おい おまえ そんな物集めて何の意味がある? 庶民コレクターの哀れな末路?
『おい おまえ、、 そんな物集めて何の意味がある?」
そんな心の声が聞こえてきそうですよね?
「そんなガラクタいくら集めてみたところでおそらくなーーにも意味なんかないでしょうよ」
たしかに?
庶民コレクター
サラリーマンコレクターの集められるものなど
タカが知れているでしょうね。
そばチョコ1000個
明治印判皿1000枚
とっくりコレクション
カエルアイテムコレクション
ソフビ人形。
昭和時代古漫画本コレクション。
昭和の古着物。古裂コレクション。
まあいくらでも出てきそうですね。
でも?
はっきり言って
以上のすべてのコレクションが今すぐすべてこの世から消滅したとしても、、、、
誰も困りませんし、
というか
そんなコレクション自体が全くの無意味?でしょ?
そうですよ
「そんな物集めて何の意味がある?」
という神の声?が
聞えてきそうですよね?
物集めのむなしさですよ。
確かにこんなもの集めても何の意味もないでしょうね。
文化芸術上の画期的な価値があるわけでなし。
これらに藝術的なすごい何か?があるはずもないし、
いわば
どうでもいいような
文化的な創造物の
一番下の
下層の
泥流の
お釜のオコゲみたいなものでしかありませんよね?
『ゴミも100年たてばお宝になる』、、
といった人がいます。
しかし、、
現実は
『ゴミは100年たってもゴミでしかないのです。』
ただし、、
その時代には理解できなかった
時代を超えていた、、
それがために埋もれた、、
という藝術品はあるでしょうね。
伊藤若冲
田中一村
曾我蕭白
など後世に再発見された藝術もありますが、
さて?
さっきのソフビ人形が
印判皿が
電笠が
埋もれた芸術品だったはずがあり得ません。
しょせんこんなもの100ねんたったって、
ゴミです。
でも
100歩譲って
庶民で
カネもなし、、
美的審美眼もゼロだが、、
収集欲があり
何かを集めたい
コレクションしたい
という人だっているでしょう。
そういう人はどうすればいいのでしょうか?
そういう人が
血迷って?
騙されて?
おだてられて?
たとえば、、
中国陶磁器のニセモノの山を
大金だまし取られて
しこたま買い込むよりは
まだ
ソフビ人形でも
それなりの値段で集めてるほうが
1000倍マシでしょうね。
ソフビ人形にもニセモノがあるんだそうですけど、、
そんなの見分けるのは簡単?でしょう?
「ヤドカリはまたおのれの体に合わせて貝殻を選ぶ」
ということわざがあります。
誰もが
財力があるわけでなし
審美眼があるのでもないし。
そういう人でも
何か集めて見たいと言う人は
そばチョコ1000個
とっくり1000本でも
大いに結構でしょ?
それに比べれば、、、
故宮博物院に同じものがありました的な、、、
迷品?中国陶磁コレクションを
何百万も騙されて取られて、、
買わされる
自称、、目利き?古美術マニアよりは
ずっとましですからね。
ただ、、、
老婆心ながら
いくら
下等な、
低級な
アイテムとはいえ
集める以上は
あまりにも
お鍋の底のオコゲみたいな
最下等な
レベルはやめましょうね。
箸袋1000種
行った観光地に転がっていた石ころ
駅弁袋1000枚
トイレットペーパーの包装紙1000種類
これではあまりにもレベルが低すぎるでしょう?
ここまで行ったら
これはもう
ただ奇妙な悪癖?でしょう?
仮にもコレクターというには
低レベルすぎます。
まだ昭和古漫画本コレクターのほうが
1000倍マシですよ、
まあ
大局的に見れば、
どっちも50歩100歩ですけどね。
だが
そういってあまり開き直ると、
達観すると、
「そんな物集めて何の意味がある?」
から、、、、、
物自体の存在意味というか
芸術品なんて言ってるけどそれはたんなるものでしょ?
みたいな
ゴッホの油絵が10億円って?
それを人類絶滅後の10億年後に
誰?が10億円で買う?っていうのか、、
というような
人類の存在意味って
何?みたいな、、
たどりたどり、、、
最後に行き着くところは、、、
「お前のような平平凡凡な男が生きててなんの意味がある?」
という究極の大疑問になってしまうでしょうね。
まあだから
あんまり
人生も
骨董も?
問い詰めないほうがいいんです。
楽しいから集めてます。
お金もそんなにかけてないし分相応に
やってますから、、、
そんな程度でいいんです。
それでいいじゃないか?
ソフビ人形でも
琺瑯看板でも
カス取り雑誌コレクターでも
楽しいし、、
自分の財力、知力、度量?にあってるし、、、
だったら?
それでいいじゃないか?
そうして
ある日
もし
楽しくなくなったら?
止めればいいだけのことでしょうね。
あるいはある日
倒れて植物人間、寝たっきりになったら?
やめればいいだけでしょう。
(というか、、やめざるを得ませんよね)
さらに
ある日
ぽっくり亡くなったら?
あとは遺族が
そのあなたのガラクタ蒐集の欲の後始末は
粗大ごみの日に
まとめて出してきれいに処分しておしまいですよ、
それで一巻の終わりですよ。
それでいいんですよ。
所詮庶民のあなたが集めた物なんてそんな程度の
物でしかないんですから。
酒好きな人が酒を飲む
花が好きな人が庭をつくる
犬が好きなら犬を飼う
そして古いものが好きなあなたはガラクタを集める。
それでいいじゃないですか。
それ以上でもない
それ以下でもない。
それだけのことですよ。
そして結論は、、、、、、
そんな物集めてなんの意味がある?
「何の意味もない」
物集めのむなしさ
でもじゃあ
酒飲みはむなしくないのか?
ギャンブルはむなしくないのか?
と言われれば
物集め以上に?むなしいだけでしょうね。
だがこれ以上突き詰めるのはやめましょう。
人生そのものが、、
むなしさの塊だという厳粛な事実にブチ当たらないうちに
これ以上突き詰めるのはやめましょう。
楽しいからガラクタを身分相応に集めて自己陶酔してます。
それで
それだけで
まあ
良いじゃないですか?
ねえ?
御同輩?