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半径20㎝

作者: かさこれ

          ー1ー

 山口直人は売れない小説家。昔獲ったちっぽけな賞にすがり、文字を書き続けている。季節は冬、6畳一間の年季の入ったアパートは風通しがよく、まるで外にいるようだった。

 彼は大学時代からここに住み、もうすぐ8年になる。大きな家電はそれぞれ買い換えはしたが、机も椅子もスタンドライトもペンも彼が文字を書き始めた頃からずっと変わっていない。

 そんな彼が机に向かうのは、週6日の弁当屋でのバイトが終わり、貰った弁当を平らげて風呂に入った後だ。だいたい夜の8時前から夜中の2時ぐらいまでスタンドライトの灯りの元、ただひたすら紙と向き合い書いては消す。その繰り返しの毎日だった。

          ー2ー

 ある日、彼はベッドの上にありったけの洋服を並べ、考えていた。どうやらまだ彼にも明るい未来をみる権利ぐらいは残っていたらしい。その夜の帰りは遅く、部屋にはペンが走る音も紙が丸められる音も響かなかった。

 それからというもの、彼は人が変わったようにペンを走らせた。家を空ける日も増えはしたが、彼の紡ぐ物語はあの頃の輝きを取り戻していた。いよいよ物語を書き終えた頃には外は明るく、柔らかな風に乗ってピンク色の花びらが部屋に舞い込んできていた。彼は休むことなく原稿を握りしめ、部屋を後にした。その日から彼は僕の半径20㎝からいなくなった。

          ー3ー

 大ヒットだった。時代背景とも上手く重なり、言うまでもなく彼の生活は一変した。結婚し、新居を構えて、子宝にも恵まれたようだ。昔の彼の部屋にいたモノ達は幸いにも彼を除いて皆同じ場所に押し込められていた。

 時代が変わったのだ。紙しかなかった時代はもう戻ってこない。それは薄々感じてはいた。むしろ長く愛されていた方だと僕は僕自身を納得させる為に理由を無理矢理飲み込んだ。僅かばかりの期待と一緒に。   

          ー4ー

 どれくらい時間が経ったのだろう。無限に感じる時間の中で僕は、照らしながら見つめていた彼の数々の小説を何度も何度も頭の中で読み返し、その時の思い出をひとつひとつ噛み締めながらおもいだしていた。

 僕の仕事はもう終わった。久しぶりに僕の半径20㎝に来た彼のやつれて疲れきった顔を見るまではそう思っていた。

          ー5ー

 彼は書けなくなっていた。暮らしぶりは何も変わっていなかったが、彼の顔からは成功者の雰囲気は微塵も感じとることが出来なかった。 彼の妻と娘が寝静まった後、僕らは彼の書斎へと運ばれた。青白く光る2つの画面に違和感を覚えるほど紙に囲まれた空間が広がっていた。僕らをあの頃のように並べ、青白い光が消え、部屋の電気が消えると同時に彼が僕のスイッチを入れた。床に捨てられた見慣れた弁当屋の袋に気を取られ、辺りを照らすのに少しだけ時間がかかった。

          ー6ー

 彼のペンが走り出すのに時間はかからなかった。少し字が下手になっているのを除けばあの春の日に似た感じだ。僕は水族館のガラスに張り付く子供のようにその姿を見ていた。

 居場所を取り戻した僕はすっかり彼のとりこになっていた。彼が勢いを取り戻してから長い長い月日が流れた。彼ももう健康に気を使い、夜中に書くのをやめたが、書くときは明るくとも僕のスイッチは入れるので文句は言わない。欲を言えば昼間は休ませて欲しい。実は夜に僕のスイッチを入れる人がもう1人いるんだ。彼は気づいていない。本のしおりが日に日に動いているのに。

 最近僕は休む暇がない。彼が眠りにつくころに書斎がやわらかなオレンジ色に包まれる。本を読む君は彼によく似ている。笑い方もページの捲り方さえも。

 いつもより長い時間をかけて、彼が僕らの事を書いたその本を君は、ついに今日読み終えた。本を閉じ、深く息を吐き出した君は、静かに立ち上がりぎゅっと抱き締めた後、本棚にそれを戻した。

 本の背表紙の言葉をつぶやき、優しく僕のスイッチを切った。


 『私が愛した半径20㎝の広い世界』

 今日は寝られそうもない。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。どんな事でも構いませんので感想をいただけると励みになります。よろしくお願いします。

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