29話 ラストショット
──連携。パートナー『遊津優斗』、学習完了。
レキトは目を見開き、スクエア型眼鏡を投げ捨てる。
5人がけのソファの陰から飛び出して、全速力で淀川に向かって走った。
目の前の視界が鮮明に見える中、親指でホームボタンを長押しする。
端末上部のイヤホンジャックが、ライトグリーン色に光り輝きはじめる。
淀川は優斗から距離を取りつつ、対プレイヤー用レーザーを放っていた。
傷だらけの姿で立ち向かってくる優斗を見つめていて、走ってくるレキトの方を見ていない。
けれども、拳銃を持つ手の親指の腱がわずかに動くのが見えた。
ありとあらゆるものが顕微鏡で拡大したように見える世界で、銃口から漂う硝煙の微粒子の流れる方向が変わるのがはっきりと見える。
淀川は後ろを振り返らず、素早く拳銃をレキトに向けた。真円の銃口がピカッと光る。
薄く白い硝煙が噴き出した。
流線形の弾丸が時計回りに回って、勢いよく銃口から飛び出していく。
だが、淀川が撃つ瞬間を見切ったレキトは、左斜めに踏み込んで銃弾を避けた。
凄まじい風圧が頬にぶつかり、空気を裂くような音が鼓膜に響いた。
外れた銃弾はソファのアームに当たる。《小さな番犬》が一瞬だけ鳴き止む。
レキトは視線と射線を揃えるように、片手でスマートフォンを構えた。
淀川が一瞬驚いた顔でレキトを見ると同時に、ライトグリーン色の照準点を淀川の目にピタッと合わせる。
振り向いた淀川は斜め後ろに飛び退いて、レキトの対プレイヤー用レーザーの射線を避けた。
「──連携戦術A『射手の演技』」
親指をホームボタンから離さず、レキトは淀川に微笑みかける。
凛子とガンシューティングゲームを協力プレイしていたとき、「合体技って憧れるよね」という彼女の何気ない一言から誕生した『連携戦術』。
「せっかくだし本格的に使える技を考えよう」と頼助も意気込んで、凛子と熱心に何時間も議論して作り上げたコンビネーション技だった。
もちろん今日プレイヤーであることを知った優斗には何も教えていない。
どんな連携技なのかを説明せず、いきなりの実戦で合わせることは至難の業だろう。
だが、激しい兄弟喧嘩のように、レキトと優斗は全力で戦った。
お互いにどんな人生を歩んできたのは知らなくても、どんな戦い方をするのかは身を以って知っている。
そして、何より「NPCの家族を傷つけた淀川を倒したい」という思いは一致している。
レキトの考えが通じたかのように、優斗はスマートフォンをすでに構えていた。
血で汚れた親指でホームボタンを長押しして、対プレイヤー用レーザーを撃つ準備を整えていた。
眩く光り輝くイヤホンジャックは、淀川の1メートル後ろに向けられている。
淀川が飛び退いた先に、桜色の照準点が重なる。
青い瞳が揺れている優斗は親指をホームボタンから離した。
爆発する前の星が一際強い光を放つように、光っている優斗のイヤホンジャックの輝きが一段と強くなった。
桜色のレーザー光線が淀川の背中を貫く。
撃たれた淀川は顔を歪めて、口の端からシアン色の血を流した。
「……残り一発を惜しんでる余裕はないか」
淀川は口元の血を拭って、優斗のほうへ振り返る。
撃たれた背中から血が飛び散ったが、意に介さず拳銃を優斗に向けた。
苦しそうに呼吸している優斗は、ホームボタンをもう一度長押ししたまま動かない。
シアン色の血を流しすぎたせいなのか、淀川に向けたスマートフォンを持つ手は震えていて、桜色の照準点は手ブレで揺れ動いている。
「──連携戦術B『武器破壊』!」
淀川が引き金を引く瞬間、レキトは対プレイヤー用レーザーを放った。
ライトグリーン色のレーザー光線は駆け抜けて、拳銃の銃身を撃ち抜く。
細い銃身は根元から折れて、淀川の足元にカツンと落ちた。
淀川が目を丸くしたとき、優斗の放ったレーザー光線が淀川の肩を貫く。
レキトは左手にスマートフォンを持ち替えて、痛みを堪えている淀川の後ろへ回り込むように走った。
走りながら右手を横に広げて、優斗にアイコンタクトを送る。
優斗は腰の後ろに手を回して、歯の立ったサバイバルナイフをレキトに投げた。
レキトは投げられたナイフの軌道を見極めて、持ち手のハンドルをつかむ。
「本当に、厄介だな」
淀川は左腰に手を伸ばして、装着している警棒を持った。
先端を引っ張って警棒を長くして、勢いよく振り上げた。
レキトは前へ大きく飛び出して、歯の立ったサバイバルナイフを振る。
お互いの武器が衝突して、激しい金属音とともに火花が散った。
