郁人編
昔のことは思い出したくない。
あまりにも綺麗すぎて、気が滅入る。
「次、ケンカしたら退学は免れねぇからな」
冷たいドアの音。
俺だけ間違えたみたいに、この学校は異質だった。
なにが目につくのか今だに分からないが、中学の頃から絡まれる事が多くて、その都度やり返したり売られたケンカをかってばかりいたからか…どうもなじめない。
一学期からケンカ三昧で停学食らいまくってるから当たり前でもあるんだが。
下駄箱で履きかえてるとき、携帯が鳴る。
よくつるんでる菊池からだった。
「お前、西条テツとガチでやりあったのかよ!
学校にバレたとか聞ーたぜ?!」
誰からだよ、と思ったけれど、呼び出し食らってりゃ噂広まるか。
「オメーこそケガは治ったのかよ。
んな大したことねーんなら、入院とかして騒ぎデカくすんな」
菊池は隣の高校の奴らに襲われて、病院送りにされていた。学校に来てる他の連れから噂で聞いたんだろう。暇な奴だ。
「……わりぃ。今回の件はお前、関係ねぇのに…」
「別に。
俺が勝手にやったことだから、気にすんな。早く体治せよ」
電話を切る。
靴を履いて外に出て、家に帰るまでどう時間を潰すか考えた。
親は中学にあがる前に離婚して、親父と住んでいる。
仲が特別悪い訳ではないんだけど、なんとなく居心地が悪い。
今まであんまり話してなかったし…母さんとよく喧嘩してたし。
考えながら、校門を出る。
なんとなく校舎を見上げてみると、カーテンがふわりと出ているクラスがあった。
窓側に座っている女子がいる。
さすがに誰かは分からないけど、…なんとなく斐に似ていた。
「覚えてねーか、あっちは」
校舎を背に歩く。
なんだかあの窓だけ違う世界に見えた。
斐はガキの頃にしょっちゅう遊んでた友達で、今でも他の女子とは違う感じがする。
…俺の中で特別だった。
今じゃ全然話してないし、斐は雰囲気が変わってめちゃくちゃ可愛くなった。
俺と同じくらいケンカも強かったけど、たまに見かける度に女っぽくなってる。
「…腹減った」
天気もいいし、コンビニの先に土手があるから、そこで飯食って寝よう。
どうせ先公に見つかっても、停学中だし。
それでがっつり寝転んでたら、物音で目が覚めて。
俺の横に、斐がチョコ片手に座っていた。
さっきまで斐のことを考えてたので、異様にびっくりする。
「ごめん、起きちゃったね。
夢の邪魔しちゃった?」
罰の悪そうに謝ってくる斐。
辺りを見たらもう夕方。
…さすがに寝過ぎ。逆に助かった。
俺が別に、と言うと斐は嬉しそうに郁人らしいと微笑む。
「小学生の時も、私がなんか謝ると『別に』って愛想無く言ってたじゃない。
最初は怖いなぁって思ってたけど、あれだよね、照れ隠しだったんだよね」
「んなこと覚えてねーよ」
「私は覚えてるもん。
絶対そうだよ、郁人」
明るく笑う顔が、昔と違って見えた。
同じ雰囲気なんだけど、なんか緊張する。
それを隠そうとするから、やっぱりぶっきらぼうになってしまう。
斐の言ってることは、合ってるかもしれない。
「でも嬉しいな。
私のこと忘れちゃってるかと思ったのに」
「…忘れねーよ。
その、同じ学校だし、ガキの頃よく遊んだろ」
「そーいえば郁人、虫嫌いだったよねぇ。
蜂とか来るとよく逃げ回ってて。
…今でも苦手?」
他愛ない思い出話。
でも俺にとってはやっぱり特別だった。
色褪せない、淡い想い。
手が届かない、きれいな存在。
すっかり汚れてしまった俺には、まぶしく感じた。
「ん、もう日が沈む。
…帰ろうぜ」
自分でも普段とは違って語調が優しくなってるのが分かって、心の中で苦笑する。
――でもいいんだ、斐は特別だし。
「尾上、今日は女連れかよ」
いやな予感。
振り向くとやはり早良田だった。
俺がこの前病院送りにしてやったテツの連れ。
思ったよりも噂が広まってる。
根回ししとかなかったからな、と舌打ちする。
一人の知らないヤツはバットを持っていた。
とっさに斐の前に立つ。こいつには関係ない世界。
巻き込む事は絶対したくない。
「このまま逃げろ!巻き込まれんぞ!」
斐を後ろに押し退けて、早良田たちに向き合う。
早良田はそこそこ名の知れてる不良だが、卑怯な手ばかり使ってくる。
多数でぶちのめすタイプだから、本人はそんなに強くない。
一人なら大したことないが、今は斐がいる。
案の定、俺の隙をついて斐ににじりよる早良田。
斐は困惑した顔で立ち尽くしていた
まずい、斐……!
と早良田を足でぶっ飛ばす。
が、さすがに俺の背後はガラ空き。
すかさずバット野郎の一撃が背中を襲った。
「郁人!!」
危うく呼吸が乱れそうになる。
足元がふらついて、膝をついてしまった。
…やばい、斐には、斐にだけは…。
「あたし、郁人の為に強くなったから」
俺の前に立つ斐の背中は、子供の頃とは違って、どこか強く見えた。
――そして、実際強かった。
早良田たちにバット野郎に正確な一撃を打ち込んで、足元をふらつかせた。
その動きは武道の型みたいで、斐が子供の頃に通っていた空手道場での鍛練を感じさせた。
おまけにバットをへし折るサービス。
特定の場所を蹴れば折れるというが、なかなか実戦で折れるものじゃない。
「つ、つえぇ……」
早良田は切れた唇の血を拭う。
一撃を見ただけで、斐が普通の女子とは違うことが一目瞭然だった。
雑魚らしく捨て台詞を言って、早良田たちは去っていく。
残された俺は唖然としていた。
確かに小学生の時は俺よりも段が上だったけれど。ここまでとは。
俺が驚いていると斐は悪戯っぽく舌を出しながら、こう言う。
「郁人に守られたいけど、私も郁人を守りたいの」
微笑む斐は小さな頃と同じように暖かい声でそう言う。
でも昔と違って、俺には魅力的だった。
「だから、たまには一緒に帰ろうよ。今日みたく、さ」
「…別に…いいよ」
夜空に消えていく最後の日差しが、俺と斐の帰り道を照らしていた。