。
「……さてと、お気に入りの服を汚したくないから、あんまり戦いたくないんだけど。
やっぱ見逃してはくれない感じっすか?」
オレは両手を上げて、商社マン風の2人組に訊くだけ訊いてみる。
ただでさえ山手線バトルロイヤルは戦わずに優勝したいのに、イベントと関係なさそうなプレイヤーたちと戦うなんて、無意味というか虚無でしかなかった。
現実世界ではTikTokで金を稼げるので、賞金1億円と引き換えのコインも興味があんまりない。
対プレイヤー用レーザーを1発当てちゃったが、今回だけは特別になかったことにしてほしかった。
しかし、商社マン風の2人組は対プレイヤー用ナイフを構えた。
アバターの体勢を低くして、じりじりと間合いを測っている。
左側のツーブロックの男は撃たれた手から血を流して、憎悪に満ちた目でオレを睨みつけていた。
オレは首に手を当てて、頸椎の関節を鳴らす。
ワンチャン見逃してもらえることを諦めて、ノリと勢いでなんとかする覚悟を決めた。
シボ革のクラッチバッグを持った指でリズムを取る。
指先に神経を集中させていくうちに、クラッチバッグを叩く音しか耳に入らなくなる。
大音量の警報音も聞こえない。
駅の構内アナウンスも、スマートフォンが振動する音も、ほかの音は何もかも聞こえない。
そして、お馴染みのクラブミュージックが脳内で流れた。
静かなイントロの曲調に合わせて、全身の細胞がじわじわと活性化していくのを感じた。
対プレイヤー用ナイフを握る手が軽くなる。
曲がイントロからバースに移り変わって、履いているブーツから重さが消えた。
バースからビルドアップになって、思わずニヤリと笑みが漏れる。
最高潮のサビに突入した瞬間、オレは対プレイヤー用ナイフを思いきり振り抜いた。