視線と視線がぶつかり、鍔迫り合いのように押し合う。
淀川は優斗が光ったイヤホンジャックを向けているのを肩越しに見て、押していた警棒をさっと引く。
「──連携戦術C『誘導する鎖』!」
だが、屈んだレキトは左足を前に出して、後ろに下がろうとした淀川の足を思いきり踏んだ。
踏みつけた足に体重をかけて、淀川が逃げられないように押さえつけた。
親指でホームボタンを叩いて、軽いジャブを入れるように、淀川の眉間に光の弾を浴びせる。
すかさず淀川がレキトに警棒を振った瞬間、レキトは踏みつけた左足を浮かせて、横へ逃げるように飛び退いた。
紙一重で攻撃を避けたと同時に、優斗は対プレイヤー用レーザーを撃つ。
桜色のレーザー光線は、警棒を空振りした淀川の耳に当たった。
「があっ!」
淀川は撃たれた耳を押さえて、レキトと優斗の両方から距離を取った。
押さえた手の隙間から、シアン色の血がポタポタと零れ落ちていた。
レキトと優斗はホームボタンを連打して、間髪入れずに光の弾を連射する。
連射した光の弾は全弾命中して、紺色の警察官の制服はボロボロになっていき、淀川のアバターに傷が少しずつ増えていく。
リミッターの眼鏡を外したときの目は、視界に映るすべてが鮮明に見えるようになる。
この目の力は『Fake Earth』の戦闘で大いに役立ち、対戦相手の目や関節の動きから、次の行動を先読みすることができた。
そして、今この瞬間、敵プレイヤーの淀川だけではなく、協力プレイしている優斗のことも見えている。
どんな攻撃を仕掛けたいのか、レキトにどう動いてほしいのか。
優斗の視線や指の動きから読み取ることができた。
──この目の力の真価は「協力プレイ」で発揮される。
レキトが優斗に目配せしたとき、優斗もレキトに目を向けた。
視線と視線がピタリと合う。
2人でホームボタンを同時に長押しする。
レキトと優斗のスマートフォンは共鳴したかのように、端末上部のイヤホンジャックが同時に輝きはじめる。
桜色の照準点とライトグリーン色の照準点が浮かび上がた。
2つの照準点は引き寄せられるように近づき、淀川の胸に差しかかったところで重なる。
桜色とライトグリーン色の照準点の光は交わって、透明感のあるオレンジ色の光へ変化した。
銃弾からかばってくれた母親を思い出す。
瀕死の体で立ち向かった父親を思い出す。
操られた自分を責めて泣いていた美桜を思い出す。
──目の力のタイムリミットまで、残り30秒。
レキトと優斗は親指をホームボタンから離した。
赤色のスマートフォンと青色のスマートフォン、お互いのイヤホンジャックの輝きは一際強くなった。
2人の対プレイヤー用レーザーが同時に放たれる。
淀川に命中したときに交差するように、2つの色のレーザー光線は斜めに猛スピードで向かっていった。
「このタイミングを待ってたよ。ありがとう。
──《資源を再生する結界》」
淀川は静かにつぶやいて、業務無線を模したスマートフォンを前に構える。
迫りくるレーザー光線を見つめながら、安堵したような笑みを浮かべた。
淀川のスマホ画面が暗くなったとき、2発の対プレイヤー用レーザーはわずかに曲がった。
緩やかなカーブを描いて、淀川に向かった軌道から横に逸れていき、業務無線を模したスマートフォンへ引き寄せられていく。
そして、曲げられた2発の対プレイヤー用レーザーは、淀川のスマホ画面の中に吸い込まれた。
凪いだ水面に宝石を落としたかのように、小さな波紋が画面に広がって消える。
暗くなった淀川のスマホ画面が急に明るくなり、周りの空気から静電気を帯びているような音がバチバチと鳴った。
《小さな番犬》は激しく吠えて、赤色のスマートフォンが強く振動する。
静電気が走る音は火花として見えるようになった。
淀川の頭上と足元に4つずつ現れて、線香花火のように閃いている。
激しく舞い散る火花は勢いを増していき、隣で弾けている火花とぶつかり合った。
衝突した火花は一本の電流としてつながって、より一層激しく放電していく。
点と点が結びついて「線」となった。
線と線が結びついて「面」となった。
面と面は組み合わさり「立体」となる。
淀川がスマートフォンを下ろしたとき、強力な電流が迸る結界が完成した。
巨大な檻のような形をした電気のバリア。
《資源を再生する結界》は淀川を中に囲っており、轟音を立てて結界の外側へ放電している。
放電した電気はリビングの家具に当たっていき、真っ白なカーテンやラグマットが黒く焦げた。
──相手の攻撃を吸収してバリアに変換する、カウンター防御系のギア!
