19話 これは夢だとすぐに気づいた
【ゲーム世界 :『Fake Earth』】
プレイヤー名=遊津暦斗(Asodu Rekito)
【現実世界】
戸籍名=藤堂頼助(Todo Raisuke)
いつも夢は目が覚めるまで、それが夢だと気づけない。
頭がぼんやりして、目に映るすべてを信じてしまう。
授業中の静かな教室で、先生の板書するチョークの音がよく響いているようなリアルな夢はもちろんのこと、雲海に棲みついた巨大な魚を釣り上げるようなファンタジーな夢でさえも。
なぜか現実で起きていることだと受け入れてしまう。
けど、頼助はこの夢を見たとき、これは夢だとすぐに気づいた。
目の前の光景がどれだけリアルに見えても、いま目にしているものはリアルではないことに。
都内で何度も遊んだことのあるゲームセンター。
真っ赤なキャップをかぶったパーカー姿のティーンエイジャーの女の子が頼助の隣に座っていた。
透明感のある栗色のショートヘア、アーチ状の眉は大人っぽく、控えめな口元は引き締まっている。
彼女は大型の箱型筐体のカップルシートのような座席に腰かけて、淡い鳶色の目はゲーム画面のイベントシーンに釘付けになっている。
──現実世界にいるはずがない女の子。
──ゲームの楽しさを教えてくれた、かけがえのない人物。
夢の中で頼助と凛子は隣り合わせに座って、『ジュラシック・パーク・アーケード』を一緒にプレイしていた。
「どうしたの、頼助くん? 私のこと、じーっと見て」
「……別に。なんか2人でゲームするの久しぶりだと思って」
「何それ。毎週会ってるのに? まあ、もっと一緒に遊びたい気持ちはわかるけど」
そろそろ次のステージだよ、と凛子は声を弾ませる。
逸る気持ちを抑えられないように、握るコントローラーのトリガーをカチャカチャと鳴らした。
隣にいなくなった彼女が、当たり前のように頼助の隣にいる。
凛子に会えなくなった現実の方が、夢だったように思えてくる。
煌びやかな画面を共有して、頼助と凛子はコントローラーを構えた。
素早く襲いかかってくる恐竜の群れに狙いを定めて、2人でトリガーを引いて麻酔銃を撃ちつづけた。
相変わらず頼助と凛子はうまく協力し合えず、次第に獲物の奪い合いになって、「敵を倒すこと」よりも「味方を邪魔すること」に夢中になっていく。
けれども、群れが最後の1匹になったとき、お互いの照準が重なり、2人で同時に撃って倒した。
「あはは、ギリギリ! やっぱり協力プレイは楽しいね。まあソロプレイはソロプレイでいいんだけど」
「……意外だな。その言い方だと、協力プレイのほうが好きなように聞こえるよ。凛子はソロプレイで極めるほうが好きなのかと思ってたけど」
「だって、協力プレイは1人だと気づけなかったことを教えてくれるじゃん。ゲームの制作者の意図とか、自分のプレイがもっと良くなる可能性があることとか。ゲームは面白いって、あらためて実感できるんだよね」
凛子は指先に息を吹きかけた。
淡い鳶色の目を輝かせて、画面いっぱいに映るボスキャラのトリケラトプスを見つめていた。
真っ赤なキャップを後ろに回して、細長い指をコントローラーのトリガーに添える。
頼助がソロプレイ派なのか、協力プレイ派なのかは訊いてこない。
ゲームセンターでよく遊ぶ仲でも、いつもどおり相手の価値観には踏み込んでこない。
夢の中で姿を現した彼女は、思い出の中にしかいなかった凛子そのものだった。
「頼助くん、話変わるんだけどさ、こういう恐竜みたいな巨大モンスターっていいと思わない? こういうのが出てくるだけで、このゲームは当たりって気がする」
「たしかにそうだな。『モンスターハンター』も、ミスできない緊張感が楽しいし。ポケモンもバトル中に大きくなるシステムも、実際にプレイしたら迫力があって面白かったし」
