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「なるほどねえ」
喫茶「香夢異」で一人店番をしていた朱雄は、
読んでいた新聞から顔をあげてうなった。
季節は四月、春真っ盛り。
お茶の間を騒がせたあの連続通り魔殺人事件と由正君誘拐事件から、
五ヵ月が過ぎていた。
「どうなっちゃうんだろう?」
新聞の小さなコラムを見つめならがひとりごちる。
と、入口につけられた呼び鈴が澄んだ音をたてた。
「どうしたんだ?」
「あ、輔さん!」
朱雄は入ってくるなり質問してくる輔へ向かい微笑む。
ダークグリーンのベストに黒のハイネック。
ジュラルミンケースを肩からさげたお馴染みの格好は、
実に二ヵ月ぶりに見る常連客の姿だ。
「お久しぶりです! 忙しそうですね」
「おう。まあぼちぼち、な」
「ぼちぼちどころじゃないじゃないですか」
照れ隠しなのか片手で頬をかく輔へ、朱雄は声をあげて笑い、
視線を壁の写真へと向けた。
「琥珀の夢」。
高峰光輝と中森康次郎が逮捕されたあの事件以後に、輔が撮った写真である。
被写体はこの喫茶店のカウンターにある棚の一部。
紅茶の缶が所狭しと並んでいる端へ、
白に暗い色で縁とりされたティーカップが置かれている、というものだ。
セピア色をしたその写真は見事賞を獲得し、世間の知るところとなった。
もちろん撮影者である輔も表舞台へ引っ張りだされ、
今ではすっかり多忙の身となってしまっている。
「それより、朱雄。なにがどうなっちゃうって? 俺のことか?」
カウンター席に座りながら輔が尋ねてきた。
あの事件以来、
輔の自分に対する呼称が「バイト君」から名前に変化していた。
「いえ、この人たちのことです」
朱雄は輔に新聞に掲載された小さな記事を指さす。
そこには高峰光輝の脅迫により中森康次郎が起こした事件と、
それを起こさせた世相についての意見が記載されていた。
「どうしてるって、お前。そりゃ檻の中だろうよ」
頬杖をつき、いつもの、と指で示しながら、輔が告げてくる。
「それはそうでしょうけど。どうしてるんだろうなあって」
この記事はもちろんのこと、
世間でも中森老人が起こした事件の真実について語られてはいない。
彼は単に大きく暗い渦の中へ巻きこまれたにすぎないのに。
お湯を沸かしながら息をついていると、
輔がカウンター横の窓辺を向いたままぶっきらぼうに答えてくる。
「そんなん俺が知るか。……まあ、中森翁のほうは反省してると思うけどよ」
「反省かあ。なんだかかわいそうですよね」
中森老人もかわいそうだが、なにも知らない由正たち一族もかわいそうだ。
これまで大切に護ってきた地位も財産も一族としての誇りも、
すべて失われてしまったのだから。
「確かにな。だが、罪人は罪人だ」
溜め息とともに結論づけてくる輔へ、朱雄も頷く。
「確かに。そうではあるんですけど」
なんだか後味の悪い気分が拭えない。
朱雄はティーセットを用意しながら、
やりきれない気分を無理やり心の端へと追いやった。
沈んだ空気を払拭するため、わざと明るい声をだす。
「そういえば、結局お孫さんはあの時どうしてたんでしょうね?」
こちらの問いへ、輔が、ああ、と応じる。
「なんか山奥にある高峰所有の別荘で楽しくすごしていたらしいぜ」
「あれだけ大々的に報道してたのに。
なんで誰も気がつかなかったんでしょうか?」
ポットへ茶葉を入れつつ首をかしげると、輔が軽くうなった。
「まあ、街にでなければ周囲の人間は気づかないだろうさ。
管理人やそのほかの人間はまあ、知っていて口をつぐんでいたんだろうな」
窓の外を眺めながら語る輔へ、朱雄は曖昧に頷く。
「そういうもんですか」
「おう」
輔が明後日のほうに目を向けたまま返答してきた。
朱雄は沈黙し、紅茶をティーカップへそそぐ。
輔の前へさしだしていると、背後から一きわ明るい声が聞こえてきた。
「なになに? なんの話?」
制服姿の裕彦がカウンター内へでてくる。
濃紺のブレザーに深緑色のネクタイをし、
グレーのスラックスを穿いたその姿は、なんとも初々しい。
今年中学へ入学した裕彦は、
このところますます元気に拍車がかかっているようである。
「中森さんのお孫さんの話だよ」
笑顔で応じると、ああ、と裕彦が頷く。
「由正君のことか。よかったよね、ぶじに見つかって」
「本当にな。お前らの壮大な内輪もめのとばっちりを受けてたんだからよ」
裕彦の言葉に、輔がわざとらしく腕を組む。
深く首を上下させる輔へ、裕彦が顔をひきつらせた。
「まあまあ、ぜんぶ済んだことなんだからさ」
必死に話を終わらせようとする裕彦を、輔が半眼で見つめる。
「そんなことでごまかせると思うなよ」
「う」
うめいて固まる裕彦を見て、輔がふと目元を和ませた。
「そんなことよりお前さん、なんか背が伸びたんじゃねえか?」
輔の言葉に、朱雄は目を瞠る。
あらためて裕彦を検分すると、
確かに以前よりも若干頭の位置が高くなっているような気がした。
「えへへ、わかる? 実は最近少しずつ伸びてきてるんだよ」
「ほお」
嬉しげに頬を蒸気させる裕彦へ、輔が感嘆の声をあげる。
(ちゃんと成長してるんだ)
ということは、三姉妹弟は時間を巡る呪縛から
ぶじ解き放たれたということだろうか。
確かに、いまも彼らは変わらずここにいる。
以前、裕彦から三年のタイムリミットがあると聞かされていたのに、だ。
だが、実を言うと今の今まで、どうにも実感が持てずにいた。
あの出来事は、ただの夢ではなかったのだろか、と。
二人の様子を感慨深く眺めていると、奥から店主の結衣がやってきた。