後頭部の痛みを感じながら、レキトは対プレイヤー用レーザーを撃った。
ライトグリーン色のレーザー光線は、今度は途中で曲がることなく駆け抜ける。
しかし、《資源を再生する結界》に衝突したとき、レーザー光線は先端から分解されていき吸収された。
結界の外に放電する電気が強まり、雷が落ちたかのようにフローリングの床に穴が開く。
レキトは振りかぶって、握ったサバイバルナイフを投げた。
歯の立ったナイフは空気を裂くように飛んでいったが、《資源を再生する結界》に迸る電流に阻まれた。
電撃系の攻撃は無効化されて、飛び道具の物理攻撃は通用しない。
両目が焼けるように熱くなり、後頭部の痛みが悪化していく。
このまま淀川に時間を稼がれてしまえば、レキトは目の力が使えなくなり、傷だらけの優斗も体力が持たず力尽きてしまう。
──目の力のタイムリミットまで、残り20秒。
《資源を再生する結界》に打つ手がない今、最悪のバッドエンドに突入しようとしていた。
「……ああ……よかった。……俺は……もう終わるから……迷わず……選択できる」
晴れやかな顔をした優斗は目を閉じて、即座にまぶたをすうっと上げる。
青い瞳が小さく揺れたとき、電気のバリアに守られている淀川めがけて全力疾走した。
瀕死の重傷を負っているアバターとは思えない速さ。
結界の外へ放電する電気が優斗の右足を貫いても、倒れることもスピードが落ちることもない。
そして、《資源を再生する結界》に迸っている電流に向かって、優斗は青色のスマートフォンを持った手を突っ込んだ。
握り拳1つ分の穴が《資源を再生する結界》に開く。
青色のスマートフォンを持った手がバリアの内側に入った。
強烈な電流を滝に打たれるように浴びながら、優斗は前に少しずつ進み、開けた穴をさらにこじ開けていく。
「そんな、馬鹿な」
淀川は息を呑み、後ろに下がろうとした。
すかさず優斗は左手を伸ばして、淀川の腕をガシッとつかむ。
青い瞳は淀川をまっすぐ見つめていた。
「……何を……驚いてるんだ? ……電流が……攻撃を……防ぐなら……電流の……中に……入るに……決まってるだろう」
苦痛に顔を引き攣らせた優斗は、無理やり笑みを浮かべる。
淀川にイヤホンジャックを向けて、親指でホームボタンを長押しした。
強烈な電流を浴びつづけて、オーバーサイズ気味のシャツは焦げている。
優斗の皮膚は破けて、筋肉らしき部位が露出して見えていた。
──目の力のタイムリミットまで、残り10秒。
淀川は眉を寄せて、優斗に対プレイヤー用レーザーを撃った。
輝きが強くなったイヤホンジャックから、スカーレット色のレーザー光線が優斗の眉間に向かう。
──目の力のタイムリミットまで、残り5秒。
レキトは右手を《資源を再生する結界》に突っ込み、間髪入れずに対プレイヤー用レーザーを放った。
ライトグリーン色のレーザー光線は、スカーレット色のレーザー光線に命中した。
真正面から衝突したレーザー光線は相殺し合って弾け飛ぶ。
煌びやかな2色の光の残滓は、星屑が舞い散るように漂う。
「協力プレイで、1人だけに任せることはさせませんよ」
レキトは微笑み、青色のスマートフォンを持つ優斗の手に左手を添える。
優斗の手をそっと押して、桜色の照準点を淀川の胸に定めた。
照準がブレないように、左手で優斗の手を握る。
──目の力のタイムリミットまで、残り2秒。
優斗は一息ついて、「……ありがとう。……助かった」とつぶやいた。