「でしょ! なんでワクワクするんだろうね? 強そうな相手と戦うのが面白いからかな」
「うーん、俺は『世界の大きさを感じられるから』かな。人間より圧倒的に大きい生き物を見ると、自分はちっぽけな存在だって思えてくるし」
「それ、頼助くんっぽい考え方だね。なんとなくだけど、私も、ちょっとわかるかも」
凛子はゲーム画面を見つめたまま、涼やかな笑みを口元に浮かべる。
そして、ボス戦のBGMが流れると同時に、コントローラーのトリガーを連打し始めた。
淡い鳶色の目が瞬きをする回数が減っていく。
意識がゲームの世界に入り込んだと思うくらい集中していた。
頼助はコントローラーを斜め上に傾ける。
凛子の照準を目で追いながら、トリケラトプスが角で投げ飛ばしてきた岩を撃ち落とした。
そのまま凛子と照準を同じ高さに揃えて、トリケラトプスの両目、前足、後ろ足を順番に攻撃する。
麻酔銃からショットガンに同時に持ち替えて、2人で片方の角の根元を集中攻撃して部位破壊した。
いつも息が合わないはずなのに、自然と連携できるようになっている。
SSRのキャラをガチャで引く確率で起きる、神がかった協力プレイ。
なぜ急に波長が合うようになったのかはわからないけれど、凛子と精神が深くつながっていることがわかる。
「この瞬間が永遠に続いてほしい」と思いながら、「この瞬間は永遠に続かないからこそ素晴らしい」と矛盾した気持ちを共有していることがわかる。
言葉にしなくても、凛子がどうプレイしてほしいのかがわかった。
凛子に目配せを送らなくても、自分がどうプレイしたいのかが伝わっているのがわかった。
ピアノの連弾を演奏しているように、お互いのプレイが1つに融合していくのを感じる。
1人では勝てそうにない巨大なモンスターを、2人ならどう攻略するのかを考えることが楽しくなってくる。
ふと凛子が『Fake Earth』から戻って来なくなってから、1人でゲームセンターに寄ったときの記憶が蘇った。
毎日ゲームセンターに凛子がいないことを確認して、それでもゲームをしていたら現れるのではないかと思って、アーケード筐体に100円玉を落としつづけた日々が脳裏をよぎった。
1人でオンライン対戦を50人抜きしても、たいして嬉しくなかったことを思い出す。
1人でハイスコア更新に惜しくも届かなくても、そこまで悔しさを感じなかったことを思い出す。
──カチ、カチ、カチ……カチン。
時計の針が刻んでいき、最後に止まったような音がした。
煌びやかな画面はフリーズする。
猛々しい角を持ったトリケラトプスは、突進中に四本脚が地面から浮いた状態のまま動かない。
コントローラーのトリガーを引いても、ゲーム画面で構えているショットガンは弾を発射しなかった。
──もうすぐ夢が終わるのだろう。
頼助は意識が覚醒しつつあるのを感じた。
凛子はため息をついて、スマートフォンのロック画面の時計を見る。
真っ赤なキャップを前向きに戻して、手前の台にコントローラーを嵌め込んだ。
「今日はもうタイムアップだね。次はいつにする? 来週なら私はいつでも大丈夫だけど」
凛子は指のストレッチをしながら、小さく首を傾げる。
淡い鳶色の目は頼助を優しく見つめていた。
ゲームセンターの閉店放送が流れる。
頼助は凛子の目を見返した。
ずっと会いたかった人をまっすぐ見つめた。
「……ごめん。たぶん来週は会うことができない。その次の週も、来月になっても会えないと思う。本当はまたこうやって遊びたい。──でも、俺にはどうしてもやらなきゃいけないことがあるんだ」
頼助は自分の手を握りしめる。
どうして「嘘」をつくことができないのか?
