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香夢異~夢見る紅茶専門店~  作者: 朝川 椛
第四章 胡蝶(こちょう)の現(うつつ)
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「あら、今日は先客万来ね」


 結衣が沸いたお湯をポットにそそぎながら冷静に告げる。

店の入口前で佇んでいたのは、青年姿の康次郎だった。

体中血だらけで、手には血糊のべったりとついた出刃包丁を持っている。


「姉さん!」


 沙希は急いで姉に注意を促す。

だが、結衣は慌てず騒がずそのままお湯をポットの中へとそそぎこんだ。

店内に、芳しいブレンドティーの香りが漂う。

扉の前で仁王立ちしていた青年が、その匂いを嗅ぐなり刃物をとり落した。

結衣が黙したまま、ゆっくりとカウンターへ紅茶の入ったティーカップを置く。

香りにつられるようにふらふらと紅茶の前へやってきた青年が、

カウンター席へ座りこんだ。


「飲んでいいのよ、康次郎君」


 小さく告げる結衣へ、テーブル席に座っていた康次郎少年が驚きの声をあげる。


「え? ぼくもう飲んだよ?」

「いいえ。貴方でなくて、このお兄さんも康次郎っていうのよ」


 答える結衣へ、ふうん、と頷き、康次郎少年が青年を見つめる。

血らだけの姿をまじまじと眺め、怖くなったのだろう。

こちらの腕を掴み、背中へ身を寄せてきた。


「だいじょうぶよ」


 沙希は後ろ手に康次郎少年の頭へ手を置く。警戒を解かぬまま見守る先で、

康次郎青年が紅茶のカップへ顔を寄せた。ふいに、ぐらりとその身が揺らぐ。

崩れ落ちるように倒れこんだ青年を、朱雄が素早く抱きとめた。

床に横たわらされた青年を影から覗いていた康次郎少年が、小さく叫ぶ。


「眠っちゃったよ!」

「よっぽど疲れていたのね。朱雄君、この人をそっちへ寝かせてくれる?」


 カウンターから沙希たちの隣のテーブル席を指さす結衣へ、朱雄が頷いた。


「はい」

「おい、これでうまくいくのか?」


 朱雄の手伝いに入りながら尋ねる輔へ、結衣は自信に満ちた笑みを向ける。


「これでもとに戻るはずよ。ここには康次郎少年も、康次郎青年もいるんだもの」

「けど、康次郎少年だけはここに残るんだろう? みんながいなくなったら

この子はどうなるんだ?」


 康次郎青年を座席に横たえ息をつきながら、輔が問いかける。

結衣が軽く肩をすくめ輔を見た。


「ここをでたら店へきた記憶を失うようになっているのよ。

だから、この記憶の中にある『香夢異』も私たちが戻れば消えるわ」

「忘れてなかったらどうするんだよ」


 眉根を寄せる輔に、結衣がくすりと肩を揺らす。


「それもだいじょうぶよ。成長して老人となった康次郎君も

あそこにいるんですもの。元に戻ったら彼の記憶は再び封じられて、

私たちのことも完全に忘れているはずよ。そもそも一度封じたら

ちょっとやそっとじゃ思いださないはずなんだもの。

だから、彼を警察へつれていくのはぶじ現実世界へ戻ったその後よ」


 答えながら、結衣はいま一度人数分の紅茶を入れはじめる。

沙希はカウンターに近づき手を置きながら、紅茶を入れる姉の行動を眺めた。

これでみんな現実世界へ戻ることができる。

康次郎の記憶には多少の傷がついてしまっただろうが、

ぶじに戻ることができさえすればなんとでもなる。

いや、正確には、姉がなんとかしてくれる。

光輝のことは気がかりだが、とりあえずはすべてうまくいきそうだ。

ほっと胸をなでおろしていると、ふいに脇腹へ妙な感覚が走った。

見ると、見たこともないほど酷薄こくはくな笑みを浮かべた輔が

視界いっぱいに映る。


「輔さん?」


 沙希が視線を自分の脇腹へ向けると、

深々と刺さった出刃包丁の柄を握る輔の両手が見えた。


「え……?」


 沙希は呟く。不敵な笑みがぐにゃりと歪がんだ瞬間、意識は暗転した。

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