あまりにも小さく消えてしまいそうな声。
人生で思い残すことがないような、穏やかな顔をしている。
そして、親指をホームボタンから上げて、光り輝くイヤホンジャックから、桜色のレーザー光線を放った。
桜色のレーザー光線は淀川の胸を貫いた。
瞬く間に淀川の背中から勢いよく飛び出し、キッチンの調味料棚にぶつかった。
岩塩のガラス瓶が割れて、ピンク色の岩塩の粒が中から零れる。
キッチンの壁には数ミリの焦げた穴が開いた。
──目の力のタイムリミットまで、残りコンマ1秒。
レキトは目を閉じた。
後頭部の痛みが和らいだ。
オーバーヒートした機械を冷却したような心地よさを感じる。
視界が真っ暗になった中、レキトは支えていた優斗から手を離した。
スクエア型眼鏡を投げ捨てた場所へ、目を閉じたまま歩く。
軽く膝を屈めて、手探りで眼鏡を探してかけ直す。
淀川は撃たれた胸に触れて、手のひらにシアン色の血がべったりと付着しているのを眺めていた。
《資源を再生する結界》の電流は止まって、激しく散っていた火花は消えていた。
業務無線を模したスマートフォンが手から滑り落ちる。
稲妻が走ったかのように、床に落ちたスマホ画面に亀裂が入る。
「……すまない、菜々美さん。……君の……息子の賠償金……肩代わり……できそうに……ないみたいだ」
淀川は独り言をつぶやき、前にゆっくりと倒れた。
シアン色の血だまりが静かに広がる。
粉々に割れたスマホ画面の中から、金色のコインが転がった。
「──プレイヤー『淀川』、攻略完了」
レキトは一息ついて、転がってきた淀川のコインを拾う。
強敵との連戦でダメージを負いすぎたせいか、頭がくらくらするのを感じた。
赤色のスマートフォンを見ると、《小さな番犬》は口をホーム画面で大きく開けて、喉スプレーを前足で噴射している。
朝食を食べ終わってから始まった「危険」はもう迫っていないようだった。
救急車とパトカーのサイレンが、遠くから聞こえてくる。
甲高い音は大きくなっていき、レキトたちの家の方に近づいていた。
どうやら美桜が近隣の住民を頼って、助けを呼んでくれたらしい。
優斗はレキトを振り返った。
ふらついた足取りで歩み寄り、無言で震えた手を上げる。
レキトはスマホ画面を暗くして、チノパンのポケットにしまった。
歩み寄る優斗に近づき、右手を同じように上げる。
──ふと凛子と遊んだときと違った、ゲームの楽しさを感じた。
──友情とは言い難いけれど、優斗に温かい感情が湧き上がってくる。
もしも本当の兄弟が一緒にゲームして、2人の力でボスを倒したら、こんな雰囲気になるのだろうか。
賑やかに騒ぐことなく、お互いの健闘を静かに称え合う。
そんな不思議な信頼関係が生まれるのだろうか。
だが、レキトと優斗がハイタッチを交わすことはなかった。
お互いの手は触れ合わなかった。
レキトの振った手は空を切る。
優斗の手が急に下がって、指先から力が抜けていくのが目に見えてわかった。
「ダメです! 勝ったんですよ、俺たちは! しっかりしてください……優斗さん!」
レキトは優斗の名前を叫んだ。
思わず「兄さん」と言いそうになった。
しかし、レキトはNPCの「遊津暦斗」ではない。
優斗が大切に思う家族ではない。
本物の弟のように、そう呼ぶことはできなかった。
「さすがに……無理しすぎたか」
優斗は目を閉じて、力尽きたように倒れる。
青色のスマートフォンの画面に亀裂が入った。
次回、第2章「遊津暦斗の誕生日」最終話。