聖剣、百均の包丁に負ける
胸部について、今後一切触れないということを、胸部という単語を出さずに、それとなく遠回しで文乃に伝え、許してもらおうと考えた。
だが、遠回りしすぎたようで、
「ちょっと何言ってるんだかわからないんだけど……?」
と言われてしまった。
「あー、要するにだ」
「うん」
「もう二度と胸部についての話題を――」
「あ゛?」
怖い。
彼女から感じるプレッシャーは、やはり魔王級!
いや、魔王以上だ!
「と、とにかく、それについての話題は今後口にしない。だから恩返しをさせて欲しい」
「……わかった。本当に口にしないで。いい?」
「もちろんだ。絶対に胸部に」
「あ゛? 今、なんて?」
迂闊。
生物であったら、だらだらと冷や汗を流していたことは間違いない。
「何でもない。とにかく口にしない」
「なら、よし」
どうにか、なんとかなった。
はずだ。
◆
そんなこんなで、文乃の家。
キッチンに立った文乃が、鼻歌交じりに料理をしている。
両親が共働きのため、家事を手伝っているのだ。
「文乃、ちょっといいだろうか」
「ん、何?」
「君が材料を刻んでいるそれ」
「包丁のこと?」
「うむ。そんななまくらより、吾輩を使ったらどうだ?」
本剣的にはさりげなく言っているつもりだが、刀身をぐいぐい突き出して猛アピールしている様は、どこから見ても包丁に嫉妬していた。
包丁に嫉妬する聖剣、実に滑稽である。
あと危ない。
「いや、使えって言われても、無理でしょ」
「なぜだ!? 吾輩は聖剣だぞ!?」
「聖剣だろうと何だろうと無理なものは無理。だって」
「だって?」
「野菜を刻むのに、あんた大きすぎるし」
聖剣のプライドが打ち砕かれた瞬間だった。
「なんてことだ……。吾輩がそんななまくらに負けるとは。吾輩はドラゴンでさえ真っ二つにできる切れ味なんだぞ」
「野菜を切るのにそんな切れ味はいらない」
聖剣のプライドが再び打ち砕かれた瞬間だった。
◆
それからも聖剣はことあるごとに自分の有用性を文乃に猛アピールしまくった。
たとえば文乃が自室で勉強していると、聖剣は刀身をぴかぴか光らせた。
「文乃、そこにある照明器具より、吾輩の方がよほど便利だと思わないか?」
聖剣の刀身が光り輝くのは聖なる力が発揮されている証拠であり、具体的には切れ味が増す。
あと、魔族には効果が抜群だ。
「照明器具ってLEDのこと? ……そうね、確かにちょっと便利かも」
これは好感触だ。
聖剣はここぞとばかりに猛アピールをした。
「では、吾輩を使ってくれ!」
「いいわよ」
――30秒後。
「……ねえ、なんか暗くなってきてない?どうしたの?」
「実は……吾輩が聖なる力を発揮していられるのは、これぐらいが限界なのだ」
「え、そうなの? ……使えそうで使えないわね」
聖剣としてのプライドを捨ててまで役に立とうとしたのだが、それすら失敗に終わり、聖剣はショックを隠しきれない。
◆
もう駄目だ、と聖剣は思った。
自分が彼女のためにできることは何もない。
そう悟ったのだ。
最初から悟るべきだったが、その可能性に触れてはいけない。
聖剣が打ちひしがれている一方、文乃はといえば風呂に入っていた。
風呂場から気持ちよさそうな声が聞こえてくる。
彼女はいらないと言ったが、聖剣は護衛を買って出て、風呂場の前でぷかぷか浮いていた。
ばしゃー、という水音。
どうやら風呂から出たようだ。
そして、それは聞こえて来た。
「きゃー!」
彼女の悲鳴だ。
この世界にゴブリンやオーク、ドラゴンといったものは存在しないと彼女は言っていたが、やはりいたのだ。
ならば吾輩の出番である!
勢い勇んで、聖剣は脱衣所に飛び込んだ。
「文乃、吾輩が来たからにはもう大丈夫だ!」
さあモンスターよ、吾輩がすべて切り刻んでやる!
文乃を襲った自分を愚かさを呪うのだ!
だが、モンスターはどこにもいなかった。
裸になった文乃が呆気にとられているだけだった。
「あ、あ、あ」
文乃が震えている。
やはりモンスターがいた?
「あんた、何してるのよ!?」
「君の悲鳴が聞こえたのだ。何かあったと思うのは当然だろう?」
「悲鳴って……体重計に乗ったらちょっぴり増えてたから、だから」
「ふむ、つまりモンスターはいないと?」
「ええ、どこにもね」
「そうか。なら、よかった。安心だな」
「そうね、安心ね――なんて言うと思う?」
文乃が怒っていた。激おこだ。
「いつまであたしの裸を見てるのよ!? さっさと出て行きなさーい!」
脱衣所から――いや、瀬木家からも聖剣は追い出された。
一晩中、家に入れてもらえなかった。
そこまでされてようやく聖剣は、自分は彼女を怒らせてばかりいるのではないかということに気がついた。
まったく遅すぎである。




