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「あら、今日は先客万来ね」
結衣が沸いたお湯をポットにそそぎながら冷静に告げる。
店の入口前で佇んでいたのは、青年姿の康次郎だった。
体中血だらけで、手には血糊のべったりとついた出刃包丁を持っている。
「姉さん!」
沙希は急いで姉に注意を促す。
だが、結衣は慌てず騒がずそのままお湯をポットの中へとそそぎこんだ。
店内に、芳しいブレンドティーの香りが漂う。
扉の前で仁王立ちしていた青年が、その匂いを嗅ぐなり刃物をとり落した。
結衣が黙したまま、ゆっくりとカウンターへ紅茶の入ったティーカップを置く。
香りにつられるようにふらふらと紅茶の前へやってきた青年が、
カウンター席へ座りこんだ。
「飲んでいいのよ、康次郎君」
小さく告げる結衣へ、テーブル席に座っていた康次郎少年が驚きの声をあげる。
「え? ぼくもう飲んだよ?」
「いいえ。貴方でなくて、このお兄さんも康次郎っていうのよ」
答える結衣へ、ふうん、と頷き、康次郎少年が青年を見つめる。
血らだけの姿をまじまじと眺め、怖くなったのだろう。
こちらの腕を掴み、背中へ身を寄せてきた。
「だいじょうぶよ」
沙希は後ろ手に康次郎少年の頭へ手を置く。警戒を解かぬまま見守る先で、
康次郎青年が紅茶のカップへ顔を寄せた。ふいに、ぐらりとその身が揺らぐ。
崩れ落ちるように倒れこんだ青年を、朱雄が素早く抱きとめた。
床に横たわらされた青年を影から覗いていた康次郎少年が、小さく叫ぶ。
「眠っちゃったよ!」
「よっぽど疲れていたのね。朱雄君、この人をそっちへ寝かせてくれる?」
カウンターから沙希たちの隣のテーブル席を指さす結衣へ、朱雄が頷いた。
「はい」
「おい、これでうまくいくのか?」
朱雄の手伝いに入りながら尋ねる輔へ、結衣は自信に満ちた笑みを向ける。
「これでもとに戻るはずよ。ここには康次郎少年も、康次郎青年もいるんだもの」
「けど、康次郎少年だけはここに残るんだろう? みんながいなくなったら
この子はどうなるんだ?」
康次郎青年を座席に横たえ息をつきながら、輔が問いかける。
結衣が軽く肩をすくめ輔を見た。
「ここをでたら店へきた記憶を失うようになっているのよ。
だから、この記憶の中にある『香夢異』も私たちが戻れば消えるわ」
「忘れてなかったらどうするんだよ」
眉根を寄せる輔に、結衣がくすりと肩を揺らす。
「それもだいじょうぶよ。成長して老人となった康次郎君も
あそこにいるんですもの。元に戻ったら彼の記憶は再び封じられて、
私たちのことも完全に忘れているはずよ。そもそも一度封じたら
ちょっとやそっとじゃ思いださないはずなんだもの。
だから、彼を警察へつれていくのはぶじ現実世界へ戻ったその後よ」
答えながら、結衣はいま一度人数分の紅茶を入れはじめる。
沙希はカウンターに近づき手を置きながら、紅茶を入れる姉の行動を眺めた。
これでみんな現実世界へ戻ることができる。
康次郎の記憶には多少の傷がついてしまっただろうが、
ぶじに戻ることができさえすればなんとでもなる。
いや、正確には、姉がなんとかしてくれる。
光輝のことは気がかりだが、とりあえずはすべてうまくいきそうだ。
ほっと胸をなでおろしていると、ふいに脇腹へ妙な感覚が走った。
見ると、見たこともないほど酷薄な笑みを浮かべた輔が
視界いっぱいに映る。
「輔さん?」
沙希が視線を自分の脇腹へ向けると、
深々と刺さった出刃包丁の柄を握る輔の両手が見えた。
「え……?」
沙希は呟く。不敵な笑みがぐにゃりと歪がんだ瞬間、意識は暗転した。