これは夢の出来事なのだから、「じゃあ来週会おう」と普段どおり約束しても問題ない。
それなのに、なぜか凛子に誤魔化すようなことが言えなかった。
頼助のデニムパンツのポケットの中で、スマートフォンが振動した。
持ち主へ呼びかけるように、何度も何度も震えつづける。
凛子は微笑んで、頼助から目をそっと逸らした。
「わかった。忙しいならしょうがないね。応援してるよ、頼助くん。もしそれが終わったら、よかったら連絡して」
凛子は後ろを向いて、足元に置いていたリュックサックを背負った。
アーケード筐体に忘れ物がないかを確認して、グレーのパーカーのポケットに両手を突っ込んだ。
どうしてしばらく会えないのかを質問しない。
今まで一緒に遊んできた仲で、今日で最後かもしれないのに、あっさりとした態度を取っている。
落ち着いた声が震えたり、声のトーンが下がったりすることはなかった。
しかし、頼助は凛子に会えないと告げたとき、彼女の目の瞳孔がわずかに大きくなったことを見逃さなかった。
こういうとき凛子は相手の価値観を尊重して、自分の意見を押しつけない。
大丈夫じゃないときでも、大丈夫そうなふりをしている。
そして、何の相談もなしに1人で『Fake Earth』に参加することを選んだ。
だから、頼助は凛子を追いかけて、『Fake Earth』をプレイする道を選んだ。
誰よりも強いゲーマーである彼女を1人にさせないために。
──ゲームマスターを倒して、『Fake Earth』を終わらせる。
──現実世界に2人で戻って、ゲームセンターでもう一度遊ぶ日常を取り戻してみせる。
この険しい茨の道の先に、さらなる困難が待ち受けていようと、最高のエンディングへ辿り着くまで足を止めるつもりはなかった。
「ねえ、頼助くん。最後に1ついい?」
「いいけど。何かな?」
「別にたいしたことじゃないよ。ただ、しばらく会えそうにないなら、ちゃんと聞いとこうと思って」
──ゲームの楽しさはわかった?
凛子は頼助に質問して、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
『Fake Earth』の対戦中に頭に浮かんで、何度も心を奮い立たせてくれた笑顔だった。
一人でメダルゲームのスロットを暇つぶしに回していたとき、「つまんなそうにプレイしてる君にゲームの楽しさを教えてあげる」と凛子に声をかけられたのが、一緒にゲームセンターで遊ぶようになったきっかけだったことを思い出す。
「楽しかったでしょ?」と凛子から毎週の帰り際に訊かれるたび、「全然楽しくなかったよ」と頼助は嘘をついて、本当の気持ちを伝えられなかったことを思い出す。
「……それは今度会ったときに答えるよ。必ず答えるって約束する」
だが、夢の中でも頼助は本当の気持ちを伝えることができなかった。
正直に言えば、「ゲームの楽しさはわかったよ」と素直に答えて、凛子がどんな顔になるのかを見てみたい。
感謝の言葉を伝えて、思いの丈をぶつけたかった。
けれども、今ここで本当の気持ちを伝えたら、もう二度と凛子に会えなくなるような気がした。
絶体絶命のピンチに追い込まれたときに挫けずにいられた、負けたくない思いの根幹にあったものが失われてしまう予感がある。
まだ凛子をゲームの世界から救い出せていないのに、自分だけが満たされるようなことをするわけにはいかなかった。
「そっか。じゃあ、次会うとき楽しみにしてる。約束だよ、頼助くん」
凛子は小指を立てて、頼助の方へ近づける。
頼助も小指を立てて、凛子の小指に引っかけた。
お互いに見つめ合って、指切りから握手へ手の形を変える。
そして、握った手を離して、力強くハイタッチを交わした。
「またね、頼助くん」
「うん。また今度」
頼助と凛子は笑い合って、いつもどおりの別れの挨拶を交わす。
力強くハイタッチした手はヒリヒリしていて、凛子の手の温もりが少し残っていた。
頼助は片手をポケットに突っ込み、震えていたスマートフォンを取りだす。
柴犬風にカットされたポメラニアンがホーム画面で吠えていた。
次の瞬間、スマートフォンの画面の光が急速に強まっていった。
あまりの眩しさに、アーケード筐体の風景は見えなくなった。
思わず目を閉じそうになるのを堪えて、凜子を横目で見る。
光に包まれて姿が見えなくなっていく中、凛子も横目で頼助を見ていた。
これは夢──現実ではない、最後に覚めてしまう夢。
いま一緒に遊んだ凛子が完璧に再現されていても、彼女は本物によく似たフェイクでしかない。
夢の中のゲームセンターで遊んでも、ただの気休めにしかならない。
それなのに、頼助は偽物の凛子と遊べて楽しかったと思った。
本物の凛子と思い出が共有されるわけではないのに、この夢のことを目覚めても忘れたくない。
何気なく交わした言葉も、彼女の些細な仕草も、心に留めておきたかった。
どうしてそう思ったのか、自分でもよくわからなかった。
眩しい光が頼助たちを包み込む。
凛子の姿は完全に見えなくなった。
小さな穴が胸に開いたような痛みを感じる。
何もかも見えなくなる。
夢の世界から、現実を完璧に再現した世界へ。
目の前が真っ白になった。