斐編
私が知っている郁人は、あんなに孤独じゃない。
小さい時から一緒で二人になると、いつも世界がきらきらしてた。
でも今――郁人の噂は、暗い。
出欠も当然みたいに取らなくなった。
一学期から欠席してるんじゃ、当然だけど。
素行も悪いみたいで、だいたい姿を見る時は呼び出しを受けていた。恒例行事みたいに。
私は郁人の幼なじみ。
だけど仲が良かったのは、小学生まで。
同級生にからかわれるまで、いつも一緒に遊んでた。
今じゃすっかり『ただのお隣さん』。
でも私は…
「斐、また尾上のこと見てるの?」
「…ち、ちがうよっ」
友達の麻依は狼狽している私を見て、にやにやと笑う。
窓の外には校庭を一人突っ切って帰る、郁人の姿。
「…また停学かな」
「当たり前だろ、隣の高校とまたケンカしたんだ」
声に振り向くと、クラスメイトの神田こと神ちゃんだった。ケンカか…とため息。
私が昔と違ってスカートを履くようになったように、郁人も変わっている。
それは当然のこと。
「全く。斐は一途だよね。
ずーっと尾上郁人からブレないもん」
「あんな不良野郎のどこがいいんだ。
斐って、男見る目危ないんじゃねーの?」
だけど、周りからそんな風に言われることが悲しかった。
郁人はそんな乱暴者じゃない。
でも……変わっちゃったの?
いつもの帰り道。
土手で寝ている人影に目をこらすと、郁人だった。
思わず駆け寄って、隣にそっと座る。
我ながら大胆だし、隣にいきなり人が寝てたらびっくりするかなぁと苦笑する。
そうだ、私も土手でお菓子食べてれば不自然じゃないかも、とカバンの中にあるチョコを探す。と。
「…っ、斐か」
やっぱりびっくりした郁人。
私はわざとらしく照れながら謝ると、ぶっきらぼうに『別に』の一言。
その言い方が、昔と全然変わってなくて、私は思わず笑ってしまった。
「笑うなよ」
「変わってないんだもん、その言い方」
二人で見上げている青空は夕焼けに色を変えようとしていて、途方もなく穏やかな空気だった。
ずいぶん久しぶりに話したけど、やっぱり優しい郁人だった。話し方は愛想ないんだけど。
「尾上、今日は女連れかよ」
ひやかすような口笛。
一緒に帰ろうとした私達の後ろに、いかにもガラ悪そうな男三人組がいた。
…隣の高校の制服。
「ウチのテツと遊んでくれた借り、受けとれ!」
駆け出して三人で向かってくる。
郁人は私を背中に回して、押し退ける。
「このまま行け!巻き込まれんぞ!」
「でも三人なんてっ」
しかも一人はバットを振り回してる。
それでも郁人は怯まない。
激しいぶつかり合い。肉が弾ける音。
郁人はこんな日常を過ごしてたのだと、気付く。
怖くて、逃げることもできない。
「女が淋しそうにしてるぜぇ、なかなか可愛いじゃん」
立ち尽くす私に、にたにたしながら一人の金髪男が近づいてきた。
怖い、声も出ない。
それに郁人が気付いて、後ろから男を土手の斜面に蹴飛ばす。
「触んじゃねぇよ!!」
でも蹴りの着地をした郁人の背中で、バットを持った男が笑う。
「郁人!あぶないっ!」
鈍い音。
がくりと膝をつく顔は、苦痛で歪んでいる。
それを見て嬉しそうににじり寄る男たち。
「に…逃げろ、斐…」
「ううん…」
私はうずくまる郁人の前に立ち、強く睨み付けた。
笑う男の顎を蹴り飛ばす。
振り回されたバットを蹴りでへし折る。
男たちから笑いが消える頃には、私の一撃がそれぞれ急所を打ち抜いていた。
「な、なんだこの女…めちゃくちゃ蹴りが重ェぞ…」
「バットを折るなんて、化け物かよ」
折られたバットを放り投げ、男たちは逃げ去った。
呼吸を整え、郁人に向き合う。
「大丈夫?肩は?」
「…いや、大したことはねーけど…斐、どうして…」
郁人は驚いた顔をしている。
でも私だって、変わったんだ。いつまでも郁人に守られてばかりじゃいられない。
「郁人に負けないくらい、強くなったんだよ」
えへへと照れてしまう。少し恥ずかしいけど。
郁人もつられるように笑ってた。久々の笑顔。
邪魔したくなくて言わなかったけど、その顔に私は小さな時と変わらないくらいに、どきどきした。
「斐がそんな強くなってちゃ、立場ねーな…俺」
「私のこと守ってよ。
私は郁人の為にしか強くなれないんだもん」
柔かで暖かい夜空が、二人の世界に色を添える。
やっぱり、郁人と一緒の世界はきらきらしてた。